菅生天満宮 | 菅原道真が生まれた澤とは? となりの鎮守様シリーズVol.6 〜堺市美原区 アクセス 御朱印〜

昔から地域を守り続ける神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。第6回は堺市美原区にある「菅生天満宮」です。




実は菅生天満宮には「菅原道真が生まれたと言われた澤」と言う場所があります。何となくツッコミたくなる部分もありますが、菅原道真が生また澤とはどんなものなのか…今回は堺市美原区にある「菅生天満宮」を紹介します。

菅生天満宮とは

菅生天満宮古代、この地は沼地が多く菅(すげ)が一帯に生えていたため「菅生(すごう)」と称されるようになったそうです。菅生天満宮は主祭神として菅原道真と天児屋命を祭っています。社伝によると、菅生周辺を治めいていた「中臣氏」が地名から「菅生氏」を名乗り、祖先を祭る為に創建したと伝えられています。

平安時代に182氏を出自毎に分類した「新撰姓氏録」によると中臣氏は「神別」に分類され、天児屋命を先祖に持つ古い一族になります。




中臣氏は祭祀などを司る一族として繁栄し、その中でも中臣鎌足、後の藤原鎌足は中大兄皇子杜と共に大化の改新を行った人物として特に知られています。

菅生天満宮の名前は「新抄格勅符」と言う文献に「孝謙天皇、天平宝字八年(759年)本国封一戸を充て奉る」とあり、759年以前には創建されていたと考えられています。菅生天満宮延喜式神名帳では「大社」に選ばれており、昔から格式高い神社だったようです。鎌倉時代末期から室町時代にかけての1334年と1341年の2回兵火にあい、社殿が全て焼失。しかし残った一族が神社を再興し現在に至ります。

菅原道真単純の澤とは?

本殿左手に菅原道真が誕生したとされる「菅澤」は存在しています。社伝によると菅生天満宮内にあった神宮寺「天門寺」の僧が「菅原道真は菅澤のほとりから突然生まれた!」と言う説を唱え、菅生天満宮と称するようになったようです。
菅生天満宮おそらく天満宮が流行ったが時に、ブームに乗るキッカケが必要で言い始めたと思われます。しかしそんな事を言い出して北野天満宮さんとかに怒られたりしなかったんですかね…
菅生天満宮わりと珍説扱いなのか境内にも菅澤の碑がある以外に解説されたものはありません。あまりこういう部分を強調してしまうとB級スポット感がでてしまうので、この距離感がいいのかもしれません。

しかし、突然澤から菅原道真が産まれるとう発想が中々強引で、想像すると少し面白いですね。

現在の菅生天満宮

正面には鳥居ならぬ山門が建てられています。これは神宮寺であった「天門寺」の名残。
菅生天満宮本殿は1661年に創建された一間社春日造で、堺市指定有形文化財に指定されています。周囲は壁で囲まれかなりの規模を感じます。

拝殿前には天満宮でお馴染みの「牛」が置かれています。道明寺天満宮の撫で牛と異なり柵で囲まれています。
菅生天満宮
菅生天満宮には明治時代の神社合祀政策により近隣41の村から合祀されている為、境内には非常に多くの摂社を有しいます。

本殿左手にある「余部神社」ではスサノオと誉田別命こと応神天皇が祭られています。美原には余部という場所があるので、元々はその地の氏神を祭る神社だったのかもしれません。応神天皇を祭っている為、こちらは八幡宮になります。
菅生天満宮本殿右奥の恵比須神社。建物はなんと元々は神宮寺「天門寺」だったもの。明治時代の廃仏毀釈により全国の神宮寺は数多く取り潰されています。しかし、このように姿が残されているパターン非常に珍しいですね。
菅生天満宮帰り際に歌が刻まれた石碑があったので、菅原道真が歌った歌が刻まれているのかと思い読んで見ると
菅生天満宮多分、菅原道真が歌った歌ではないでしょうが、なかなか脱力系で素敵です。



アクセス

最寄駅は南海高野線「北野田駅」下車、近鉄バスに「東野」下車、徒歩3分。車の場合は駐車場はかなり広い駐車場があります。

菅生天満宮データ

住 所:大阪府堺市美原区菅生178−1
駐車場:あり
祭 神:菅原道真・天児屋根命
合祀神:天照大御神・須佐之男命・誉田別命・安閑天皇
旧社格:郷社
式内社:式内大社