仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳) | ぶら古墳 Vol.12 〜藤井寺市 百舌鳥古市古墳群〜

仲哀天皇陵
藤井寺市にある「仲哀天皇陵」です。百舌鳥古市古墳群の一つで、世界遺産推薦リスト「23」に登録されています。宮内庁の管理のため中に入る事はできません。

仲哀天皇ってどんな天皇?

仲哀天皇は叔父である成務天皇の跡を継いで第14代天皇に即位します。父は日本武尊、妻は神功皇后、息子は応神天皇という濃い家族。こんな濃い家族に囲まれているせいか、仲哀天皇の存在感と知名度はあまり高くありません。仲哀天皇

仲哀天皇は長門国の豊浦と筑紫国の香椎に宮を築き国を治めていました。在位期間が9年という短い期間でエピソードも多くありません。

日本書紀によると仲哀天皇が父である日本武尊を偲んで、陵の池に白鳥を飼おうと全国から白鳥を集めます。しかし、越国から献上されてきた白鳥を異母弟の「蘆髪蒲見別王(あしかみのかまみわけのみこ)」が白鳥を強奪。それを知った仲哀天皇は激怒して「蘆髪蒲見別王」を誅殺したというエピソードがあります。

天皇が集めてる白鳥を奪う蘆髪蒲見別王も大人気ないですが、だからって誅殺するのもねぇ…。後世の反正、雄略、武烈天皇も血の気が荒い天皇ですが、日本武尊系統の天皇は血の気が多いのかもしれません…

日本武尊陵
日本武尊陵 ここに白鳥を飼う計画だったのか?

仲哀天皇は文字通り少し哀しい最後を迎えます。筑紫の香椎宮で朝廷に従わない「熊襲」討伐の準備をしていた時です。御神託を頂くため、庭を掃き清め仲哀天皇が琴を弾いていると妻の神功皇后に神様が降臨。

神様曰く「西に豊かな国があるので、その国を従わせよう」と告げます。しかしここは日本の西端である九州、これ以上西には海しかありません。仲哀天皇はこの神は偽りの神と信じて琴を弾くのを止めてしまいます。




そんな態度を見た神は「お前は、私が教えた国どころか、今の国すら治める資格はない!この世の国ではない遠い国へ行け!」とブチ切れてしまいます。天皇の気が短ければ、神様も気が短いこのワイルド時代。

神の態度に恐怖した側近「武内宿禰」の勧めで渋々と琴を弾き直しますが、弾き始めた所で仲哀天皇は突如息絶えてしまいます。朝廷大パニック。

神が伝えようとした国と言うのは、海を渡った朝鮮半島の新羅でした。神功皇后は神のお告げを受け継ぎ、三韓征伐に出かけるのでした。

誉田御廟山古墳 に眠る 応神天皇 はあの八幡神だった~ 応神天皇陵 羽曳野市 アクセス 百舌鳥古市古墳群~

仲哀天皇はその後「河内の恵賀の長江」つまり、現在の仲哀天皇陵に祭られたと言われています。

仲哀天皇陵/岡ミサンザイ古墳について

仲哀天皇陵墳丘の長さは242m、高さは20mの前方後円墳。藤井寺市で2番目、全国で16番目の規模を持つ古墳です。築造されたは5世紀末頃から古墳の小型化が進んできました。しかし仲哀天皇陵はこの時期の古墳にしては、他に例がないほど巨大な古墳とされています。

仲哀天皇陵は幅広い周濠と参道を持ち開放感を感じることができる古墳です。百舌古市古墳群は都市部に多くあるため、このように開放感がある古墳というのは珍しい部類になります。




岡ミサンザイ古墳の由来として「岡」は地名、「ミサンザイ」は「陵(ミササギ)」が訛ったとされています。しかし現在の藤井寺市「岡」は仲哀天皇陵よりも少し北のエリアに存在します。何故この地を「岡」としたのかは謎です。

中世入ると河内は戦乱の時代が訪れ、古墳にとっては受難の時代になります。墳丘と周濠を持つ古墳は絶好の防御拠点として、城郭に改造されるケースが出てきました。

仲哀天皇陵も戦国期に城郭に改良化され墳丘は改変されています。一説には「高屋城の戦い」において、高屋城と新堀城の連携を維持するため、中間拠点として利用されたと言う説。また、大坂夏の陣「道明寺の戦い」において、豊臣方が東から攻める徳川方を迎え撃つ拠点として利用されたという説もあります。現在は宮内庁の管理のもと立ち入り禁止となり保護されています。

高屋城の戦い | 織田信長が羽曳野にやって来た!〜羽曳野市 高屋城(安閑天皇陵)〜

仲哀天皇陵には陪塚とされる「鉢塚古墳」がすぐ北に存在します。不思議な事に宮内庁では仲哀天皇陵の陪塚に比定していないので自由に入ることができます。それ以外にも消滅した落塚古墳も陪塚だったと言われていますが、詳細は分かりません。

鉢塚古墳
鉢塚古墳

因みに仲哀天皇陵のすぐ南に「割塚古墳」と言う1辺30m程の方墳があります。これはもう仲哀天皇陵の陪塚だろうと思ってしまいますが、割塚古墳は仲哀天皇陵よりも1世紀以上昔に築造された古墳との事で陪塚には含まれません。古墳って難しいですね…

割塚古墳 | ぶら古墳vol.9~藤井寺市  百舌鳥古市古墳群~

遥拝所は南側にありますので、忘れずにお参りしておきましょう。

本当に埋葬者は仲哀天皇なのか

宮内庁は岡ミサンザイ古墳を仲哀天皇の陵と比定をしていますが、仲哀天皇ではなく雄略天皇の陵ではないかとの説があります。

雄略天皇は英雄か?暴君?か 南河内ゆかりの地 〜雄略天皇陵・志貴懸主神社〜


宮内庁では羽曳野市島泉にある「島泉丸山古墳」を雄略天皇の陵と比定しています。しかし、雄略天皇ほど力を持っていた天皇が島泉丸山古墳では規模が小さいのではと言われています。

雄略天皇陵
島泉丸山古墳

第21代天皇である雄略天皇が5世紀頃に対して、仲哀天皇は雄略天皇から7代もさかのぼる14代天皇です。岡ミサンザイ古墳が5世紀後半に築造されたことを考えると、仲哀天皇が埋葬されているかは疑問が残るとも言われています。

アクセス

仲哀天皇陵は近鉄南大阪線「藤井寺駅」から南へ約15分ほどの場所にあります。途中には、千手観音で有名な「葛井寺」や大阪みどりの百選にも選ばれている「辛國神社」などの観光スポットも見所の一つです。

葛井寺 | 千日まいり 1日で4万6千日分の功徳!!~藤井寺市~

辛国神社 | 南河内屈指の美しさを持つ参道 〜 藤井寺市 御朱印 アクセス 駐車場〜


また途中にある「アイセル シュラホール」では藤井寺市の古墳や出土物に関する資料も展示されているので、こちらも寄っておきたいところです。シュラホール

車の場合仲哀天皇陵周辺には駐車スペースがありません。駅周辺の駐車場に停めて徒歩で訪れるのが無難だと思われます。



仲哀天皇陵データ

古   墳:岡ミサンザイ古墳
通   称:仲哀天皇陵
宮内庁名称:惠我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)
墳   形:前方後円墳
築造の時期:5世紀末
所 在 地:大阪府藤井寺市藤井寺4丁目
全   長:242m
高   さ:20m
埋   葬:仲哀天皇