南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、藤井寺市小山にある「小山産土神社(うぶすなじんじゃ)」です。小山地区の氏神として大切にされている神社はどのような歴史を歩んできたのか?今回は藤井寺市小山にある「小山産土神社」を紹介します。
産土神とは
産土と書いて「うぶすな」と読み、神道において「産土神」という意味でよく使われています。産土神とは、その者が産まれた土地の守護神をさし、氏神と意味が異なります。つまり、
自分が産まれた土地の神様=産土神
自分が住んでる土地の神様=氏神
昔は、その土地から離れる人も少なかったため「産土神=氏神」でした。しかし現代においては、産まれた場所と住んでいる場所が異なることもあり、産土神と氏神が異なるケースが多いようです。産土神は、人により異なるため、決まった神様はありません。
小山産土神社とは
産まれた土地の守護神を意味する「産土」を社名にする神社は、大阪にもいくつかあるようです。藤井寺市野中に建つ野中神社もかつては産土神社と称していました。藤井寺市小山に建つ小山産土神社の創建はよく分かっていません。神社の案内板によると下記のように記されています。
室町時代、現本殿の蟇股(カエルマタ・桃山様式)は、当時のままの蟇股を残しています。
蟇股(カエルマタ)とは、屋根を支える部材のひとつ。横木に設置し、荷重を分散して支えるために、下側が広くなっています。時代により装飾が異なっており、建物の建造時期を判断する材料にもなっています。
案内板をみると、室町時代のものか安土桃山時代のものなのか判断しにくいのですが、室町時代後半~安土桃山時代には少なくとも創建されたようです。この様式の蟇股は、藤井寺市内では最古級のものとのこと。別の資料によると、もともと小山村と隣接する岡村は、辛国神社を共有の氏神にしていたそうです。
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ただ祭りの度に村人同士が諍いを起こすため、1590年に羽曳野市の大津神社から牛頭天王を勧請し、小山村独自の氏神として祭ったとも記されています。
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小山産土神社は、隣接する「清圓寺」の鎮守でもあり、神社の紋は、清圓寺の仏紋と同じ「五瓜に唐花」。宮司さんは常駐していませんが、大正時代後期まで、清圓寺の住職が祭事を行っていたとのこと。
1872年(明治5年)に村社に指定。1907年(明治40年)に、津堂の八幡神社を合祀(のちに復社)。
1908年(明治41年)、神饌幣帛料供進社に指定。現在に至ります。
藤井寺駅から小山産土神社までの風景
藤井寺駅からブラブラと北に歩いていくと、2019年にリニューアルしたイオンがあります。藤井寺市は遺跡がよく出土する土地で、イオンも建て直す際も、室町時代の遺構がでてきたとか。奈良は地面を掘ると何か出てくるとよく言われますが、藤井寺市も負けていないようです。
イオンをさらに北に向かい、大和高田線を渡ると、長尾街道へ。長尾街道は、大阪府堺市堺区から、二上山の田尻峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社付近に至る街道です。長尾街道は、日本最古の官道「竹内街道」と並行する古い街道として知られています。今でも道の端には古い道標が置かれており、かつての名残を感じます。
さらに北に歩くと左側に立派な山門を構えたお寺があります。こちらは「小山善光寺」といい、長野県にある善光寺の元となったお寺。
小山善光寺から北に歩くと「常夜燈」と彫られた立派な石灯篭が置かれています。詳細は不明ですが、伊勢灯篭なのかもしれません。
歴史のあるエリアなので、街並みに趣がありいろいろな史跡を見ることができます。
小山産土神社にやってきました
常夜燈から少し歩いた場所に「小山産土神社」が存在します。小規模神社では、一般的に簡単な案内版しかありません。しかし小山産土神社にはかなり大きめな案内板が設置されており、祭神の紹介や参拝順路なども記載されています。
こちらが小山産土神社の入口。石造りの立派な鳥居と社名碑が建てられています。
入口に置かれた「右 大峯山」と彫られた石碑。ここからしばらく東へ歩くと東高野街道に通じています。東高野街道を南下し、高野山方面に向かうと修験道のメッカである大峯山へたどり着くことができます。
鳥居をくぐり、左脇にある小さな水盤と百度石。使わないけど一応置いて置くか感が、砂地とあわせていい味を出しています。水盤には文字が彫られていますが、達筆過ぎて判別できませんでした。
境内を見渡すと、右奥にずらりと並んだ石灯篭と謎の石台が置かれています。ちょっと不思議な光景。
案内板の参拝順に、まずは拝殿でお参り。
拝殿の上部にあるのが案内板に書かれていた「蟇股(カエルマタ」ではないでしょうか。
蟇股の下には神紋が彫られていますが、こちらが清圓寺の仏紋と共通の「五瓜に唐花」と思われます。
拝殿の裏側に本殿があり、素戔嗚命(スサノオ)が祭られています。もともとは牛頭天王を祭っていましたが、明治時代に牛頭天王の崇拝が禁じられたため素戔嗚命を祭っています。
次に参拝するのは「金刀比羅社」。もともとは金比羅大権現として十一面観音、不動明王、毘沙門天を祭っていたようです。ただ明治に入り神仏分離政策が進められたことにより、現在は大物主命を祭っているとのこと。
最後に参拝するのが「稲荷社」。稲荷社といえば赤い連なった鳥居がシンボルですが、こちらの鳥居はなんと「屋根付き」。最近改修されたのか、非常にきれいな社殿となっています。
摂社の稲荷神社で祭神が明記されているのは珍しいのですが、小山産土神社の稲荷社では「稲田姫(いなだひめ)」が祭られています。稲田姫は「櫛名田比売(くしなだひめ)」の名前でも知られた神様。ヤマタノオロチに生贄にされるところを素戔嗚命によって助けられ、その妻となっています。
稲荷神社系では食物の神である「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」を稲荷神としているケースが多いようです。稲田姫を稲荷神として祭る神社は、あまり南河内では見かけません。主祭神が旦那の素戔嗚命なので、それに合わせてみたのでしょうか?
小山産土神社には、江戸時代に奉納された絵馬が91点も奉納されているそうです。その中でも初代鳥居清信の1719年「朝比奈草摺曳図」など芸術性の高い作品が含まれているとのこと。
まとめ
今回は、藤井寺市小山にある「小山産土神社」を紹介しました。祭神をみると、明治時代の神仏分離・廃仏毀釈の荒波で色々苦労されたのではと感じます。藤井寺市内でも最古級の社殿をもつ神社ですが、境内は非常に清潔に保たれており、地元の人々に大切にされている神社と感じました。
祭礼
・1月1日:歳旦祭
・1月中旬:どんと祭
・2月17日:金刀比羅祭
・3月21日:稲荷祭
・7月16日・17日:夏祭・夏越祭
・10月16日・17日:御例祭・秋季大祭
(1月15日に拝殿が開放)
小山産土神社データ
神社名 | 小山産土神社 |
住所 | 大阪府藤井寺市小山4丁目7-9 |
祭神 | 素戔嗚命 |
摂社 | 金刀比羅社・稲荷社 |
旧社格 | 村社 |
式内社 | なし |
参考資料 | ・案内板 ・大阪府神社名鑑 ・文化財シリーズ「第11集・藤井寺市の神社」 |
・公共交通機関
近鉄南大阪線「藤井寺駅」下車。北側ロータリーより発車している近鉄バス「近鉄八尾駅」方面のバスに乗ります。「小山停留所」で下車し、西へ徒歩3分。
・自動車
小山産土神社に駐車場はありません。徒歩5分ほどの場所に、ふじみ緑地の駐車場があるので、ここから徒歩がオススメです。
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