昔から地域を守り続ける神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は堺市美原区大保にある「広国神社」です。実は、広国神社の境内には巨大な鉄製の鍋が置かれています。いったい、大鍋と神社にはどのような関係があるのでしょうか?今回は、堺市美原区大保にある「広国神社」を紹介します。
祭神の広国押武金日命とは
広国神社の社名は、祭神である「広国押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)」が由来とされています。広国神社の詳しい創建は不明ですが、言い伝えによれば、広国押武金日命を祭神として一社を建立。後嵯峨天皇の時代、境内に蔵王堂を建てたと言われています。広国押武金日命とは安閑天皇の和風諡号で、つまり広国神社では安閑天皇を祭っています。
安閑天皇は継体天皇の長子で、第27代天皇。武烈天皇の代で仁徳天皇系統が途絶えると、福井より応神天皇の5世孫である継体天皇が即位。継体天皇が崩御すると、長子である安閑天皇が即位します。
しかし、安閑天皇も在位わずか4年で崩御。羽曳野市古市にある「高屋築山古墳」が、安閑天皇の陵とされています。
安閑天皇陵(高屋築山古墳)|天皇陵が城の本丸?〜羽曳野市〜
広国神社と蔵王権現
広国神社ではかつて、蔵王権現が祭られていました。蔵王権現を祭る金峯山寺HPによると、蔵王権現は約1300年前に役小角が金峯山にて千日修行の後に現れたと言われています。権現とは権(仮り)に現われるという意味で、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩が権化されたものです。
そもそも蔵王権現は仏様ですが、神仏習合の考え方から「蔵王権現=安閑天皇」と称されるようになります。歴代天皇の中でも、どちらかと言えば影の薄い安閑天皇が、蔵王権現の化身とされた理由はよくわかっていません。広国神社のHPによると
- 江戸初期の学者、林羅山の著した『本朝神社考』に、安閑天皇の御霊を修験道の蔵王権現と同じと記された。
- 1713年に記された『和漢三才図会』には、金峯山に現れた蔵王権現が「自ら吾は広国押武金日命(安閑天皇)なりと」名乗った。
とあり、江戸時代の初期には「蔵王権現=安閑天皇」という考え方があったようです。
明治時代に入ると、政府により神仏分離政策が推進。広国神社は蔵王権現を松原市太井に移転し、安閑天皇こと「広国押武金日命」を主祭神として祭ることになります。
明治初年に、鍋宮大明神が松原市大保にある八阪神社(祭神:素戔嗚命)に合祀。1908年に松原市今井にある菅原神社(祭神:菅原道真)と八阪神社が広国神社に合祀され、現在に至ります。
河内鋳物師
広国神社の境内には、直径1.4mもの巨大な鉄製の鍋が置かれています。その大きさを体感できるよう、物差しも設置。神社と大鍋の不思議な組み合わせですが、これには理由があります。
かつて河内鋳物師(かわちいもじ)と呼ばれる鉄を鋳造する集団が、この一帯を本拠地としていました。広国神社のある堺市美原区大保では太古の昔、鏡作石凝姥命が鉄をもって鍋釜を鋳造し、天児屋根命がこれを天下に広めたとされます。
その後、鍬、隙に加え、梵鐘、仏像なども鋳造し、日本各地に移出。河内鋳物師は、鋳造集団として繁栄し、当時の鋳物師の長は、朝廷から「大保」の官を賜ったことから大保の地名が生まれたと伝わっています。
かつて大保には、鍋宮大明神(烏丸大明神)を建立され、河内鋳物師の始祖とされる石凝姥命、天児屋根命、猿田彦命を祭っていました。現在、鍋宮大明神は広国神社に合祀されていますが、旧地には鍋宮大明神を記念する碑が建てられています。
広国神社は、河内鋳物師発祥の地であり、河内鋳物師の祖を祭る神社になります。そんな鋳物戸の関わりから、大鍋が置かれているようです。
現在の広国神社
現在の広国神社は、美原町太井、今井、大保の氏神として崇拝されています。こちらが広国神社の入口。案内板も設置されていますが、年季が入りすぎてほとんど判読できません。
鳥居には「太井村」と刻まれています。元々広国神社は、太井村に属していました。しかし1909年、地域変更により大保村に属します。
拝殿前にある狛犬です。ラフなラインで彫られた特徴的な姿。完全に真横を向く狛犬は少数派かもしれません。
こちらが拝殿になります。一般的な神社の拝殿とは少し異なる姿をしていますが、実はこの拝殿は、かつて蔵王権現が祭られていた蔵王堂とのこと。
神仏分離が行われる以前は、この蔵王堂の中央に須弥檀(しゅみだん)が築かれ「運慶」作と伝わる御身丈5尺余りの蔵王権現像が祭られていました。現在、蔵王権現像は太井村に引き取られ、民間で保管されているそうです。
拝殿にある扁額と神様一覧。本殿には主祭神である広国押武金日命を筆頭に保食神、猿田彦命、大国主命、誉田別命、天照大御神、天児屋根命、市杵嶋姫命、金山彦命、素戔嗚尊、菅原道真、石凝姥命、鍋宮大明神など多くの神様が合祀されているのがわかります。
広国神社のHPにも、本殿に祭られている神様として上記の神様が記載されています。しかし境内にある摂社「交通安全守護社」には猿田彦命と市杵嶋姫命を祭るとされています。この2柱はどちらに祭られているのか…
本殿は、合祀前の菅原神社社殿を利用。案内板には「村人等によって担いで安置しました」と、凄い事をサラッと書いてます…分解して運んで組み立てたんじゃなく、そのまま担ぐとかできるんでしょうか…境内から本殿は見えないですが、意外と小さいのかもしれません。
ちなみに、拝殿の西隣にある社務所は、八阪神社の社殿が利用されているそうです。広国神社は、宮司さんが常駐しない無人の神社。広国神社の運営に関しては、堺市東区にある「萩原神社」が兼務しています。
拝殿の東隣には、桃山時代に建てられたとされる摂社「三十八社」が存在します。三十八社、三十八所など数字を冠した名の付く神社は、全国に多く現存するそうです。神仏習合時代からの呼称で、簡単に言うと「多くの神様が祭っている」という意味とのこと。
三十八社の前には「鍋宮大明神」の石碑が建てられています。鍋宮大明神は、確か本殿に祭られているとさっき扁額に…案内板によると三十八社では多くの神様を祭ると共に、鍋宮大明神の境内にあった石が祭られています。ただ、どうしても気になるのが、石の隣に置かれた埴輪。なぜ埴輪が突然あるのか…
森に向かって鳥居と石碑が置かれています。こちらは、皇大神宮遥拝所で、伊勢神宮の遥拝所のようです。
こちらが黒姫山古墳石室の上に置かれていた天井石。かつては水路の橋に使われていたとの事です。説明書きには3枚の内1枚とありますが、残りの2枚はどこにいったのでしょうか?
その隣にはお地蔵様と仏様らしきものが彫られた謎の石仏。案内が無くわかりませんが、右の像は足を膝の上に置き、右手を頬にあてているように見えるので、弥勒像ではないかと思われます。神宮寺ではなく、ダイレクトにお地蔵様や弥勒像があるのも中々珍しいかもしれません。
さらに隣には「神宮」と彫られた灯篭の土台のようなものが置かれています。案内には「河品丹南郡大保村 願主 光田久左衛門 年号安永七年(1778年)」と書かれていますが、これが何を意味しているのかは分かりません。
境内の中を見回してみると、合祀前の神社にあった建物や、埴輪、古墳の天井席、大鍋にお地蔵様・・・。冷静に見てみると、色々なものが集まる若干カオスな神社ですが、それは氏子の方々の、広国神社への愛着がそうさせたのかもしれません。
御朱印
御朱印 | 手書き |
初穂料 | 300円 |
基本的に宮司さんは常駐していないようです。広国神社は、堺市東区にある「萩原神社」によって管理されています。御朱印をいただきたい場合は、萩原神社にていただくことができます。
広国神社データ
神社名 | 広国神社 |
住所 | 大阪府堺市美原区大保248番地 |
祭神 | 保食神、猿田彦命、大国主命、誉田別命、天照大御神、天児屋根命、市杵嶋姫命、金山彦命、素戔嗚尊、菅原道真、石凝姥命、鍋宮大明神 |
摂社 | 三十八社、稲荷神社、猿田彦神社 |
旧社格 | 不明 |
式内社 | なし |
祭礼 | ドント1月15日 例祭10月 |
参考資料 | ・広国神社HP ・大阪府神社名鑑 ・美原町史 ・鋳物発祥の地と鍋宮大明神 |
アクセスと駐車場
公共交通機関
近鉄南大阪線「河内松原駅」下車。近鉄バス「さつきの東」行に乗り「広国神社前」下車すぐ。(約15分)
南海高野線「初芝駅」下車。南海バス「美原初芝線47系統」に乗り「広国神社前」下車すぐ。(約15分)
自動車
北から向かう場合は、国道309号線今井交差点の次の交差点で「廣國神社」の看板が見えるので左折。50m程先に広国神社の専用駐車場があります。
南から向かう場合は、国道309号線広国神社南の次の交差点で「廣國神社」の看板が見えるので右折。50m程先に広国神社の専用駐車場があります。
自動車
北から向かう場合は、国道309号線今井交差点の次の交差点で「廣國神社」の看板が見えるので左折。50m程先に広国神社の専用駐車場があります。
南から向かう場合は、国道309号線広国神社南の次の交差点で「廣國神社」の看板が見えるので右折。50m程先に広国神社の専用駐車場があります。
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鍋宮大明神碑
広国神社から徒歩約5分程の場所に存在します。もとは、烏丸大明神とも称していました。鍋宮大明神は広国神社に合祀されていますが、旧地に記念碑が置かれています。