2019年4月1日に新元号「令和」が発表されました。様々な予想がありましたが、皆さんはいかがでしたか?
過去の元号は中国の古典からの採用が多かったそうですが、初めて日本の古典である「万葉集」から採用された事も話題になっています。
万葉集を編集した人物は大伴家持と言われていますが、藤井寺市にある「伴林氏神社」は大伴氏と深い関わりがあります。
今回は「伴林氏神社」と万葉集の編集者と言われる大伴家持について紹介します。
万葉集の編集者と言われる大伴家持
万葉集とは4536首の和歌が載っている日本最古の和歌集と言われています。奈良時代末期の8世紀後半頃に完成されたとされ、天皇から防人まで様々な人の歌がまとめられています。
掲載されている歌人には額田王、柿本人麻呂、山部赤人、大伴旅人、山上憶良など、教科書で見覚えのある人物も。
その万葉集を編纂した人物は、現在のところ「大伴家持」が関わっていたと考えられています。
大伴家持は歌人として知られており、万葉集にはなんと473首も載っており、その数は全体の1割以上にもあたります。
歌人と言えばのんびり和歌を作っているイメージがありますが、大伴家持は軍事・政治にも大きく関わっていました。その為、何度も政治闘争に巻き込まれ、失脚や復活を繰り返すという波乱万丈な人生を送っています。
大伴氏の始まり
元々、大伴氏は朝廷に於いては軍事を司る一族でした。
平安時代に編纂された「新撰姓氏録」と言う豪族の出自が纏めた記録が存在します。新撰姓氏録では出自を「皇別」「神別」「諸蕃」と分類。大伴氏はその中でも神の子孫を称する「神別」に属する古代一族になります。
大伴氏は「天児屋命」と言う神を先祖に持ち、その末裔である「道臣命」が大伴氏の始まりとされています。
道臣命は神武天皇の東征に右腕として活躍し、以来、道臣命の末裔である大伴氏は軍事を司るようになったようです。
大伴氏と伴林氏神社
藤井寺市にある「伴林氏神社」では、大伴氏の祖とされる「道臣命」「天児屋命」「高御産巣日神」を祭る珍しい神社です。元々は道臣命の子孫が先祖を祭るために創建されたと言われています。
大伴氏は大伴金村の時代に全盛期を迎え、その後も、大伴旅人や大伴家持などの公卿を輩出します。しかし866年の応天門の変により伴善男(大伴氏から伴氏に改称)が流罪となって以降、徐々に大伴氏は歴史の表舞台から消えていきます。
それに伴い、神社を管理していた伴の一族も途絶え、伴林氏神社は地元の産土神としてひっそりと祀られてきました。
しかし、昭和の初期にはいると、伴林氏神社が軍事を司どる「道臣命」を祭っている唯一の神社だということが判明。(実際には道臣命を祀るを祀る神社は他にもあるそうです)
その結果、伴林氏神社は一時期「西の靖国神社」とも称されるようになりました。文化色の印象が強い大伴氏ですが、かつては「道臣命」の子孫と言う事で軍事に強い一面を持つようです。
伴林氏神社は大伴氏とゆかりを持つ神社と言う事で、2017年には「大伴家持生誕1300周年祭」と言うイベントが行われました。生誕祭では大伴家持と万葉集との繋がりについての講演も行われたそうです。
藤井寺八景色の一つにも選ばれている大伴氏ゆかりの「伴林氏神社」。令和に改元された際には、一度訪ねてみてはいかがでしょうか?
アクセスと周辺スポット
近鉄南大阪線「土師ノ里駅」徒歩約5分。周辺には藤井寺市で2番目に巨大な古墳である「市ノ山古墳(允恭天皇陵)も存在します。
敷地内に駐車できるかは不明。駅周辺に駐車して徒歩での参拝が無難です。
伴林氏神社データ
住 所:大阪府藤井寺市林3-6-30
駐車場:?
祭 神:高皇産霊神・天押日命・道臣命
旧社格:府社
式内社:式内社