墓山古墳 | ぶら古墳 Vol.29 〜羽曳野市 百舌鳥古市古墳群〜

墓山古墳南河内にある素敵な古墳を紹介していく「ぶら古墳シリーズ」。第29回は羽曳野市にある「墓山古墳」を紹介します。

墓山古墳について

墓山古墳は百舌鳥古市古墳群の一つで、世界遺産推薦リスト「38」に指定されています。墳丘の全長は225m、高さは20.7mで5世紀前半に築造されたとされる前方後円墳。羽曳野市にある古墳では2番目、古市古墳群の中では5番目に大きい古墳になります。




宮内庁より「応神天皇陵ほ号陪冢」として応神天皇陵の陪塚に指定されています。ただ200mを超える古墳となれば大王クラスが埋葬されているのではと言われています。

応神天皇陵
応神天皇陵

宮内庁が管理している部分は墳丘だけですが、周濠と堤も含めて国の史跡に指定されています。宮内庁の管理と国の史跡が重なる古墳は珍しいとの事。

古墳からは勾玉、円筒埴輪、形象埴輪などが出土。埋葬施設は中心部に竪穴式石槨が造られ、長持形石棺が納められていたと伝わっていますが、実際のところは確認されていません。

陪 塚

墓山古墳は応神天皇陵の陪塚とされていますが、墓山古墳にも陪塚と考えられている古墳が4基存在しています(1基は消滅)。

・向墓山古墳

墓山古墳の東側にある方墳。墓山古墳が築造されたとき、計画的に向墓山古墳も築造されたと考えられています。向墓山古墳とは二ヶ所の土橋で墓山古墳の外堤とつながっていた事が分かっています。

向墓山古墳 | ぶら古墳 Vol.21 〜羽曳野市 百舌鳥古市古墳群〜

・西墓山古墳

墓山古墳の西側にあった方墳。マンション建設の際に古墳があることが判明したそうですが、マンション建設前から既に墳丘は消失していたそうです。西墓山古墳の発掘調査の結果、人が埋葬されていた形跡はありませんでしたが大量の鉄剣が出土しています。

・浄元寺山古墳

墓山古墳の西側にある方墳。墓山古墳に隣接し、墓山古墳の外堤沿ってに水平に築造されています。

浄元寺山古墳 | ぶら古墳 Vol.11 〜藤井寺市 百舌鳥古市古墳群〜

・野中古墳

墓山古墳の北側にある方墳。この古墳からは11領の甲冑が出土しています。

野中古墳 | ぶら古墳 Vol.20 〜藤井寺市 百舌鳥古市古墳群〜

浄元寺山古墳も向墓山古墳もこの時期における最大級の方墳。また、西墓山古墳、野中古墳からは大量の鉄器が見つかっています。

この時代、鉄を大量に保有する事は権力の証でもありました。この事から墓山古墳にはかなりの力を持った大王級の人物が埋葬されている可能性があります。

現在の墓山古墳

墓山古墳墓山古墳は巨大な古墳なだけに全体を眺めたいところですが、駅近という立地のため周囲は住宅に囲まれています。

古墳を観察するポイントは東側の後円部と西側の前方部の2カ所になります。南北の側面にも細い道があるのかもしれませんが、訪問時には確認できませんでした。

後円部には案内板があり、周濠には水が満たされているのが確認できます。後円部側は建物が多く、墓山古墳全体を把握しにくい難い場所になっています。墓山古墳
前方部側にも墓山古墳の案内板があります。こちら側は比較的開けているので全体よくを観察できます。ただ、墓地の中を抜け、細い道の先にあるため、少し分かりにくい場所にあります。墓山古墳
また、前方部側には浄元寺山古墳が存在します。西墓山古墳もこの近くに存在しましたが、現在は消滅しています。

浄元寺山古墳
浄元寺山古墳

墓山古墳は三段構成になっており、それぞれのくびれ部分に「造り出し」とよばれる出っ張りを持ちます。藤井寺市にある市ノ山古墳(允恭天皇陵)は墓山古墳とスタイルと共にサイズもほぼ同じに造られています。

古墳は土師氏などの専門集団が築造しており、同じ設計図を基に築造されたのかもしれません。ただ、横から見てもわからないのが残念な限りです。

調査がされないのでわかりませんが、どんな有力者が埋葬されているのか、非常に気になる古墳の一つですね。



アクセス・周辺の見どころ

墓山古墳と言う名前だからかは、分かりませんが、墓山古墳の周囲には墓地が多く存在します。

その中でも墓山古墳の南側にある墓地には、桃井春蔵の墓があります。桃井春蔵は江戸三大道場の一つ「士学館」4代目館主で、幕末に活躍した南河内にゆかりの深い人物です。

桃井春蔵 | 大久保利道の代筆も務めた剣豪と南河内 ~羽曳野市・千早赤阪村~





墓山古墳データ

古   墳:墓山古墳
墳   形:前方後円墳
築造の時期:5世紀前半
所 在 地:大阪府羽曳野市白鳥3丁目583
全   長:225m
高   さ:20.7m
埋   葬:不明