鴨習太神社|創建したのは物部氏それとも・・・~河南町~

鴨習太神社の拝殿南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様シリーズ」。今回は南河内郡河南町神山(こうやま)にある「鴨習太神社(かもならいたじんじゃ)」です。




鴨習太神社は、平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載される式内社で、1000年以上の歴史を有しています。

実は鴨習太神社ですが、明治時代に改めて式内社に比定されたという珍しい経緯があります。

それはいったいどんな経緯だったのか?今回は南河内郡河南町神山にある「鴨習太神社」を紹介します。

鴨習太神社の創建はどの一族?

鴨習太神社鴨習太神社の詳しい創建については、よく分かっていません。




鴨習太神社は、延喜式神名帳に記載されている式内社ですが、どの神社が鴨習太神社なのか長らく不明でした。おそらく、神社を創建した氏族が衰退したため、神社が荒廃したのかもしれません。

延喜式 卷九 神祇九 神名上
「国立図書館デジタルコレクションより」

江戸時代までの鴨習太神社は、菅原道真を祭る天満宮を称していました。明治時代にはいると、延喜式神名帳に記載されている鴨習太神社が、当神社と比定。

それに伴い祭神を、菅原道真から饒速日命(にぎはやひのみこと)に変更。社名も現在の「鴨習太神社」に改称したという珍しい経緯があります。

饒速日命を祭神としたのは、この一帯を勢力圏とした、物部氏が「饒速日命」を祖神として祭っていたからとされています。




饒速日命は、神武天皇に先駆けて東に向かった神様として知られています。饒速日命は、天磐船に乗って河内国に降り立ち、大和国に入ったという「磐船伝説」があります。

同じ饒速日命を祭る河南町の磐船大神社には、磐船とされる巨石があるなど、周辺は物部氏にゆかりの深い地域です。

一方、鴨習太神社を創建したのは「賀茂氏(かもうじ)」との説があります。賀茂氏は、奈良県葛城一帯を本拠地とし「八重事代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)」を祖神としていました。




鴨習太神社の境内には八重事代主神を祭る「一言主神社」が存在。一言主神社は、葛城山に存在する「葛城一言主神社」を総本社としています。葛城一言主神社の主祭神である「一言主(ヒトコトヌシ)」は、八重事代主神という説もあります。

葛城一言主神社
葛城一言主神社
Saigen Jiro / CC0 Wikimedia Commonsより

鴨習太神社の社伝に、賀茂氏とのつながりについては触れられていません。一言主神社の存在は「もしかして賀茂氏と関係があるかもよ」と、遠まわしに伝えているのかもしれません。

1872年(明治5年)に旧社格における村社に列します。のちに明治政府が進めた神社合祀政策により合祀の危機を迎えますが、氏子達の努力でこれを回避。1915年(大正4年)には、神饌幣帛料供進社に指定されます。




現在の鴨習太神社は宮司不在の神社で、管理は千早赤阪村の建水分神社が行っています。

建水分神社
建水分神社

現在の鴨習太神社

鴨習太神社に駐車スペースがあるか不明だったため、すぐ近くにある「道の駅かなん」に停めました。




googleMAPで見ると道の駅から近いのですが、神社の入口は東側にあるため10分ほど歩きます。

この一帯は「神山(こうやま)」と呼ばれており、小高い山の上に建つ鴨習太神社を中心に、集落が発展したといわれています。鴨習太神社

住宅地を歩いていると、突然現れる鴨習太神社の碑。鴨習太神社

側面には「和田左右治」という名前が彫られていますが、寄贈した方でしょうか?鴨習太神社

参道…というか住宅地の細い道を進むと、なかなか急角度の階段が現れます。この上に鴨習太神社が存在しますが、急な階段がキツい人には、左側に坂道もあります。鴨習太神社

階段を上る途中には祠、石塔、石が祭られています。鴨習太神社一言主神社と石塔

祠は「八重事代主神」を祭る一言主神社。賀茂氏により創建されたとすれば、八重事代主神が本殿に祭られているところです。鴨習太神社の一言主神社

こちらは鎌倉時代に造られた五重の石塔。どのような理由で造られたかは不明。鴨習太神社の石塔

一言主神社と石塔の後ろには、石が祭られています。賽の神のようにも見えますが、詳細は不明。鴨習太神社

階段を上ると、左側にある百度石。戦時中、鴨習太神社のおかげで神山地区では戦死者が出なかったとも言われています。かつては多くの人が、家族の無事を願い百度参り行ったのかもしれません。鴨習太神社の百度石

百度石の隣にある手水舎。無人の神社では、水道のない手水舎を見かけますが、鴨習太神社の手水舎には水道の蛇口が備え付けられています。鴨習太神社の手水舎

石造りの古い鳥居と拝殿。珍しく狛犬がいませんが、資料によれば本殿に向かい合った高麗犬が存在するようです。鴨習太神社の拝殿

拝殿の案内板によると祭神は「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」とありますが、別の案内板には「天照地照彦火明櫛玉饒速日命」と記載されています。この長い名前の神様は、饒速日命の別名なので、同じ神様になります。鴨習太神社の案内板

相殿には、1660年(万治3年)に高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)が合祀されています。これは、近隣の神社が暴風雨により社殿が倒壊したためとのこと。




本殿の建築様式は唐破風付入母屋造り。かやぶきの凝った建物で、彫刻が素晴らしいそうですが、壁に囲まれて全体を見ることはできません。鴨習太神社の本殿

境内にズラリとならぶ摂社。鴨習太神社の摂社

神明宮/神明神社(祭神:天照大神)鴨習太神社の神明神社

八百萬神/御魂神社(祭神:八百萬神)鴨習太神社の御魂神社

金毘羅宮/琴平神社(祭神:大物主大神)鴨習太神社の琴平神社

聖天宮/聖天社(祭神:大聖歓喜自在天)。大聖歓喜自在天というのはあまり聞き慣れない神様ですが、仏教の守護神である聖天様になります。鴨習太神社の聖天宮

聖天様は、ヒンドゥー教のガネーシャが由来とされ、仏教の守護神として日本にやってきました。ガネーシャが象の姿をしていることから、頭が象、体が人の2人が抱き合った姿をしています。(他にも違う姿があるそうです。)

かつて鴨習太神社では真言宗の「阿順堂」という神宮寺が存在しました。聖天様を祭る神社の多くは真言宗ですが、聖天宮と阿順堂に関係があるかは不明です。




鴨習太神社は宮司さん不在のため、御朱印やお守りなどは扱っていないようです。

鴨習太神社の創建は、物部氏なのか加茂氏なのか、真実はわかりません。鴨習太神社の拝殿

近代に入り、改めて鴨習太神社を式内社に比定した人達は、誰を祭神にするか悩んだのではないでしょうか?境内のはずれにある一言主神社をみると、そう感じてしまいます。

祭り・祭事

1月2日:歳旦祭
10月第3日曜日:秋季大祭

アクセスと駐車場

・公共交通機関富田林駅近鉄長野線「富田林駅」下車。金剛バスにて千早ロープウェイ前行「神山停留所」下車、徒歩約5分。(バスで富田林駅から約15分)

・自動車
鴨習太神社には駐車スペースがあります。国道170号線「新家交差点」を東へ曲がり国道309号線へ。道なりに10分程走ると「道の駅かなん」が見えてきます。




道の駅かなん前にある「神山西交差点」を北へ曲がり、二又を左に。道なりに北へ進み、二つ目の交差点を東に進み最初の交差点を南に曲がると鴨習太神社の看板が現れます。看板左の山へ続く道を上ると、駐車スペースがあります。鴨習太神社の裏口

ただ、駐車スペースはあまり広くないため「道の駅かなん」に停め、買い物と併せて参拝するのもいいかもしれません。

周辺スポット

・道の駅かなん
道の駅かなん鴨習太神社から徒歩約10分の場所にある道の駅。地元河南町でとれた新鮮な野菜や特産品を販売しています。

道の駅かなん|新鮮な野菜がリニューアル後も大好評!~河南町・アクセス~

・寛弘寺古墳公園
寛弘寺古墳公園鴨習太神社から徒歩約15分の場所にある公園。3基の古墳から構成されており、整備された公園として古墳を楽しめます。

鴨習太神社データ


住所:大阪府南河内郡河南町神山595番地
祭神:饒速日命、高皇産霊尊
摂社:一言主神社、神明神社、御魂神社、琴平神社、聖天社
旧社格:村村
式内社:式内小社
参考資料:大阪府神社名鑑、河南町ホームページ、神社案内板、広報かなんだより