南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は藤井寺市沢田にある「鍋塚古墳」です。百舌鳥古市古墳群の一つで、世界文化遺産「27」に登録されています。
かつて鍋塚古墳の周辺には「沢田の七つ塚」と呼ばれる7つの古墳が存在していました。開発により多くが失われ、現在七つ塚のうち残っているのは「鍋塚古墳」のみになりました。
唯一残った鍋塚古墳とはどんな古墳なのか?今回は、藤井寺市沢田にある「鍋塚古墳」を紹介します。
鍋塚古墳とは
鍋塚古墳は、1辺63m、高さは7mの方墳。出土した埴輪の形状から、5世紀初頭に築造されたと考えられています。
元々は周濠があったと考えられていますが、現在は消滅。墳丘からは円筒埴輪、家・衣蓋・盾・靫形などの形象埴輪の破片が出土しています。
出土した埴輪は隣接する「仲津姫命陵(仲津山古墳)」の埴輪に近い特徴を持つことがわかっています。鍋塚古墳は、仲津姫命陵の外堤に接しており、埴輪の形状、位置などから仲姫命陵の陪塚と考えられています。

仲津姫命陵(仲津山古墳)
鍋塚古墳周辺には、かつて小さな古墳がいくつか存在し、まとめて「沢田の七つ塚」と呼ばれていました。現在は開発により多くの古墳が失われ、鍋塚古墳は「沢田の七つ塚」の最後に生き残りです。
鍋塚古墳の北側には、沢田の七つ塚の一つ「高塚山古墳」が存在しました。高塚山古墳は、鍋塚古墳と同規模の円墳、もしくは方墳だったと考えられています。高塚山古墳の発掘調査から埋葬施設は、割竹形木棺とそれを覆う粘土槨であることが判明しています。
鍋塚古墳の埋葬施設は不明ですが、規模や時期が同じことから、同様の埋葬施設を有していたとも考えられます。
埋葬者についても不明ですが、仲津姫命陵の陪塚であることから、仲津姫命陵の埋葬者に近い人物だったと思われます。
1956年に国の史跡に指定。2012-2013年にかけて古墳整備が行われ、現在に至ります。
現在の鍋塚古墳
近鉄南大阪線「土師ノ里駅」の改札を出ると、すぐ目の前にある鍋塚古墳。
円墳にも見えますが、実は方墳です。上から見ると方墳にも円墳にも見れる微妙な姿・・・
鍋塚古墳は、古市古墳群で中に入られる8基の古墳の一つ。その中でも特に整備された古墳ということで、美しい姿をしています。また、道沿いには案内板も設置。
鍋塚古墳の正面。木がなく芝生が敷かれています。さらに階段まで設置。
階段を上り墳頂へ。南側に仲津姫命陵の巨大な前方後円墳が見えます。
北側になります。マンションの裏側に見えるのが允恭天皇陵。允恭天皇陵の周辺にも数多くの小型古墳が存在します。
周辺の急激な開発により、多くの古墳が失われてました。しかし運良く生き延びた沢田の七つ塚の最後の古墳は、整備され保存されました。これからも美しい姿で、地元の人々や訪れた人に親しまれることでしょう。
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄南大阪線「土師ノ里駅」出てすぐ。
・自動車
国道170号外環状線「沢田交差点」を東へ曲がり府道12号堺大和高田線へ。道なりに5分り「土師ノ里交差点」すぐ。鍋塚古墳に駐車場はありませんが、駅周辺にコインパーキングが存在します。
周辺スポット
・仲姫命陵/仲津山古墳
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鍋塚古墳データ
古墳名:鍋塚古墳
住所:大阪府藤井寺市沢田4丁目5
墳形:方墳
直径:63m
高さ:7m
埋葬者:不明
築造時期:5世紀初頭
埋葬施設:不明
参考資料:
・古市古墳群をあるく【久世仁士】
・鍋塚古墳案内板
・藤井寺市ホームページ