羽曳野市 羽曳野市の古墳

栗塚古墳|日本書紀の不思議な赤馬物語の舞台?〜羽曳野市〜

栗塚古墳の全景

南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、羽曳野市誉田にある「栗塚古墳」です。百舌鳥・古市古墳群の一つで、世界文化遺産「35」に登録されています。(2020年11月更新)

栗塚古墳は、応神天皇の陪塚とされている古墳です。日本書紀には、応神天皇陵を舞台とした不思議な赤馬のお話が登場しますが、この舞台は応神天皇陵ではなく栗塚古墳ではないかとの説も…その不思議な話とはどのような話なのか?そして舞台となったのはどの古墳なのか?。今回は羽曳野市誉田にある「栗塚古墳」を紹介します。

栗塚古墳とは

栗塚古墳は、一辺43m、高さ5mの方墳。墳丘は二段に築成され、周囲には幅7.5m、深さ0.7mほどの周濠が存在しました。出土した円筒埴輪の種類などから、5世紀前半に築造されたと考えられています。

栗塚古墳は方墳

住宅開発の際に行われた周濠の調査から、堤上に円筒埴輪が見つかっています。また、濠の中から蓋形(きぬがさ)、家、鶏、犬、馬、人物、盾、囲形などの形象埴輪が出土。発見された埴輪の状態から、自然倒壊ではなく、廃棄された可能性があるとのこと。周濠からは、河原石が見つかっており、墳丘には、葺石が施されていたようです。栗塚古墳は「応神天皇陵ろ号陪塚」に指定されており、宮内庁が管理。応神天皇陵の外堤と平行して築造されていることから、応神天皇陵の陪塚と考えられています。

応神天皇陵の隣にある栗塚古墳

日本書紀に記された不思議な話の舞台?

応神天皇陵にまつわるエピソードがに登場しますが、立地や規模などから「栗塚古墳」を指すとの説があります。エピソードは雄略天皇の時代「田辺史伯孫(たなべのふひとはくそん)」に起こった、ちょっと不思議な出来事です。田辺史は、現在の柏原市国分町を本拠地とする、渡来系の豪族といわれています。

田辺史伯孫を祭る国分町にある伯太彦神社
田辺史伯孫を祭る国分町にある「伯太彦神社」

田辺史伯孫の娘は、古市群(現在の羽曳野市古市)に住む「書首加竜(ふみの おびとかりょう)」に嫁いでいました。ある日、田辺史伯孫は娘の出産を祝いに書首加竜の家を訪問。出来事は、帰途につく月夜の晩に起こりました。

馬で帰宅中の田辺史伯孫は、誉田陵(応神天皇陵)の近くで立派な赤馬にまたがった人物と遭遇。赤馬は、大きな体格と俊敏な動きを見せ、田辺史伯孫の馬と走り比べると、あっという間に見えなくなるほどに。

赤馬が欲しくなった田辺史伯孫ですが、その人物はなんと馬を交換しましょうかと提案。喜んで馬を交換した田辺史伯孫はたいそう喜び、赤馬を走らせ自宅に戻りました。翌朝、厩につないでいた赤馬をみると、驚くことに「埴輪の馬」に変わっているのです。

馬の埴輪レプリカ

不思議に思った田辺史伯孫は、誉田陵に向かうと陵に並んだ埴輪の間に自分の馬がいるのを発見。田辺史伯孫は、自分の馬を連れ戻し、その場所に埴輪の馬を戻したということでした。日本書紀においては「誉田陵(応神天皇陵)から馬を連れ戻した」と書かれていますが、応神天皇陵は巨大でかつ、2重の堀りと堤を有していました。

誉田御廟山古墳(応神天皇陵)
応神天皇陵の内堤

堤に登り、埴輪を入れ替えるのは大変な作業です。そう考えると、応神天皇陵のすぐ横にある栗塚古墳は、規模感からも埴輪の入れ替えやすいのではないでしょうか。また古市郡から飛鳥戸郡への帰途には、東高野街道を通った可能性が考えられます。栗塚古墳は、東高野街道に面しているのも、このエピソードが栗塚古墳と考えられる理由の一のようです。

東高野街道
東高野街道碑

実際に、栗塚古墳からは馬型埴輪も出土しています。本当にあった話なのか、田辺史伯孫が酔っ払っていただけなのか…実際はどうだったのか気になるところです。

現在の栗塚古墳

もともと応神天皇陵の周囲には、数多くの小型古墳が存在していました。少し北側にも盾塚、鞍塚、珠金塚古墳なども存在しましたが、開発により消滅しています。

盾塚古墳
復元された盾塚古墳

栗塚古墳は、古市古墳群によくある「周囲を住宅に囲まれている」パターンですが、ここはとくに囲まれ過ぎています。北、西、南を住宅に、東は会社に囲まれています。ただ会社前面が少し開けているので、東側から古墳の一部をみることが可能。

栗塚古墳

とはいえ、会社の私有地には入られませんので、道から少し離れて見るしかできません。かろうじて宮内庁の石碑が確認できるのが、古墳らしいところでしょうか。

栗塚古墳

何というか「オラオラ、見せもんじゃね~よ、帰んな!」とう若干殺伐とした雰囲気を感じさせます。(あくまでも超個人的な感想です。)近くの東馬塚古墳は開けた感じがしますが、栗塚古墳は窮屈な感じなので、拗ねているのかもしれません。案内板でもがあれば、もう少し興味を持つ人も増えるのかもしれませんね。

栗塚古墳データ

古墳名栗塚古墳
宮内庁名称応神天皇陵ろ号陪塚
住所大阪府羽曳野市誉田6丁目6
墳形方墳
一辺43mm
高さ5m
築造時期5世紀前半
埋葬施設不明
被葬者不明
参考資料・古市古墳群をあるく【久世仁士】
・羽曳野市史3
・日本書紀

アクセスと駐車場

公共交通機関
近鉄南大阪線「古市駅下車」。駅から西に向かい、国道170号旧外環線線にでます。旧外環状線を北に少し歩くと、左側に誉田八幡宮方面に続く東高野街道に入ります。道なりに歩くと、東高野街道の石碑がある二又にでるので右側の道を直進。少し歩くと左側に栗塚古墳が存在します。

自動車
栗塚古墳に駐車場はありませんが、近くにコインパーキングが存在します。国道170号外環状線「西古室交差点」を東に曲がります。道なりに走り、西名阪自動車道の高架下をくぐったところを右折。そして最初の交差点を右折して道なりに進むとテニスコートがあり、右側にコインパーキングがあります。栗塚古墳近くは道が非常に狭くなっているため注意が必要です。

周辺スポット

応神天皇陵/誉田御廟山古墳
応神天皇陵の遥拝所へは、栗塚古墳から徒歩5分ほどの場所に存在。全国で2番目の規模を誇る巨大前方後円墳です。世界文化遺産に登録。

二ツ塚古墳
栗塚古墳から徒歩2分ほどの場所にある古墳。応神天皇陵よりも前に存在したとされる前方後円墳。応神天皇陵に食い込むように存在することから、応神天皇に近い人物が埋葬されていると考えられています。世界文化遺産に登録。

東馬塚古墳
栗塚古墳から徒歩2分ほどの場所にある古墳。栗塚古墳と共に応神天皇陵の陪塚に指定されている方墳です。2019年7月、世界文化遺産に登録。

大鳥塚古墳
栗塚古墳から徒歩5分ほどの場所にある古墳。古市古墳群になかでも中に入られる数少ない前方後円墳です。第二次世界大戦時に戦闘機を保護するために作られた掩体壕の痕跡が残ります。

誉田八幡宮
栗塚古墳から徒歩5分ほどの場所にある神社。応神天皇は八幡神とされ、八幡宮の中では最古の神社として知られています。

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