松井塚古墳|古墳名は個人の名前から?~太子町~

松井塚古墳南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、太子町大字太子にある「松井塚古墳」です。松井塚古墳は、聖徳太子や推古天皇などが眠る「磯長谷古墳群」の一つ。




一般的な古墳名の多くは、地名や逸話からつけられますが、松井塚古墳は少し変わった理由で名前が付けられています。

変わった理由とは一体どんな理由なのか?今回は太子町大字太子にある「松井塚古墳」を紹介します。

松井塚古墳の名前の由来

現在の松井塚古墳は、石棺のみ叡福寺に隣接する「太子・和みの広場」に存在。松井塚古墳

もともとは、太子町にある仏陀寺の100m程西の民家に存在しましたが、個人宅ということで、こちらに移設されたようです。

仏陀寺古墳
仏陀寺

古墳名は、土地所有者で発見者でもある「松井さん」が由来しています。1958年に、自宅で井戸を掘ってた松井さんが石棺を発見。

松井塚古墳
発掘時の石棺

井戸を掘るまで分からなかったところをみると、封土は当時から大きく失われていたようです。松井さんは、自宅の納屋まで撤去して発掘調査に協力。そんな理由もあり、個人名が古墳名になったという珍しい古墳です。



古墳から出土した土師器や埋葬施設の構造から、7世紀の中頃に築造されたと考えられています。

墳形については不明ですが、方墳と考えられています。埋葬施設は、長さ約3m、幅約1.5mの横口式石槨。松井塚古墳

横口式石槨とは、石室と石棺が一体化されたような埋葬施設です。主に近畿に存在しますが、その数はあまり多くありません。渡来系豪族、もしくは渡来系豪族とつながりが深い豪族が用いたとも考えられています。




石室の天井石は、発見時から消失していました。石室の底部には礫(れき)が敷かれており、石棺の下半分に到るまでびっしりと詰められていたとのこと。石室は、石棺の周囲に壁面を積み上げ、天井石を乗せていたとされています。

石棺は、二上山で産出した凝灰石を利用した家形石棺。天井が蓋を開けられない程の低さのため、前面に開口部が設けられています。埋葬の際は、この開口部から遺体を入れ、はめ込み式の閉塞石でふさいでいました。松井塚古墳

松井塚の石棺は、1973年に大阪府指定有形文化財に指定されています。

現在の松井塚古墳

和みの広場には、松井塚古墳の他に聖徳太子廟内部を再現したミニチュア石室や、同じく移設されてきた尼ヶ谷古墳の石室も置かれています。松井塚古墳

松井塚古墳は、尼ヶ谷古墳の隣に存在。一応柵はあるものの、間近で石棺を見られます。松井塚古墳

こちらの石棺からは、人骨の一部が見つかっていますが、調査によると2人が埋葬されていたとようです。横口式石槨は、追葬ができるように設計されていますが、実物をみると、2体埋葬するとかなり窮屈感が。松井塚古墳

松井塚古墳が発掘された当時は、推古天皇の陪塚ではないかと話題になったようです。終末古墳においては、陪塚を築く風習はなくなっており、実際に陪塚である可能性は低いようです。

推古天皇陵
松井塚古墳の南側にある推古天皇陵

埋葬者は不明ですが「古墳の規模」手がかりになります。646年に孝徳天皇は、大化の改新の一環として「薄葬令」発布。

薄葬令により、墓の規模を階級ごとに制限。巨大古墳の築造を制限し、人民の負担を減らすことを目的としています。




薄葬令は、位ごとに「石室の大きさ」「封土」などが決められています。ランクは「王以上」「上臣」「下臣」「大仁・小仁」「大礼以下、小智以上」の5段階に分類。

薄葬令のランクを松井塚古墳に当てはめると、古墳規模から、「王以上」に該当。「王」、つまり皇族クラスが埋葬されていることになります。松井塚古墳

ただ、薄葬令が出された時期が646年であったかについては諸説あり、皇族が埋葬されている確証はありません。薄葬令を発布した孝徳天皇陵も薄葬令の規模には収まっていないといわれています。

孝徳天皇陵(山田上ノ山古墳)
同じ太子町にある孝徳天皇

実際に、誰が埋葬されているかは不明です。ただ、7世紀中頃に築造された古墳の中では大型であることから、かなり身分の高い人物が埋葬されていた可能性があります。

アクセスと駐車場

・公共交通機関上ノ太子駅喜志駅近鉄南大阪線「上ノ太子駅」もしくは近鉄長野線「喜志駅」下車。金剛バス太子線にて「太子前」下車後徒歩約5分。

・自動車
松井塚古墳がある「太子なごみの広場」には無料駐車場があります。

国道170号外環状線「栗ヶ池大橋西交錯」を東に曲がります。栗ヶ池バイパスを渡り、そのまま府道32号美原太子線を直進。




道なりに進み、「太子町東交差点」を左折。直進し、最初の信号を越えるとすぐに「太子なごみの広場」があります。

周辺スポット

・尼ヶ谷古墳尼ケ谷古墳松井塚古墳の隣にある古墳。道路工事中に発見された古墳で、石室が公園内に移設されています。

叡福寺聖徳太子 墓 叡福寺松井塚古墳の隣にあるお寺。境内にある聖徳太子廟を守るために創建されたと伝えられています。

聖徳太子廟(叡福寺北古墳)聖徳太子 墓 叡福寺松井塚古墳に隣接する叡福寺内にある古墳。聖徳太子の墓として知られています。梅鉢御陵の一つ。

聖徳太子のお墓にまつわる七不思議とは? 〜太子町 叡福寺北古墳〜

西方院西方院松井塚古墳より徒歩約5分程の場所にあるお寺。聖徳太子が死去した後に出家した3人の侍女により、創建されたとされています。

用命天皇陵用明天皇陵松井塚古墳より徒歩約10分程の場所にある古墳。梅鉢御陵の一つで、聖徳太子の父である用命天皇の陵とされています。

用命天皇陵(春日向山古墳)|用明天皇と般若姫の物語~太子町~

松井塚古墳データ


古墳名:松井塚古墳
現住所:大阪府南河内郡太子町大字太子215
元住所:大阪府南河内郡太子町山田字西2292番地
墳形:方墳(?)
一辺:16m(推定)
高さ:不明
埋葬者:不明
築造時期:7世紀中頃
埋葬施設:横口式石槨
参考資料:
・河内の古道と古墳【世界思想社:泉森 皎】
・太子町の古墳墓【太子町教育委員会】
・太子町ホームページ