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駒ヶ谷宮山古墳|2つの古墳名を持つ理由とは〜羽曳野市・玉手山古墳群〜

駒ヶ谷宮山古墳/玉手山14号墳

南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、羽曳野市駒ヶ谷にある「駒ヶ谷宮山古墳」です。柏原市に存在する古墳の一つに「玉手山古墳群」があります。今回紹介する駒ヶ谷宮山古墳は、別名「玉手山14号墳」とも言われています。何故、駒ヶ谷宮山古墳には2つの古墳名があるのか?今回は、羽曳野市にある「駒ヶ谷宮山古墳」を紹介します。

玉手山古墳群と駒ヶ谷宮山古墳

玉手山古墳群は地理的に、2グループに分かれています。第1グループは、玉手山を中心とした玉手山1号墳〜10号墳の10基。第2グループは駒ヶ谷北側を中心とした4基の古墳です。

玉手山古墳群
玉手山遊園にある竪穴式石室と家型石棺

駒ヶ谷北側にある古墳は、駒ヶ谷北古墳、駒ヶ谷狐塚古墳、古市東塚古墳、そして駒ヶ谷宮山古墳で構成されています。現在、駒ヶ谷宮山古墳以外は開発により消滅し、駒ヶ谷宮山古墳は第2グループにおいて唯一現存する古墳。

駒ヶ谷宮山古墳/玉手山14号墳

広義の玉手山古墳群には駒ヶ谷宮山古墳が含まれます。その為、駒ヶ谷宮山古墳には「玉手山14号墳」という別名がついているのです。

しかし玉手山古墳群における第1グループと第2グループには、距離的に離れているため、古墳を築造した集団は別ではないかと考えられています。駒ヶ谷宮山古墳を玉手山古墳群に含めない考え方では、駒ヶ谷宮山古墳という名前で分けているのかも知れません。

駒ヶ谷宮山古墳も含め、玉手山古墳群は3世紀末から4世紀中頃にかけて築造された古墳群。玉手山古墳群の築造が終わって数十年後、津堂城山古墳を皮切りに、古市古墳群の築造が始まります。

津堂城山古墳
津堂城山古墳

玉手山古墳群を築造した集団と、古市古墳群を築造した集団との関わりには諸説あります。玉手山古墳群を築造した集団が西へ進出して、古市古墳群を築造したという説。もう一つは、古市古墳群を築造した集団が、玉手山古墳群を築造した集団を滅ぼしたという説です。

実際はどうだったのかについては、今後の研究が待たれますが、両集団の関係性は非常に興味深いところです。

駒ヶ谷宮山古墳とは

駒ヶ谷宮山古墳は、全長65m、高さ7m。築造時期は4世紀中頃と考えられる前方後円墳。1962年に土砂採取工事によって墳丘が損壊された状態で発見されました。おそらく、元から前方後円墳の姿とはわからない状態だったのではないかと思われます。

前方後円墳

周辺に割れた石が存在していたことから、表面に葺石が敷かれていたようです。更に、前方部前面に埴輪列があった事も判明しています。埋葬施設は後円部に竪穴式石室が存在し、前方部に粘土槨が2つ存在していました。ただ、竪穴式石室の石材は残っておらず、調査がされる前から破壊されていたようです。

駒ヶ谷宮山古墳/玉手山14号墳

竪穴式石室の副葬品として、硬玉製勾玉、碧玉製管玉、ガラス製小玉、石釧片、有孔石製品、鉄剣片などが出土。両粘土槨からは、銅鏡片、鉄刀、鉄剣、鉄斧、三角縁三神三獣鏡が出土しています。

現在の駒ヶ谷宮山古墳とは

古墳名に「宮山」と付いているので、神社でもあるのかと思いますが、古墳にも周辺にも神社がないという謎のネーミング。現在の駒ヶ谷宮山古墳は「駒ヶ谷古墳公園」として整備されています。ただ、古墳の案内板には「玉手山14号墳」と書かれています。

駒ヶ谷宮山古墳/玉手山14号墳

玉手山古墳群を調べているときに知ったのですが、この古墳は玉手山古墳群で唯一羽曳野市に属する古墳なんです。地図をみてもらうとわかるのですが、柏原市と羽曳野市のギリギリのところに存在しています。

駒ヶ谷宮山古墳/玉手山14号墳

全然予備知識無しに訪れたので「公園内に小さな古墳がポツンとあるんだろうな…」ぐらいに考えていました。

しかし、いざ入ってみるとデカイ!

駒ヶ谷宮山古墳/玉手山14号墳

墳形は大きく崩れて前方後円墳なのかよくわかりませんが、とにかくデカイです。特に土砂採取された為か、側面部が大きくえぐれており、急角度の勾配が迫力を出しています。古市古墳群における前方後円墳はなだらかな角度で高さがあるので、気づきにくいですが、この角度での7mは威圧感を感じます。

駒ヶ谷宮山古墳/玉手山14号墳

この迫力を思いっきり感じたいのですが「木が邪魔!!」何故、視界を遮るように等間隔に木を植えているのか…

駒ヶ谷宮山古墳/玉手山14号墳

駒ヶ谷宮山古墳は、原型を留めておらず、古墳という感覚があまりありません。古墳と言われなければ、ただの斜面がある土手という感じでしょうか。

雑草は綺麗に刈り取られておりサッパリした公園ですが、入口が鬱蒼と木がしげっており、少し入りにくいイメージ。周辺は工場地帯ということもあり、普段あまり人は訪れていない雰囲気です。

駒ヶ谷宮山古墳/玉手山14号墳

駒ヶ谷宮山古墳の埋葬施設は、竪穴式石室1つと、粘土槨2つで3名が埋葬されていました。埋葬された順番としては、最初に竪穴式石室が造られ、次に1号粘土槨、2号粘土槨の順に造られています。

竪穴式石室には当然、この地域の首長が埋葬されているとして、2つの粘土槨には誰が埋葬されていたのか?奥さんなのか、子供なのか、側近なのか。4世紀中頃にはどのような人達を合葬していたのか気になるところです。

駒ヶ谷宮山古墳データ

古墳名駒ヶ谷宮山古墳
別名玉手山14号墳
住所大阪府羽曳野市駒ヶ谷2
墳形前方後方墳
全長65m
高さ不明
築造時期4世紀中頃
被葬者不明
埋葬施設後円部:竪穴式石室
前方部:2つの粘土槨
出土物
参考資料・柏原市ホームページ
・羽曳野市ホームページ

アクセスと駐車場

近鉄吉野線「駒ヶ谷駅」より北へ約20分。周辺に駐車場はありません。(路肩には停められそうですが…)

周辺スポット

杜本神社

駒ヶ谷宮山古墳から徒歩約20分の場所にある杜本神社。延喜式にも記載がある由緒ある神社。藤原氏と楠木正成にゆかりのある神社です。

玉手山古墳群

駒ヶ谷宮山古墳から北には、玉手山古墳群が広がっています。現在は、玉手山1号墳、2号墳、3号墳、7号墳をみることができます。

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