清寧天皇陵(白髪山古墳) | 白髪の天皇を祭る少し変わった前方後円墳 ぶら古墳 Vol.38 〜羽曳野市 百舌鳥古市古墳群〜

清寧天皇陵(白髪山古墳)南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。第38回は羽曳野市にある「清寧天皇陵(白髪山古墳)」です。百舌鳥古市古墳群の一つですが、世界遺産推薦リストには登録されていません。



清寧天皇陵(白髪山古墳)について

前方後円墳清寧天皇陵は全長115m、高さは11mの前方後円墳。規模的には羽曳野市で5番目の大きさを誇ります。出土した埴輪の破片から築造時期は6世紀前半と考えられています。埋葬施設など詳しい事は分かっていません。

清寧天皇陵(白髪山古墳)

調査により元々は二重の濠を持つ古墳だったと判明しています。宮内庁から清寧天皇の陵と治定されているため、古墳内に入る事はできません。



 

陪塚として、清寧天皇陵の東側に存在する「小白髪山古墳」が存在します。小白髪山古墳は46m、高さ10mの前方後円墳。清寧天皇陵と同じく6世紀前半に築造され、かつては周濠も備えていたそうです。

小白髪山古墳
小白髪山古墳

小白髪山古墳は、清寧天皇陵と同じ向きに1直線に並んでいます。この事から小白髪山古墳には、清寧天皇陵の埋葬者に近い人物が埋葬されていると考えられています。

清寧天皇陵の特徴は前方部が後円部に対して2倍近い幅を有している点です。これほど前方部と後円部の幅に差がある前方後円墳は、古市古墳群に存在しません。清寧天皇陵(白髪山古墳)

こちらは隣にある「白鳥陵古墳」です。同じ前方後円墳である白鳥陵古墳と比較しても、前方部がかなり広くなっているのがよくわかります。前方後円墳もそれぞれに個性があるのが面白いところですね。

白鳥陵古墳

清寧天皇とは

清寧天皇陵(白髪山古墳)清寧天皇の父は絶大な権力を誇った「雄略天皇」。清寧天皇は皇位につく前の名が「白髪皇子(しらかのみこ)」と言うように、生まれついての髪が真っ白だったと言われています。

雄略天皇は英雄か?暴君?か 南河内ゆかりの地 〜雄略天皇陵・志貴懸主神社〜


雄略天皇が亡くなった直後に、異母兄である「星川稚宮皇子」が反乱。星川稚宮皇子は世継ぎが清寧天皇と決められていた事に対して不満を持っていました。

雄略天皇に後事を託されていた重臣「大伴室屋」と「東漢直掬」が反乱を鎮圧。白髪皇子は雄略天皇の跡を継ぎ第22代天皇に即位します。

清寧天皇には后妃がなく、子がいませんでした。また、近い親戚は雄略天皇が粛正しており、後継者について不安を抱いていました。




しかし、播磨の長官として赴任した家臣が、履中天皇の孫と称する兄弟を発見。その兄弟は履中天皇の子「市辺押磐皇子」の息子で、兄は億計(オケ)、弟は弘計(ヲケ)と言いました。父である市辺押磐皇子は、允恭天皇の跡目を巡り雄略天皇に殺害されています。そのため、2人は身分を隠して暮らしていました。

ようやく、近い血筋の後継者を見つけた清寧天皇は、弟の弘計を皇子に定めます。清寧天皇は在位5年程で亡くなり、弘計が後を継ぎ顕宗天皇として即位します。(兄の億計はその次に即位する仁賢天皇)

雄略天皇には多くのエピソードがありますが、清寧天皇のエピソードは限られており、少し寂しいですね。

現在の清寧天皇陵

清寧天皇陵(白髪山古墳)南河内における天皇陵遥拝所の多くは、奥まった静かな場所にあります。しかし清寧天皇陵の遥拝所は、珍しく道沿いの分かりやすい場所に存在します。

清寧天皇陵も古市古墳群の他の古墳同様、住宅地に囲まれています。そのため、古墳を観察できるポイントはかなり限られます。




全体像を見る場合は、前方部北側にドラッグストアや100円ショップの駐車場からが一番よく見えると思われます。
清寧天皇陵(白髪山古墳)清寧天皇陵の特徴は幅広い前方部ですが、横からしかみれないので、あまりわかりません…

濠に水が満たされ、美しい古墳ですが、全体をよく観察できる所が非常に少ないのが残念です。

アクセスと周辺スポット

近鉄南大阪線「古市駅」より徒歩約15分。清寧天皇陵の東には、清寧天皇陵の陪塚とされる小白髪山古墳と日本武尊の陵とされる白鳥陵古墳が存在します。

白鳥陵古墳
白鳥陵古墳

また北にある峰塚古墳には峯ヶ塚古墳や終末古墳である小口山古墳も近いので寄ってみてはいかがでしょうか?

峯ヶ塚古墳 | ぶら古墳 Vol.26 〜羽曳野市 百舌鳥古市古墳群〜





清寧天皇陵データ

古   墳:白髪山古墳
通   称:清寧天皇陵
宮内庁名称:河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)
墳   形:前方後円墳
築造の時期:6世紀前半
所 在 地:大阪府羽曳野市西浦6丁目2
全   長:115m
高   さ:11m
埋   葬:清寧天皇
埋葬の施設:不明