大津神社 | 港を管理した「津氏」とは? となりの鎮守様シリーズVol.4 ~羽曳野市 御朱印~

大津神社昔から地域を守り続ける神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。第4回は羽曳野市にある「大津神社」を紹介します。



津氏とは

大津神社大津神社は平安時代に編纂された延喜式神名帳にも記載されている由緒ある神社。百済の王族、辰孫王の末裔を称する「津氏」が創建したと言われています。

辰孫王は応神天皇の時代に王仁と共に百済からヤマト王朝へ招かれます。子孫達はその後も朝廷に仕え、津氏を始め船氏、葛井氏などに分かれていきます。

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3氏は羽曳野市、藤井寺市周辺を拠点とし、船氏は野中寺、葛井氏は葛井寺で先祖を祭りました。「日本後記」によると野中寺の南に「寺山」と称するは3氏の共同墓地があると記されています。野中寺の南には、かつて善正寺と言う寺があり「寺山」と関係が指摘されています。

大津神社の詳しい創建は不明ですが、津氏が祖先を祭る為に創建したのではないかと考えられています。

津氏の役割

大津神社「津」と名がつく事から津氏は港に関わる役割を担っていたようです。古墳時代、南摂津から北河内周辺は、淀川と大和川から流れる水が溜まった「草香江」と呼ばれる湖が広がっていました。

仁徳天皇は難波宮の北に草香江と瀬戸内海を繋ぐ「難波堀江」と呼ばれる運河を掘削しました。瀬戸内海から訪れる人や物資は草香江へ入り、大和川の支流から南河内を始め各地に人や物が行き交いました。




大和川の支流にも物流経路があり、港がいくつもあったと思われます。かつて松原市から羽曳野市にかけて「古市大溝」と呼ばれる水路がありました。日本武尊陵とされる白鳥陵古墳から仲哀天皇陵である岡ミザンザイ古墳近くを通過。大津神社付近から島泉を通り、東除川に通じていたと言われています。

古市大溝
古市大溝があった付近

古市大溝の利用目的は運河とも灌漑用とも言われていますが、運河だとすると津氏は船着き場の管理なども行っていたのかもしれません。

現在の大津神社

大津神社津氏は後に「菅野」と改称し大和へ移住すると、津氏の先祖を祭る役割が薄れていきました。中世に入ると周辺の村々の氏神とされ「河内の大宮」と称されていたそうです。

江戸時代には「牛頭天王」を祭っていましたが、明治に入り天日鷲命、素戔嗚尊とその妻である奇稻田姫命を祭っています。天日鷲命はあまり聞かない神様ですが、大漁、開墾、殖産の神様として知られています。

大津神社
大津神社内にある「大宮稲荷社」

天日鷲命は「鷲」と言う文字が名前にあるように、鷲にまつわるエピソード存在します。神話によれば素戔嗚尊の暴れっぷりに天照大神キレてが天岩戸に隠れ、暗闇の世界が訪れると言う事件勃発。

天照大神を天岩戸から引きずり出す為に神々が踊り、その際に弦楽器を奏でたのが天日鷲命でした。天日鷲命が曲を奏でると弦の先に鷲が止まり、世を明るくする吉兆とされます。その事から天日鷲命の名に「鷲」が加えられたという逸話を持ちます。

大津神社
大津神社内にある「大宮辯天宮」

しかし考えてみたら、この騒動を引き起こした素戔嗚尊と、問題解決に貢献した天日鷲命を一緒に祭ると言うのはいいのだろうかと思ったり思わなかったり…こういう所が大らかなのが日本らしくていいですね。



アクセス

最寄り駅は近鉄南大阪線「高鷲駅」より3分ほど南へ歩いたところにあります。駐車スペースはもしかしたらあるのかもしれませんが、確認はできませんでした。大津神社御朱印

大津神社データ

住 所:大阪府羽曳野市高鷲8丁目1−2
祭 神:素盞嗚尊、奇稻田姫命、天日鷲命
摂 社:大山咋命、菅原道真
旧社格:村社
式内社:式内小社