南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、河内長野市喜多町にある「大日寺古墳(だいにちじこふん)」です。河内長野市には多くの古墳が存在しましたが、開発などにより多くが失われています。
大日寺古墳は、河内長野市に現存する4基の古墳の一つですが、少し変わった場所に保存されています。少し変わった場所とはどんなとこなのか?今回は、河内長野市喜多町にある「大日寺古墳」を紹介します。
大日寺古墳とは
大日寺古墳は、規模不明の7世紀初頭に築造された円墳。古墳は、河内長野駅から徒歩5分程の場所にある「長野中継ポンプ場」内に存在します。元々はポンプ場下の道路沿いに存在しましたが、発掘後に石室をポンプ場内に移設しています。
大日寺古墳一帯は「大日寺遺跡」と呼ばれており、弥生時代から近世にかけての遺構が多く見つかっています。長野中継ポンプ建設予定地が大日寺遺跡に含まれていたため、1999年(平成11年)に発掘調査が行われました。大日寺古墳は、中世から近世の段階に墳丘が平削されていたようで、発掘調査の際に古墳の存在が判明したとの事。
埋葬施設は横穴式石室。発掘時、天井石などは失われており、石室の基底部のみ残されていました。
玄室の長さ2.36m、幅1.3mと小型の石室。石室内から鉄釘が見つかっていることから木棺により埋葬されていたと考えられています。
石室内からは他に、耳輪、須恵器杯、土師器杯なども見つかっています。
出土した遺物に、古墳時代以降のものが含まれていることから、2度の追葬が行われたと考えられています。初葬は7世紀、2度目は8世紀、3度目は9世紀にもおよびます。大日寺古墳では、祭祀の場として平安時代まで利用されていたようです。
現在の大日寺古墳
大日寺古墳は、何かの資料を見ているときに偶然存在を知りました。Googleマップにも記載されておらず、ストリートビューで確認するとそれらしいものがあるので、訪れてみました。
河内長野駅近くのコインパーキングに車を停めて、徒歩で向かいます。高野街道に入ると長野神社あり、参拝後に御朱印を頂きました。
長野神社から、少し歩くと長野中継ポンプ場が存在します。大日寺古墳は、ポンプ場の敷地内にあるため、柵越しにしか見ることができません。
まあ、柵があろうがなかろうが、上半分がない横穴式石室があるだけなんです…。この小型の石室に3回も追葬が行われたそうで、3回目となればギュウギュウになりそうですね…。
じっくり見たいところですが、この道は狭いわりに交通量が多く、ひっきりなしに車や人が行き交います。
大日寺遺跡からは、弥生時代から近世にかけての遺物が出土しています。ただ不思議なことに、古墳時代前半から中頃にかけての遺物は存在しません。
河内長野市内の大型古墳には、大日寺古墳の南にある大師山古墳が知られています。古墳時代前半は大師山古墳を含む一帯に大きな勢力を持つ豪族がいたようです。古墳時代前半の大日寺古墳一帯を本拠地とする勢力は、他の豪族に圧迫されていたのかもしれません。
大日寺古墳データ
古墳名 | 大日寺古墳 |
住所 | 大阪府河内長野市喜多町20 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 不明 |
高さ | 不明 |
築造時期 | 7世紀前半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
出土物 | |
参考資料 | ・河内長野市遺跡発掘報告書「大日寺遺跡25」 ・案内板 |
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄長野線もしくは南海高野線「河内長野駅」下車。西出口から西に歩き、すぐの信号を南へ曲がると高野街道に入ります。道なりに進み、長野神社を過ぎてしばらく歩くと石川にかかる西条橋を渡ります。更に直進すると踏切があり、手前に長野中継ポンプ場があります。
・自動車
大日寺古墳の周辺に駐車場はありません。駅周辺にコインパーキングが数ヶ所あるので、そこから徒歩がオススメです。
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