藤井寺市 国府遺跡にある謎の石碑「義侠熊田氏之碑」に書いている熊田さんて誰?

義侠熊田氏之碑国府遺跡(「こういせき」と読みます)は藤井寺市の惣社にある旧石器時代の遺跡です。遺跡は原っぱが広がる何もない所なのですが、遺跡を少し入った所にドーンと謎の石碑がありました。写真では少しわかりにくいですが、その石碑には「義侠熊田氏之碑」と刻まれています。しかし熊田さんがどんな人なのかという説明もありません。熊田さんとはいったい何者なのでしょうか?

普通ネットで調べると大体複数の情報が見つかり概要がつかめますが、義侠熊田氏之碑に関しては「こんな石碑があった」という情報しかありませんでした。

キーワードをあれこれ変えて調べてもくまモンの情報ぐらしか見つからなかったので藤井寺市に直接問い合わせてみることに。

丁寧なご回答をいただき、その件なら藤井寺市の民話を集めた『やっつけられたたかたか坊主 藤井寺むかしばなし』(中野千代 著)の「さかさ汽車」に「義侠熊田氏之碑」に関する話が載っていると教えて頂きました。

その話によると、当時藤井寺や道明寺周辺の農民たちは小作農が多く、耕したお米の半分以上を地主に収めていたため、低収入に悩んでいました。

その頃、河陽鉄道という現在の近鉄の前身の一つとなった会社が、柏原から富田林まで鉄道を敷くことになりました。これは現在の近鉄道明寺線と長野線の一部になります。

ここで熊田さんが登場します。熊田さんは河陽鉄道から土盛りの仕事を請負っていました。彼は困っている小作農の人たちがこの仕事をしたら生活も楽になるのではと考え、土盛りの仕事をやらないかと声をかけました。

農民たちは大変喜んで働いたといわれています。土盛りの仕事は7年近く続き、農民たちの暮らしは非常に潤ったそうです。

そこで作業に従事した農民たちは、 熊田さんに感謝の気持ちを長く伝えるために 「義侠熊田氏之碑」を建てました。

今のように仕事を好きなように選べる時代ではなかったでしょうから、仕事を紹介してくれたというだけで称える碑が建てられるというのは、当時の暮らしがいかに大変だったかが伝わってきますね。

ちなみに、「義侠熊田氏之碑」の台座となっている石は、古代に現地にあった衣縫廃寺と呼ばれる寺院の五重塔の心柱を支えた礎石が現地に残っていたものを再利用したようです。



義侠熊田氏之碑データ

住 所: 大阪府藤井寺市惣社2丁目4
アクセス:近鉄南大阪線土師ノ里駅から徒歩約15分
駐車場なし