雄略天皇は英雄か?暴君?か 南河内ゆかりの地 〜雄略天皇陵・志貴懸主神社〜

古事記や日本書紀を読んでいるとひときわ異色を放ってるが天皇が雄略天皇です。わりとリミッターが外れ気味の天皇ですが、調べてみると南河内とゆかりのある天皇でした。




今回は雄略天皇と南河内との関わりについて紹介いたします。

もの凄くざっくりとしたあらまし

第21代天皇である雄略天皇は祖父に有名な仁徳天皇がいます。下の記事に出てくる反正天皇からみると甥に当たります。

柴籬神社 | かつての都には意外なご利益があった!〜松原市 柴籬神社 アクセス 御朱印〜


ここで雄略天皇が即位するまでを簡単に書いてみましょう。

・兄である安康天皇が色々あって叔父さんを殺害。
・叔父さんの子供、眉輪王(雄略天皇からみれば従兄弟)によって安康天皇がかたき討ちをされる。
・大泊瀬稚武皇子(後の雄略天皇)が眉輪王による安康天皇暗殺の黒幕は二人の兄と疑って二人とも殺害。
・安康天皇を暗殺した眉輪王も殺害。
・どさくさ紛れにかつて天皇後継者候補だった従弟も殺害。
・さらについでにその弟も殺害。
・ライバルがいなくなって21代天皇として即位する。




ライバルである兄弟親族全員ぶち殺すという鬼畜ぷり。頭に血が上ったら即行動の人なのか、王位につくための計算なのか・・・。ただ、関係ない従兄弟も殺害しているところを見ると後者のようですね。

殺害された兄、八釣白皇子などは生き埋めにされる途中、腰まで土をかけられたところで目玉が飛び出して死ぬというエキセントリックな最後を迎えています。どんなシチュエーションなのか・・・

王位についてからも暴走

当時、柏原から藤井寺にかけては天皇直轄地で志貴県主という一族が管理していました。雄略天皇がそこをが通った時、志貴県主の家が皇居に似てると言ってキレて宝物をふんだくっています。

その志貴県主の子孫が建てたという神社が藤井寺市の「志貴縣主神社」です。(「しきあがたぬし」と読みます)志貴縣主神社こじんまりとしてた本殿です。1872年に本殿が再建されたそうですが、140年以上経ってるとは思えないぐらい綺麗な本殿です。

境内も綺麗に清掃されており地元からも愛されているのが伝わります。

そのほかにも
・有力豪族の嫁を奪って反乱が起こるが返り討ち。
・各地の反抗的な豪族を武力でねじ伏せる。
・それだけで物足りなかったのか、朝鮮半島に侵攻して高句麗破る。
・でも新羅には負ける。
・気に入らない家臣を処刑。

女性好き
・幼女に手を出そうとした。
・従姉妹を嫁に。
・お手伝いさんにも手を出す。
・敵対豪族の娘を差し出させる。
・昔結婚の約束をして忘れていた女性が80年ぶりに老女になってやってきたが、さすがに手は出なかった。

そんな感じで、多方面から反感を買いまくりで「大悪天皇」などという嬉しくないあだ名がつけられるわけです。

結局、暴君なのか英雄なのか

個人的な性格はヤバい感じなのですが、天皇としては有能な家臣を従え各地の反抗的な勢力を潰し、朝鮮半島への影響力も残しております。
日本においてヤマト王権の確固たる地位を築いたという点では英雄と呼んでもいいのではないでしょうか。




そんなやりたい放題だった雄略天皇は、羽曳野市にある島泉丸山古墳に祭られてると言われています。(本当に雄略天皇が祭られているのかは諸説あり)

志貴縣主神社

住 所:大阪府藤井寺市惣社1丁目6
アクセス:近鉄南大阪線「土師ノ里駅」より北へ約10分
駐車場 なし