南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、河内長野市上原西町にある「塚穴古墳」です。
かつて河内長野市にも多くの古墳が存在していましたが、開墾や開発が進み多くの古墳が失われました。その中でも塚穴古墳は、開発から免れた貴重な古墳になります。
市街地にもかかわらず、生き残り続けたのはある祟りを恐れたからと言われています。その祟りとはいったいどんなものなのか?今回は河内長野市上原西町にある「塚穴古墳」を紹介します。
塚穴古墳の沿革
墳形は原型をとどめていない為、詳しい事はわかっていませんが15mほどの円墳だったと推察されています。
羽曳野市にも同名の古墳があるので間違えやすいところです。
一説によると塚穴古墳は用明天皇の孫「高向王の墓」とも伝えられています。高向と言えば河内長野市のゆるキャラ「くろまろくん」のモデルでもある「高向玄理」が思い浮かびます。しかし高向氏は、渡来系の豪族であり、高向王とは別の一族になります。

くろまろの郷にある高向玄理
一方の高向王は、聖徳太子の兄の子で、聖徳太子からみると甥にあたります。年代的には高向王と高向玄理は近そうですが、資料的には別人のようです。仮に高向王が埋葬されているならば、かなり皇室に近い人物の古墳となります。
中世に入ると塚穴古墳は、豊臣秀吉による大阪城築城の為、石室が石垣に利用されそうになりました。しかし古墳が解体され石が運び出される途中に怪奇現象が起こり元の場所に戻されたと伝わっています。
石室には石を割る際に入れたクサビの跡が残っており、その真実性がうかがえます。しかし古墳の石室に使われていた石を城の石垣にするとか、豊臣秀吉も祟られそうで嫌そうですけどね…
塚穴古墳の発掘調査では古墳内から中世の火葬された人骨、瓦、五輪塔などが見つかっていることから、江戸時代には石室を組み直して墓として利用されていたようです。
現在の塚穴古墳
現在の塚穴古墳は元の姿を留めておらず、内部が土に埋まった横穴式石室の入口が剥き出しになっています。
周辺には大手チェーン店が建ち並ぶ賑やかな場所で、そこにポツンと古墳があるという不思議な光景です。
河内長野市に残る数少ない古墳という事で、墳丘はキレイに整備され、見学しやすくなっています。墳丘の頂上部には内部調査で発掘されたと思われる五輪塔が建っており、古墳ながら不思議な姿をしています。
石室は、土に埋まってしまい内部を見ることは出来ません。
隣の敷地には塚穴古墳から発掘されたと思われる石片や地蔵が祭られています。
「たたり」と「実利」の狭間で揺れ動いた塚穴古墳ですが、幸いな事に「たたり」が勝ち、運良く生き残る事ができました。
塚穴古墳には高貴な人が眠っていると言う伝説が、塚穴古墳を守り続けたようです。
アクセスと駐車場
・公共交通機関
南海高野線、または近鉄長野線「河内長野駅」から南海バス乗車「滝畑ダム」もしくは「高向」行きに乗車。「下高向」停留所から徒歩5分の場所にあります。
・自動車
車の場合は国道170号線を花の文化園方面を目指して走ります。上原町の交差点を西に曲がると小さなこんもりとした小山が見えるのですぐにわかります。周辺にコインパーキングはありませんが、チェーン店や家電量販店など多くありますので、買い物ついでに訪れてみてはいかがでしょうか。
周辺スポット
・住吉神社
塚穴古墳から徒歩約15分の場所にある神社。 続きを見る
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・スターバックス河内長野高向店
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・道の駅 奥河内くろまろの郷
塚穴古墳から徒歩約20分の場所にある道の駅。地元の野菜や特産品を販売するほか、ビュフェやスイーツなども充実しています。奥河内観光の拠点として活用できます。 続きを見る
「奥河内くろまろの郷」で、食べて・遊んで・体験!~アクセス 道の駅~
・高向神社
塚穴古墳から徒歩約25分の場所にある神社。高向氏が創建したとされる神社で古い歴史を持ちます。境内には同じく「高向王」の墓と伝わる塚が存在します。 続きを見る
高向神社|神社の歴史が消えた理由とは?〜河内長野市〜
・河内長野市立ふるさと歴史学習館
塚穴古墳から徒歩約20分の場所にある資料館。
・花の文化園
塚穴古墳から徒歩約20分の場所にある施設。
塚穴古墳データ
墳形:円墳?
築造の時期:不明
所在地:大阪府河内長野市上原西町19
全長:15m?
高さ:?
埋葬:不明(高向王?)
埋葬の施設:横穴式石室
古墳内立入:可能