黒田神社 | となりの鎮守様シリーズVol.2~藤井寺市 アクセス~


昔から地域を守り続ける南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。第2回は藤井寺市にある「黒田神社」を紹介します。



黒田神社とは

詳しい創建はわかっていませんが、平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載されている事から、延喜式神名帳が編纂された927年より昔に創建されたことがわかります。

黒田神社の社伝よると「天御中主大神」を祭る前は、神武天皇の息子である「神八井耳命」を祭っていました。
黒田神社は第16代「仁徳天皇」の時代に「神八井耳命」の隠し廟所とされたそうです。廟所と言う事は「祭っている場所」、つまり墓の事だと思われます。

「神八井耳命」は初代天皇「神武天皇」の長男で、同母弟に「神渟名川耳」と異母兄の「手研耳命(タギシミミノミコト)」がいました。

神武天皇が亡くなった後、手研耳命は神八井耳命と神渟名川耳の殺害を図りますが、それを察知した二人は先に手研耳命を暗殺する事に。

襲撃の際、神八井耳命は手研耳命を弓で射ることをためらい、代わりに弟の神渟名川耳が弓で射殺したと言われています。この失態を恥じた神八井耳命は弟に皇位を譲り神渟名川耳は二代天皇「綏靖天皇」として即位します。

その後、神八井耳命は綏靖天皇を助け、子孫達は各地に一族を増やしていきました。黒田神社一帯は天皇直轄地である「志貴の県」と呼ばれ、ここを治めた「志貴県主(しきのあがたぬし)」は神八井耳命の子孫を称しています。

志貴県主は黒田神社の100mほど南にある「志貴県主神社」にて先祖である神八井耳命を祭っています。「志貴の県」において強い影響力を持つ志貴県主の影響から、黒田神社でも当初「神八井耳命」が祭られたのかもしれません。

主祭神の天御中主大神とは?

黒田神社は「天御中主大神」を祭る、関西では数少ない神社として知られています。主祭神である「天御中主大神」は、高天原に最初に誕生した三神の一人。ただ、現れたと言うだけで、何かするわけでもなくそのまま消えていったという謎の神様です。

天御中主大神は最初に生まれた神として八百万の神の頂点に立つ神ですが、天御中主大神を主祭神として祭っている神社は多くありません。




社伝よると48代「称徳天皇」の代に現在の主祭神である「天御中主大神」に変わったとあります。主祭神が変わった理由はわかりませんが、この時代には志貴県主が没落していたのかもしれません。

志貴の県は肥沃な土地として多くの米が穫れる地域でした。中世に入ると天御中主大神は稲の神として崇められ、黒田神社は「北條天神」または「北條天王」とも称していました。天神と言うと学問の神様である「菅原道真」になるんですが、それとは関係はないようです。

黒田神社は1872年に柏原、林、北條地区の産土神として「村社」の社格を得ています。

柏原黒田神社
柏原市にある「柏原黒田神社」

繋がりがある神社として、お隣の柏原市に「柏原黒田神社」が存在します。元々は塩殿神社と言う名前でしたが戦火で損壊していました。

1945年に復興のため、同市にある春日大社と黒田神社からそれぞれの祭神の合祀が行われ「柏原黒田神社」と名を改め再建されています。

まとめ

かつては5000坪(東京ドーム1個分)もの広大な境内を持ち、梅の名所でもあったそうです。現在はかつての約半分の広さですが、今でも緑豊かで美しい境内を見ることができます。



アクセス

黒田神社は近鉄南大阪線「土師ノ里駅」より北へ徒歩12分ほどの場所にあります。途中には藤井寺市で3番目に大きい「市ノ山古墳(允恭天皇陵)」。

市ノ山古墳(允恭天皇陵)| ぶら古墳 Vol. 10 〜藤井寺市 百舌鳥古市古墳群〜


市ノ山古墳から更に北へ向かうと衣縫孝女の墓がある「潮音寺」、市ノ山古墳の陪塚「宮の南塚古墳」、国府八幡神社。更に北上すると市ノ山古墳の陪塚「衣縫塚古墳」や「志貴県主神社」も存在します。

雄略天皇は英雄か?暴君?か 南河内ゆかりの地 〜雄略天皇陵・志貴懸主神社〜

古代河内の中心地だった名残を感じながらブラブラ散策するのもいいかもしれません。

黒田神社データ

住 所:大阪府藤井寺市北条町1-23
祭 神:天御中主大神・天照皇大神・武甕槌命
経津主神・天児屋根命・比咩大神
摂 社:天押雲根大神・稲荷大神・八幡大神・恵美須大神
旧社格:村社
式内社:式内小社