野中寺 | 重要文化財の弥勒菩薩像が可愛過ぎました ~羽曳野市 アクセス~

野中寺
羽曳野市にある野中寺では毎月18日に「銅造弥勒菩薩半跏思惟像」と「木造地蔵菩薩立像」が公開されています。

拝観料500円で、普段公開されていない重要文化財や歴史的に貴重な建物を拝観する事ができます。

以前の野中寺の記事では重要文化財ついて書けませんでしたので、今回は2つの重要文化財について紹介したいと思います。

ちなみに像の撮影は禁止なので雰囲気だけのレポートです!

銅造弥勒菩薩半跏思惟像

「銅造弥勒菩薩半跏思惟像」は野中寺の庭園内にある「方丈」という建物の中で拝観することができます。

「方丈」というものは1丈四方の広さ(約10㎡)を持つ小さな庵です。元々は寺の住職が住む用途として普及していましたが、室町時代以降は仏像などが置かれる本堂的な役割を持つようになりました。

鴨長明が晩年に書いた「方丈記」も京の郊外にある方丈から世間を観察した事から本のタイトルが来ています。

野中寺内にある方丈、比丘寮、沙弥寮、食堂は律宗本山野中寺道場の遺構の一つで府の文化財となっています。また方丈は郡山藩主の邸宅を移築したものと言われています。

寺務所受付で拝観料を払い、庭への入口をくぐると右側に方丈があります。そこで記帳をすると方丈へ案内していただけます。

方丈は南側が大きく開いて、庭園が一望できるようになっています。一人でなにか作業するにはピッタリの空間で、私もこんな方丈が庭に欲しいですね。庭なんてありませんが…

イメージでは自由に拝観して自由にでていくものだと思っていましたが、方丈に入るとまさかの座って「弥勒菩薩像」ご対面でした。重要文化財を間近で正座しながらご対面と言う事で少し緊張します。

像の隣にはお寺の方が座り「銅造弥勒菩薩半跏思惟像」の説明をして頂けます。事前に少しは調べていましたが、実物を前にレクチャーして頂くと重みがありますね。

「銅造弥勒菩薩半跏思惟像」は666年に作成されたと考えられており、飛鳥時代後期の特色を持つと言われています。持つ台座のふちに銘文が残されていますが、像が造られた時代や種類が刻まれている例は非常に珍しく、考古学的にも貴重な像との事。

小さな像とは聞いていましたが本当に小さくて精巧に作られていました。ほほに手を充てるしぐさが可愛く、原寸のフィギュアで欲しくなるレベルです。

「銅造弥勒菩薩半跏思惟像」ですが、ある時期、作られた時代も台に刻まれた銘文も怪しいとの説が浮上したそうです。しかし様々な資料や調査を行った結果、現在では飛鳥時代の作品という事でほぼ間違いないとされています。どこで何を言われるか分からないものですね・・・

木造地蔵菩薩立像

「木造地蔵菩薩立像」は「銅造弥勒菩薩半跏思惟像」を拝観した後、自由に見る事ができます。

江戸時代の初期、明正天皇が「木造地蔵菩薩立像」に皇子の無事な子育てを祈り、願いが叶った事から、安産子育地蔵尊として信仰を集めていました。

天皇が皇子の子育てを祈ると言うのはどういう事なのかと思いましたが、明正天皇は称徳天皇以来859年ぶりの女性天皇でした。江戸時代にも女帝がいたのですね。

明正天皇自身が子育てをするのではないでしょうが、母心として祈らずにはいられなかったのかもしれません。しかし、野中寺と皇室にどんな繋がりがあったのでしょうか?

「木造地蔵菩薩立像」は1本の桧を削って作ったと言う一木造り。内部をくり抜かずそのまま生かして作られているため、木材の状態によっては割れやすい特徴があるそうです。

左手の錫杖、右手の宝珠、背後の光背、着衣の文様から鎌倉時代の作と言われていますが、その他の個所では平安時代前期の特徴も見られることから10世紀後半に作られたという説が有力になっています。

こちらも本当に間近で拝観ことができます。銅造弥勒菩薩半跏思惟像と違いこちらは一般的なお地蔵様ぐらいのサイズですが、見上げる位置にあるので少し迫力があります。

地蔵堂の前には戦前まで国宝だった名残としての石碑が残っています。

まとめ

美術品について疎い私ですが、どちらも非常に素晴らしいと思える像でした。

特に「銅造弥勒菩薩半跏思惟像」は写真で見た時にはわからなかった「気品」と予想以上に小ぶりな像で愛らしさが印象的でした。

18日は野中寺の他にも葛井寺や道明寺でも国宝や重要文化財が公開されているので、併せて拝観してみてはいかがでしょうか?

青龍山 野中寺データ

住 所:大阪府羽曳野市野々上5丁目9番24号
駐車場:あり
アクセス:近鉄南大阪線 藤井寺駅より南へ15分

山 号:青龍山
宗 派:高野山真言宗
本 尊:薬師如来
開 祖:蘇我馬子・聖徳太子
札 所:聖徳太子霊跡5番
西国薬師四十九霊場14番