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ちょっと驚きの「近つ飛鳥」と言う名の由来~河南町・近つ飛鳥博物館 アクセス ~

「近つ飛鳥」の「近つ」って何?

近つ飛鳥博物館/近つ飛鳥風土記の丘
一般的に「飛鳥」と言えば奈良県の明日香村か某歌手が思い浮かぶ訳ですが、飛鳥という名前は南河内にも深く関係しています。




「飛鳥」とつく場所は南河内にもいくつかありますが、河南町にある「近つ飛鳥風土記の丘」もその場所の一つです。なぜ飛鳥に「近つ」とつくのか?今回は南河内と飛鳥の関係と共に「近つ飛鳥風土記の丘」を紹介します。

近つ飛鳥の由来

近つ飛鳥博物館/近つ飛鳥風土記の丘「近つ飛鳥博物館」のホームページには「近つ飛鳥」の由来について記載があります。

履中天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に参向する途中で二泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたというものです。「近つ飛鳥」は今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさし、「遠つ飛鳥」は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域をさします。

この話は古事記における、仁徳天皇の3人の子供達に関する物語を要約したものです。

◆登場人物(仁徳天皇の息子たち)
長男:履中天皇
次男:住吉中皇子
三男:瑞歯別尊(みずはわけのみこと)後の反正天皇

仁徳天皇が亡くなると、難波宮にて履中天皇が即位の儀式を行います。儀式を終えた履中天皇が眠ていると、すぐ下の弟である住吉中皇子が履中天皇の命を狙い館に放火。

難波宮

大阪市に残る「難波宮跡」

危機一髪、家臣に救出され奈良の「石上神社」に退避。その後、2番目の弟で後の反正天皇となる瑞歯別尊は履中天皇を心配し駆けつけます。

石上神社

奈良県にある石上神社

しかし弟に裏切られ疑心暗鬼になっている履中天皇は瑞歯別尊を信用しません。履中天皇は、信用してほしくば住吉中皇子を殺害せよ瑞歯別尊に告げます。

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瑞歯別尊は信頼を取り戻すために住吉中皇子の殺害を約束します。瑞歯別尊はまず、住吉中皇子の家臣であるソバカリに「私が天皇になったら大臣に取り立てると告げ住吉中皇子を暗殺そそのかします。

ソバカリは住吉中皇子がトイレに入ったスキに鉾で突き刺し暗殺に成功。自らの手を汚さず他者を利用したのは、兄殺しという汚名をかぶると今後の皇位継承に差し障ると考えたのかもしれません。

しかしソバカリを大臣にすると約束したものの天皇でもない瑞歯別尊が勝手に大臣に任命する訳にはいきますん。さらに、主君殺しの人物を大臣にするのも問題があります。




悩んだ末に瑞歯別尊は、二上山の登り口に仮の宮殿を建て、ソバカリを大臣に取り立てた事にします。大臣就任祝いとして酒宴を開催した瑞歯別尊はソバカリに大きな杯を渡し酒を振る舞います。

反正天皇仮宮址

羽曳野市にある「仮宮旧跡碑」

 

大きな杯で酒を飲もうとし、前が見えなくなったスキに瑞歯別尊はソバカリをいきなり殺害してしまいます。なかなか荒っぽい解決策ですね…

この仮の宮殿を建てた場所も「飛鳥」と言う地名でした。その為、難波宮から近い飛鳥と言う事で「近つ飛鳥」と名付けたそうです。

あまり後味のいい話ではないので、近つ飛鳥博物館の説明でこの部分をサラッと流したのかもしれません…

近つ飛鳥風土記の丘の見所

近つ飛鳥風土記の丘は、歴史や伝統文化に親しむ場である「風土記の丘」として整備された史跡公園です。

高安古墳群・平尾山古墳群とともに、大阪府における三大群集墳の一つである「一須賀古墳群」を保存しています。そんな「近つ飛鳥風土記の丘」の見所を紹介いたします。

近つ飛鳥博物館

近つ飛鳥博物館

古墳文化の公開、展示、研究を目的とした博物館として1994年に開館。コンクリートがむき出しの外見でお馴染み、安藤忠雄氏の設計によるものです。

屋根部分が階段状になって昇れる特徴的な外観をしています。周りが山に囲まれているので、一番上から南河内が一望できる訳ではありませんが、高く広々とした場所からの眺めは開放感があります。

近つ飛鳥博物館

河南町のホームページによると近つ飛鳥博物館のテーマは『古墳時代から飛鳥時代にかけての文化遺産を中心に、「日本古代国家の形成過程と国際交流をさぐる」』とあります。

近つ飛鳥博物館/近つ飛鳥風土記の丘

一須賀古墳群をはじめ、南河内の古墳や神社仏閣には渡来人の影響が多く残されています。当時の日本と渡来人の関係を知ることは、南河内の史跡を知る手がかりに繋がります。

近つ飛鳥博物館/近つ飛鳥風土記の丘

館内には各地の古墳からの出土物が多数展示されています。その中でも藤井寺市三ツ塚古墳から出土した巨大なソリ「修羅」の展示も目玉の一つです。

一須賀古墳群

近つ飛鳥博物館/近つ飛鳥風土記の丘/一須賀古墳群一須賀古墳群は近つ飛鳥風土記の丘内ある6世紀中頃から7世紀前半にかけて築造された200基もの大群集墳です。確認されている102基のうち40基が整備されて見学できるようになっています。近つ飛鳥博物館/近つ飛鳥風土記の丘/一須賀古墳群

古墳時代後半に造られた古墳のため、直径10~20m程の円墳が多くを占めています。副葬品に海外からの物が多く、渡来系氏族の墓と考えられています。1994年に国の史跡に指定。

・梅林・桜・紅葉

近つ飛鳥博物館/近つ飛鳥風土記の丘/一須賀古墳群

近つ飛鳥風土記の丘では四季の風景が美しい事で知られています。春の桜山、秋の紅葉も素晴らしいですが、特に1月の梅のシーズンには多くの人で賑わいます。

アクセス

喜志駅

近鉄長野線「喜志駅」または「富田林駅」より金剛バス「近つ飛鳥博物館前」下車。車の場合は近つ飛鳥博物館に80台の無料駐車場、近つ飛鳥風土記の丘に30台の無料駐車場があります。




近つ飛鳥風土記の丘の周辺には「敏達天皇陵」「推古天皇陵」「用明天皇陵」「孝謙天皇陵」など王陵の谷と言われるほど多くの歴代天皇の陵が存在します。また、聖徳太子の陵とされる「叡福寺北古墳」、小野妹子の墓など、古墳時代に活躍した人物の史跡も多く存在します。

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近つ飛鳥博物館データ

入館料:大人310円/高校生・大学生・65歳以上の方210円
中学生以下 無料
障がい者手帳をお持ちの人 無料(介助の方1名を含む)
開 館:午前9:45(展示室への入館は午前10:00から)
閉 館:午後5:00(展示室への入館受付は午後4:30まで)
閉館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日が休館)
年末年始(12/28~1/4)
URL:近つ飛鳥博物館

 



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