塚穴古墳(河内長野市) | ぶら古墳vol.7~河内長野市 アクセス~

塚穴古墳南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」第7回は河内長野市にある「塚穴古墳」です。



塚穴古墳の沿革

羽曳野市にも同名の古墳があるので間違えやすいところです。

塚穴古墳(来目皇子埴生崗上墓) | 悲運の皇子 来目皇子の墓 ぶら古墳 Vol. 3 〜羽曳野市〜


墳形は原型をとどめていない為、詳しい事はわかっていませんが15mほどの円墳だったと推察されています。円墳

かつて河内長野市にも多くの古墳が存在していましが、開墾や開発が進み、現存するのは烏帽子形古墳と塚穴古墳しか残されていません。

烏帽子形城城主の子孫はある上場企業の創業者だった・・・~河内長野市 烏帽子形城跡・公園・古墳・神社~ 






一説によると塚穴古墳は用明天皇の孫、高向王の墓であるとも伝えられています。高向と言えば河内長野市のゆるキャラ「くろまろくん」のモデル「高向玄理」が思い浮かびまがすが、高向玄理は聖徳太子の命により遣隋使・小野妹子に同行し留学した人物です。

高向玄理
くろまろの郷にある高向玄理

小野妹子が華道の祖!?そのキッカケとは ~太子町 小野妹子 墓 華道 池坊 ~


一方の高向王は聖徳太子の兄の子で、聖徳太子からみると甥にあたります。年代的には高向王と高向玄理は近そうですが、資料的には別人のようです。仮に高向王が埋葬されているならば、かなり皇室に近い人物の古墳となります。
中世に入ると塚穴古墳は、豊臣秀吉による大阪城築城の為、石室が石垣に利用されそうになりました。しかし古墳が解体され石が運び出される途中に怪奇現象が起こり元の場所に戻されたと伝わっています。
大阪城石室には石を割る際に入れたクサビの跡が残っており、その真実性がうかがえます。しかし古墳の石室に使われていた石を城の石垣にするとか、豊臣秀吉も祟られそうで嫌そうですけどね…

塚穴古墳の発掘調査では古墳内から中世の火葬された人骨、瓦、五輪塔などが見つかっていることから、江戸時代には石室を組み直して墓として利用されていたようです。

現在の塚穴古墳

塚穴古墳

現在の塚穴古墳は元の姿を留めておらず、内部が土に埋まった横穴式石室の入口が剥き出しになっています。周辺には大手チェーン店が建ち並ぶ賑やかな場所で、そこにポツンと古墳があるという不思議な光景です。

河内長野市に2つしか現存しない古墳という事で墳丘はキレイに整備され、周囲も舗装されて見学しやすくなっています。




墳丘の頂上部には内部調査で発掘されたと思われる五輪塔が建っており、古墳ながら不思議な姿をしています。
塚穴古墳石室はこの通り、土に埋まってしまい内部を見ることは出来ません。
塚穴古墳隣の敷地には塚穴古墳から発掘されたと思われる石片や地蔵が祭られています。
塚穴古墳「たたり」と「実利」の狭間で揺れ動いた塚穴古墳ですが、幸いな事に「たたり」が勝ち、運良く生き残る事ができました。

塚穴古墳には高貴な人が眠っていると言う伝説が塚穴古墳を守り続けたのですね。

アクセス

南海高野線、または近鉄長野線「河内長野駅」から南海バス乗車 「滝畑ダム」もしくは「高向」行きに乗車。「下高向」停留所から徒歩5分の場所にあります。

車の場合は国道170号線を花の文化園方面を目指して走ります。上原町の交差点を西に曲がると小さなこんもりとした小山が見えるのですぐにわかります。直ぐ近くには「道の駅 くろまろの郷」があるので、そこを拠点に訪れるのもいいかもしれませんね。

「道の駅 奥河内くろまろの郷」でしか楽しめない5つポイント~道の駅 くろまろの郷 アクセス~





塚穴古墳データ


墳   形:円墳?
築造の時期:不明
所 在 地:大阪府河内長野市上原西町19
全   長:15m?
高   さ:?
埋   葬:不明(高向王?)
埋葬の施設:横穴式石室
古墳内立入:可能