白鳥神社 | 中々落ち着けなかった古市の氏神様 となりの鎮守様シリーズVol.7 〜羽曳野市〜

白鳥神社昔から地域を守り続ける神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。第7回は羽曳野市にある「白鳥神社」です。

白鳥神社の由来

白鳥神社社名の「白鳥」は日本武尊の「白鳥伝説」が由来と思われます。




古墳時代、日本武尊(ヤマトタケル)は苦難の末に東国を平定。帰路につく際に伊吹山の神と対決しますが、逆に祟られて病に犯されます。弱った体のまま大和を目指しますが、三重にて死去。

三重に陵を築き埋葬されますが、日本武尊は白鳥となり大和方面へ飛びさります。一度、奈良の御所に立ち寄った後、羽曳野市古市に留まり、天に昇ったと伝わっています。

白鳥神社は元々、軽里にある伊岐谷に存在し、「伊岐宮」と呼ばれていました。一説には日本武尊の陵とされる「白鳥陵」の墳頂にあったとも言われていますが、定かではありません。

白鳥陵古墳
白鳥陵古墳

「伊岐宮」では日本武尊が祭られており、白鳥神社という名前も、日本武尊の白鳥伝説が由来と考えられています。

災難に見舞われる「伊岐宮」

その後の「伊岐宮」は幾度も災難に見舞われる事に。南北朝時代から戦国時代の戦火で社殿が焼失し、同じ軽里にある「峯ヶ塚古墳」に小さな祠を建て再建されます。

峯ヶ塚古墳 | ぶら古墳 Vol.26 〜羽曳野市 百舌鳥古市古墳群〜


南北朝時代の南河内は南朝方の最前線として幾度も合戦が行われています。また、応仁の乱では河内守護を巡り古市周辺でも激戦が繰り広げられていました。

誉田八幡宮 | 日本最古の八幡宮は数々の激戦地だった。~ 羽曳野市 誉田八幡宮 御朱印 アクセス ~


戦国時代に入ると、河内の支配をめぐり三好氏と織田信長が対立。古市にある高屋城では織田軍と三好軍による「高屋城の戦い」があり、周辺の神社仏閣の多くが焼失しています。白鳥神社の前身である「伊岐宮」も被害を受けずにはいられなかったようです。

高屋城の戦い | 織田信長が羽曳野にやって来た!〜羽曳野市 高屋城(安閑天皇陵)〜


1596年には慶長大地震が発生。この地震は規模が大きく、京都にある伏見城の天守閣は崩壊。京や堺でも1000人以上の死者が出たと言われています。

せっかく「峯ヶ塚古墳」に再建された「伊岐宮」も慶長大地震で倒壊し、しばらくは放置されていたそうです。




寛永年間(1624-43)の末期に、現在の場所に移築。「白鳥神社」と社名を改め古市村の産土神社として現在に至っています。

現在の白鳥神社

白鳥神社少し坂を登ると広めの空間があり、社殿が現れます。不思議なことに、宮司さんが常駐していないようで無人の神社。誰が管理しているのでしょうか?白鳥神社

本殿には「伊岐宮」の額が掲げられ、文字のかすれ具合から歴史を感じさせます。
白鳥神社その横には、昭和4年に奉納された、楠木正行のエピソードに関する絵ありました。直接、白鳥神社とは関係ありませんが、近くの誉田八幡宮から楠木正行は出撃し、足利方と藤井寺合戦を展開しています。
白鳥神社

激闘!藤井寺合戦と楠木正行~ 藤井寺市 葛井寺 旗掛けの松~


楠木正行は、天皇に尽くた忠国の英雄として讃えられていた時代背景が関係しているのかもしれません。

実はこの白鳥神社、古墳の上に建てられている説があります。白鳥神社古墳という名前で、本殿周辺を後円部、古市駅周辺を前方部と見立てる前方後円墳だそうです。

確かに白鳥神社が建つ部分は小高く盛り上がっているので、古墳だったと言われればそんな気もしてきます。
白鳥神社ただ、後円部周辺の調査ではいくつかの埴輪は見つかっていますが、古墳の遺構は見つかっていません。そもそも古墳ではないとも言われています。

白鳥神社南河内の神社仏閣は数々の戦火に巻き込まれて荒廃するケースが多くあります。しかし、白鳥神社は、峯ヶ塚古墳の小さな祠から、現在の立派な社殿にグレードアップするという少しレアなケースかもしれません。



アクセスと周辺スポット

近鉄南大阪線「古市駅」と隣り合っているので、徒歩で2分もかかりません。ただ、正面の参道から入る場合は、少し回り込む必要があります。

白鳥神社の周辺は竹内街道と東高野街道が交差する交通の要衝です。そのため、飛鳥時代に創建された西琳寺や、河内国守護の居城であった高屋城跡(安閑天皇陵)など、歴史ある史跡も残されています。

西琳寺 | 繁栄と荒廃 時代の荒波を乗り越えて・・・ ~羽曳野市 西琳寺 アクセス ~

白鳥神社データ

住 所:大阪府羽曳野市古市1丁目1-18
駐車場:近くにコインパーキングあり
主祭神:日本武尊、素戔嗚命、稲田姫命
旧社格:村社
式内社:なし