竹内街道の風情にマッチする「旧山本家住宅」とは?~太子町~
竹内街道は堺市から始まり、南河内を経て奈良へ通じる日本最古の国道として知られています。現在の竹内街道は道も狭く周辺も開発されていますが、古い街並みもまだ残されています。
太子町にある「大道 旧山本家住宅」は竹内街道の中でも古い町並みを残すエリアにある古民家として知られています。
大道 旧山本家住宅とは
見学できる古民家は実際に人が住んでいる場合があります。そのため古民家の見学は限定されているケースもあり、見たい時に見学できるわけではありません。
しかし「旧山本家住宅」の場合、誰も住んでいない事もあり、毎週土日に公開されています。その為、比較的訪れやすい古民家になっています。
旧山本家住宅が建てられた時期は意外とわかっていませんが、建築手法からみて江戸時代末期と推定されています。建築様式は「大和棟(やまとむね)」と言い、奈良に多く存在する造りと言われています。太子町は二上山を越えれば、隣はすぐ奈良と言う立地から影響を受けているのかもしれません。
「大和棟(やまとむね)」は屋根の部分が草葺と屋根瓦で組み合わせられ、屋根の両側の壁部分には白壁が使われているのが特徴です。
以前訪れた羽曳野市にある「吉村邸」の屋根と比べても異なる形をしており、当時の建築様式にもさまざまな流行があったようです。
昔は身分制度の中、厳しい格付けがあり、建物にも様々な制約がありました。山本家も裕福な家だったのかもしれません。
大道 旧山本家住宅へ
2002年に竹内街道の景観を強く印象付ける民家として国の登録文化財に登録。2003年に近年の増築部分を撤去し、構造補強や屋根の差し替えなどの修復工事を行っています。





建築された時期が江戸末期だとして150年近い歴史を持つ旧山本家住宅。手入れをすればこれほど家は維持できるものなんだと驚かされます。
ただ、これほど大きな家を維持する労力も相当なものだと思われます。資金面だけでなく、古民家を修復できる技術を維持することが今後課題になってくるのかもしれません。
アクセス
近鉄長野線「喜志駅」又は近鉄南大阪線「上ノ太子駅」より金剛バス「六枚橋」下車徒歩15分の場所になります。大道旧山本家住宅に駐車場はありませんが、すぐ近くに「道の駅 近つ飛鳥の里・太子」があり、そこから5分ほどの場所にあります。
周辺には大化の改新で活躍した天智天皇の叔父「考徳天皇」の陵である「山田上ノ山古墳」が目の前に。また、徒歩3分ほどの場所には、竹内街道や太子町の歴史を紹介している「太子町立竹内街道歴史資料館」もあるので、あせて寄っておきたいところです。
大道 旧山本家住宅データ
住 所:大阪府南河内郡太子町山田1797
開館日:土日、祝日(年末年始(12月28日~1月4日)は除く。)
時 間:10:00~16:00(ただし正午~午後1時は休憩)
入館料:100円(満18歳以以上)