葛井寺の変わったご利益「あかん河内の葛井寺」とは?~藤井寺市~

葛井寺国宝「十一面千手千眼観世音像」で有名な「紫雲山 葛井寺」。実は葛井寺には「あかん河内の葛井寺」と言うニックネーム(?)があるのをご存知でしょうか?このニックネームには葛井寺の歴史にもまつわるユニークな逸話が元となっています。



葛井寺とは

葛井寺の創建は渡来人に深い関わりがあります。応神天皇の時代、百済の王族「辰孫王」が渡来し、子孫は日本に帰化。その後、子孫は白猪連、津連、舟連などに枝分かれします。

720年、白猪連は葛井連と改姓。葛井連は、新しい文化をもたらした功績により広大な土地を賜ります。この土地に祖先を祭るため寺を建立したのが創建とされます。ただ、この時代は「葛井寺」ではなく「剛林寺」と称していたようです。




725年に聖武天皇の勅願により国宝ともなっている「十一面千手千眼観世音像」が造られ、行基により開眼されます。

その後、葛井氏の朝廷における地位が低下したのか、寺は一時荒廃していました。しかし、葛井道依の娘である葛井藤子が平城天皇の妃となり阿保親王が生まれると状況がかわります。

阿保親王 Wikipediaより

阿保親王は政変に巻き込まれた後、現在の松原に移り住みます。阿保親王は807年に荒廃していた母親の氏寺「剛林寺」を再建したと伝わっています。

阿保親王と毛利家の意外な関係 〜 松原市 – 阿保神社 – 芦屋市 – 阿保親王陵 アクセス 御朱印〜


しかしいつの間にか、再び剛林寺は荒廃してしまいます…「あかん河内の葛井寺」の由来はこの後のお話になります。

あかん河内の葛井寺とは

葛井寺このエピソードは、平安時代の明日香住む「藤井安基」と言う人物が主人公です。安基は、奈良から河内にかけて暴れまわる厄介者で、多くの人に嫌われていました。




1096年、嫌われ者の安基が、葛井寺に追われるように逃げ込こんだ時の事。これまでの悪行を知っていた本尊の千手観音により、安基は金縛りをかけられてしまいます。

動けず食べることもできなくなった安基は、とうとう力尽きて地獄行きに。地獄で初めてこれまでの悪行を反省していると、再び千手観音が出現します。

千手観音は「今後は人のために尽くすように」と言い残すと、葛井寺(剛林寺)の境内に安基を蘇らせます。改心した安基は、観音様に感謝し荒廃していた葛井寺(剛林寺)を修復し再興したと言われています。葛井寺 藤まつり

そのような事から、安基のような大阪弁で言う「あかん奴」を助けてくれる寺、「あかん時」に助けてくれる寺として「あかん河内の葛井寺」と呼ばれるようになったそうです。

ちなみに藤井安基が生き返った際、葛井寺の本堂横にある井戸の水を飲むと、安基は目が輝き全身に力がみなぎったとの逸話があります。この井戸は弘法大師が自ら掘った井戸だった事から、これ以降、目の治療と心を開かせ開眼させる水として有名になったそうです。

皆さんも、どうにも「あかん時」がくるかもしれません。そんな時は、葛井寺にお参りしてみるのも良いかもしれませんね。



紫雲山 葛井寺データ

住 所:大阪府藤井寺市藤井寺1丁目16番21号
駐車場:南側にコインパーキングあり
参拝時間:8:00~17:00
アクセス:近鉄南大阪線藤井寺駅下車、徒歩5分

山 号:紫雲山
宗 派:真言宗御室派
本 尊:十一面千手千眼観世音菩薩
開 祖:行基(寺伝)
札 所:西国三十三所第五番
河内西国三十三所特別客番
神仏霊場巡拝の道 第59番
楠公史跡河南八勝

文化財:
【国宝】乾漆千手観音坐像(本堂安置)※拝観料500円
【重要文化財】葛井寺四脚門(切妻造、本瓦葺)
【府指定文化財】石造灯籠・金銅宝塔
【市指定文化財】聖観音菩薩立像・地蔵菩薩立像