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晴明塚|安倍晴明が占いを外した伝説とは~河内長野市~

晴明塚の斜め前

河内長野市原町に「晴明塚」と呼ばれる石碑をご存じでしょうか?この石碑は、平安時代に活躍した陰陽師「安倍晴明(あべのせいめい)」にまつわる伝説が由来とされています。安倍晴明は、主に京の都で活躍していた人物ですが、河内長野市にある石碑とどのような関係があったのか?今回は、河内長野市原町にある「晴明塚」を紹介します。

安倍晴明とは

安倍晴明(あべのせいめい)は、平安時代に活躍した陰陽師(おんみょうじ)。安倍晴明の詳細な出自は分かっていませんが、摂津国阿倍野(現、大阪市阿倍野区)で誕生したといわれています。

安倍晴明の産湯
阿倍野区、安倍晴明神社境内にある「安倍晴明の産湯」

陰陽師といえば不思議な術で悪霊と戦うイメージですが、実際は占い、天文、暦などを管轄する朝廷の役人。ただ安倍晴明のライバルとされる、芦屋道満など、朝廷に属さない民間の陰陽師も少なからずいたようです。

安倍晴明も、陰陽寮に属すの下級役人でしたが、陰陽師である加茂忠行の下で学び、能力が開花。40歳の頃には村上天皇より占いを命じられるなど、遅咲きながら実力は認められてゆきます。

安倍晴明象
阿倍野神社境内にある安倍晴明象

安倍晴明は、陰陽師として強い力を持っていたようで、人々の理解を超える様々なエピソードが記録として残されています。50歳の頃、天文道のトップである天文博士に就任。以後、天文道においては安倍家が独占することになります。

その後も天皇や有力貴族から厚い信頼された安倍晴明は、天文の知識を生かして占いや儀式に活躍。この時代において、かなりの長寿といえる80歳近くまで生きたといわれています。

晴明塚とは

晴明塚が建てられた理由には、安倍晴明の人柄を表すユニークな逸話が由来します。花山天皇と共に高野詣に同行した安倍晴明が、この地を通りかかった時のこと。道端にいた物乞いが「あぁ、また雨がだな」と呟きました。

花山天皇/Wikipediaより

自分の占いでは「晴れ」とでており、天皇にはそのように上奏済みです。自分の占いに自信があった安倍晴明は、少し気分を害して物乞いの呟きを無視。その日は三日市に宿をとり、翌日出発して昼頃に紀見峠をさしかかった時のこと。急に雲行きがあやしくなるや、激しい夕立にみまわれます。花山天皇は、安倍晴明の占いが外れたことを非難。

なんとかごまかし、無事に参拝を終えた一行は、帰り道に再び物乞いに出会います。安倍晴明が物乞いに「なぜ雨が降ると分かったのか」と訊ねてみると、物乞いは「私の体にできものがあり、雨が近くなるとかゆくなります。ただそれだけです」と笑いながら答えたとのこと。

それを聞いた安倍晴明は「今まで学んできた学問は何だったのだろうか」と反省。学問で得た知識より、体験で得る知識の確かさを実感した安倍晴明は、持っていた天文暦数の文書をその場で焼き捨ててしまいます。

行列が去った後、村人は灰を集めて埋め小さな塚を築き、安倍晴明の徳をしのんだとのこと。以降、高野街道をゆく旅人達はこの晴明塚で吉凶を占ったといわれています。

現在の晴明塚

現在の晴明塚に行ってみました。今回は、てんとうむしパーク河内長野店に行く機会がありましたので、そのついでに寄ってみます。てんとうむしパークから晴明塚までは、約10分程の距離。西高野街道と東高野街道が、河内長野駅付近で合流し「高野街道」として高野山へ通じます。晴明塚は、堺市から河内長野市に通じる西高野街道の終盤に存在。

てんとうむしパークから、西高野街道と平行して走る、国道310号線を北に歩き、石坂南交差点を左折します。最初の信号のある交差点で西高野街道につながるので、北に歩きます。かつて高野詣により賑わっていた街道も、今は静かな一般道。少し歩いたところにある地蔵堂。歴史ある西高野街道沿いということなのか、史跡が多くみられます。

晴明塚の近くにある地蔵堂

地蔵堂からさらに北に歩いたところに「晴明塚」が存在。

晴明塚の全景

よく見ると晴明塚の背後に、また地蔵堂が置かれています。ついさっきもあった気がしますが…

晴明塚の裏にある地蔵堂

晴明塚の右前に立つ石灯篭。下部には「五條天神宮」と彫られています。調べてみると京都にある神社のようですが、安倍晴明とのつながりは不明でした。

晴明塚の前にある灯籠

晴明塚の側面には「さかい神南邉」と彫られています。これは「神南辺道心」という江戸時代に活躍した堺の人物名。神南辺道心は腕の良い鋳物師でしたが、若き頃は荒くれ者でした。後にあるキッカケで改心し、諸国に道標や橋を掛けたという変わった人物です。

晴明塚に刻まれた神南邉

こちらの塚の下に、安倍晴明が燃やした書の灰が埋まっているようです。実際に埋まっているのかはわかりませんが、安倍晴明が高野山や熊野への参拝に、西高野街道を通った可能性は高いと思われます。この道を晴明が歩んだと考えると、少し不思議な気分に包まれます。

晴明塚データ

神社名晴明塚
住所大阪府河内長野市原町3丁目6
参考資料・河内長野生涯学習情報誌
・河内長野市広報誌

アクセスと駐車場

公共交通機関
南海高野線「千代田駅下車」。駅前を走る国道310号線を南に進み「千代田駅前交差点」を西に曲がります。曲がって最初の信号を南に曲がり、西高野街道を10分ほど歩くと晴明塚があります。

自動車
晴明塚周辺に駐車場はありません。千代田駅周辺のコインパーキングに停めて、徒歩で向かうのがオススメです。

周辺スポット

長野神社

晴明塚から徒歩20分程の場所にある神社。えべっさんや、タイマツタテ神事などが知られています。

極楽寺

晴明塚から徒歩20分程の場所にあるお寺。南河内でも最大級の大仏を有するお寺として知られています。

西代神社

晴明塚から徒歩20分程の場所にある神社。毎年18月に行われる西代神楽は、河内長野市の無形重要文化財に指定されています。


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