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津堂城山古墳|失われた天井石を探して・・・〜藤井寺市・アクセス〜

津堂城山古墳

南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、藤井寺市にある「津堂城山古墳」です。百舌鳥古市古墳群の一つで、世界遺産推薦リスト「22」に登録されています。墳丘サイズは全長208mを誇る大型の古墳。地理的には百舌鳥古市古墳群において最北に位置します。



津堂城山古墳とは

津堂城山古墳

津堂城山古墳は全長208m、高さ16.9mの4世紀後半に築造された前方後円墳。

前方後円墳

津堂城山古墳の建造は、百舌鳥古市古墳群の中では一番古い古墳と言われています。1912年に後円部より竪穴式石室と長持型石棺、鏡や鍬などの副葬品が見つかっており、宮内庁より一部が「藤井寺陵墓参考地」として指定。

津堂城山古墳

墳丘だけで200m規模の古墳だと大王クラスの人物が埋葬されている可能性が高く、宮内庁では「允恭天皇」の陵墓と推定していますが、允恭天皇では時代的に整合性が合いません。




現在は墳丘と内濠しか残っていませんが、本来は外濠が存在し、二重の周濠を持つ全長400m超の古墳でした。現在は開発されて住宅地となっていますが、上空から見るとその面影がわずかに伺えます。

津堂城山古墳

津堂八幡神社

津堂八幡神社

津堂城山古墳の後円部には「津堂八幡神社」が存在します。社伝によると1331~35年に大阪府松原市小川にある深居神社から分祀され、現在地より少し北側に建てられたといわれています。

戦国時代の真っただ中の1566年には河内まで勢力を伸ばしてきた三好氏の重鎮、三好康長が津堂八幡神社を祈祷所としています。

津堂八幡神社

当時の津堂城山古墳は河内守護の居城である高屋城を守るために「小山城」として改造されていました。小山城に近く、津堂八幡神社が戦いの神である応神天皇を祭っていた事が祈祷所として選ばれた理由かもしれません。

1575年に始まった織田信長の高屋城攻めにより前哨基地である小山城は落城。その巻き添えをくらい津堂八幡神社も焼失してしまいます。高屋城で信長に抵抗していた三好康長も抵抗むなしく信長に降伏してしまいます。

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その後、津堂八幡神社は再建されますが1716年に大和川の氾濫により社殿が崩壊したため、1720年に津堂城山古墳の後円部に移されます。

これで落ち着いたのかと思いきや1906年神社合祀の勅令により、直ぐ近くにある産土神社に合祀されてしまいます。それから40年以上経った1950年に現在の場所に再び社殿が建立されて、ようやく落ち着いたという河内ならではの波瀾万丈な歴史を持ちます。

石棺上部を保護していた7枚の天井石

古墳の後円部北にある「史跡城山古墳ガイダンス棟「まほらしろやま」」には津堂城山古墳から出土した幅348m、高さ188を誇る長持型石棺のレプリカが展示されています。

津堂城山古墳

史跡城山古墳ガイダンス棟「まほらしろやま」

津堂城山古墳

長持型石棺レプリカ

出土した石棺の上部には石棺を保護するために天井石と言われる大きな7枚の石板が存在しました。この石板の出土が竪穴式石室発見につながったのです。

津堂八幡神社が1906年の神社合祀の勅令により産土神社に合祀さ。社殿が失われた津堂村では津堂城山古墳に神社があった記念として石碑を建てる事になりました。

神社合祀の勅令は地元の意向を無視して強引に進められた事もあり、村人にとって記念碑を建てる事はささやかな抵抗だったのかもしれません。

昔から津堂城山古墳の頂上部には大きな石が見えていた事から、これを利用しようと村人たちは大きな石を掘り出すことになります。津堂城山古墳

村人たちが掘り起こしていくと大きな石は合計7枚見つかり、その下にはどうやら部屋があるという事が分かります。それこそが長持型石棺の安置されている竪穴式石室だったのです。後円部から見えていた大きな石は石室を保護するための天井石でした。

ほとんど注目されていなかった津堂城山古墳に研究者達が集まり、謎が多い古墳の研究に大きく貢献します。古墳の規模や発掘されたものから大王級の墓だという事がわかり、古墳後円部の一部は宮内庁が管理する古墳となります。




その後、発掘された7枚の天井石は、何故か保存されることなく様々な活用をされていきます。

・2枚は埋め戻される
・民家の庭石
・津堂八幡神社の記念碑
・津堂八幡神社の記念碑の基礎石
・葛井寺の忠魂碑
・小山善光寺の敷石
・専念寺の庭石

このうち津堂八幡神社の記念碑と基礎石、民家の庭石には保存処理をされてガイダンス棟前に展示しています。

津堂城山古墳

上から津堂八幡神社記念碑、民家にあった庭石、記念碑基礎石と周辺にあった石

葛井寺の忠魂碑

葛井寺の忠魂碑

小山善光寺の敷石

小山善光寺の敷石

専念寺の庭石

専念寺の庭石

しかしこれだと合計8枚になり、7枚見つかったという話と合わなくなってきます。本当は8枚だったのか、埋め戻されたのが2枚ではなく1枚だったのか…その謎はいまだに解明されていません。

現在の津堂城山古墳

大王級の古墳と思われる津堂城山古墳ですが、城に改造されるなど原型は大きく失われています。しかし原型が失われて宮内庁指定から外れていた事から様々な発掘に繋がり古墳研究に大きく貢献したとも言えます。




現在、内濠は四季折々の花が咲く花畑になり、広場ではイベントが開催されるなど、藤井寺市の憩いの場として街に溶け込んでいます。

アクセスと駐車場

藤井寺駅

近鉄南大阪線「藤井寺駅」下車後、北側出口からでて北へ約15分ほどの場所にあります。

車の場合は、周辺にパーキングはありませんが、近くに「ふじみ緑地」の駐車場があるので、そこに止めるのがいいかもしれません。

周辺スポット

・小山善光寺

小山善光寺

津堂城山古墳から徒歩5分ほどの場所にあるお寺。長野県にある善光寺の元となったと言われているお寺です。

・産土神社

産土神社の拝殿

津堂城山古墳から徒歩5分ほどの場所にある神社。小山地区の氏神で素戔嗚命を祭っています。

・津堂八幡神社

津堂八幡神社

津堂城山古墳にある神社。三好康長が勧請したとも伝わっています。

津堂城山古墳データ


別名:藤井寺陵墓参考地
墳形:前方後円墳
築造時期:4世紀後半
住所:大阪府藤井寺市津堂
全長:208m
高さ:16.9m
埋葬:不明(宮内庁推定:允恭天皇)
埋葬の施設:竪穴式石室
古墳内立入:可能
備考:全国31位の規模

津堂八幡神社データ

住所:大阪府藤井寺市津堂
駐車場:なし
主祭神:品田和気命(応神天皇)



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