壹須何神社(一須賀神社) | となりの鎮守様シリーズVol.12 〜河南町 アクセス〜

壹須何神社(一須賀神社) 昔から地域を守り続ける神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。第12回は河南町一須賀にある「壹須何神社」です。



壹須何神社とは

壹須何神社(一須賀神社) 壹須何神社と書いて「いちすかじんじゃ」と読みます。詳しい創建について分かっていませんが、延喜式神名帳に記載されていることから、927年より前には創建されていたようです。

かつて、壹須何神社周辺は蘇我氏の末裔である「石川氏」の本拠地でした。蘇我氏本家は中大兄皇子によるクーデター「乙巳の変」により滅亡。しかし傍系は「石川氏」と姓を改め、平安時代まで公暁として存続していました。

そのような関係から、元々は石川氏が蘇我氏の祖とされる「蘇我石川宿禰」を祭っていた神社ではないかと言われています。壹須何神社(一須賀神社)

南北朝時代に入ると、壹須何神社に「石川城」が築城されます。周辺では北朝と南朝が幾度も激突。壹須何神社も兵火にみまわれます。

その後、記録に出てくるのは、戦国時代末期の1589年。豊臣秀吉は石川郡代官「伊藤加賀守秀盛」を通して祈祷と境内免許の証を下しています。その際に奉納された湯釜が社宝として残っているとの事。



現在の祭神となったのは江戸時代初期とされます。明治に入ると近隣から「降旗神社」「菅原神社」が合祀され現在に至ります。

現在の壹須何神社

この一帯の地名は「一須賀(いちすか)」で、社名は「壹須何(いちすか)」。読み方は同じですが漢字は違います。



壹須何神社に駐車場はなさそうでしたので、隣接する「石川公園」の駐車場に停めました。壹須何神社は石川公園よりも一段高いところに存在していますが、公園から壹須何神社まで道がつながっているため、大回りすることなくたどり着けます。壹須何神社(一須賀神社)

壹須何神社正面には、謎のソーラーパネルの柱。昼に蓄電して夜には光るのでしょうか?壹須何神社(一須賀神社)

「式内 壱須何神社」と彫られた立派な社名碑には明治三十年に建てられたとあります。壹須何神社(一須賀神社)

南北に伸びる細長い境内を進むと、一願不動尊と石柱を祭った謎の祠が存在します。境内にいた方に尋ねてみましたが、その方も何を祭っているのかはわからないとの事でした。壹須何神社(一須賀神社) 壹須何神社(一須賀神社)

一番奥、拝殿の横には戎社が建てられています。なぜか戎さんのお面が掛けられているインパクトの強い社殿。壹須何神社(一須賀神社)

こちらが壹須何神社の拝殿。奥の本殿は見ることはできませんが、ここに壹須何神社が祭る3神、降旗神社から合祀された5神、菅原神社から合祀された1神が祭られていると思われます。壹須何神社(一須賀神社)

降旗神社は古い歴史を持つ神社で、近隣の大伴村に存在しました。大伴村と言うだけあり、一帯は大伴氏が領地としていたようです。降旗神社

降旗神社は、大伴氏が祖神を祭る為に創建されたと考えられています。明治時代に壹須何神社に合祀されましたが、現在でも降旗神社跡には小さな祠が残されており、僅かながら面影を知ることができます。降旗神社

アクセスと周辺スポット

近鉄長野線「富田林」駅から、金剛バス東山行「一須賀」下車、徒歩約5分。

壹須何神社の東には大阪三大群集墳「一須賀古墳群」を有する「近つ飛鳥風土記の丘」。また、北東には聖徳太子の叔父の墓である「敏達天皇陵(太子西山古墳)」などのスポットもオススメです。

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壹須何神社(一須賀神社)データ

住 所:大阪府南河内郡河南町一須賀628
駐車場:なし(?)
主祭神:大己貴尊(大国主)、天照大神、天児屋根尊、品陀別命(応神天皇)
降幡神社の合祀神:天之忍日命、日子番能迩迩芸命、日子穂穂手見命、鵜葺不合命、神倭伊波礼毘古命
東山菅原神社の合祀神:天満大自在天神(菅原道真)
摂末社:戎社、一願不動尊
旧社格:村社
式内社:式内小社