南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、羽曳野市古市にある「城不動坂古墳(しろふどうざかこふん)」です。城不動坂古墳は、宅地開発がキッカケで発見された比較的新しく見つかった古墳として知られています。そんな城不動坂古墳とは、どのような古墳なのか?今回は、羽曳野市古市にある「城不動坂古墳」を紹介します。
城不動坂古墳とは
城不動坂古墳は、近鉄南大阪線「古市駅」から徒歩10分ほどの場所に存在します。城不動坂古墳は、2008年(平成20年)に宅地開発により発見。古市古墳群の一つですが、世界遺産文化には含まれていません。
城不動坂古墳から50mほど離れた場所に、「安閑天皇陵(高屋築山古墳)」が存在します。この古墳には「高屋城」の本丸が築かれ、河内守護の居城として機能していました。
城不動坂古墳も高屋城の敷地内に存在し、北側の土塁跡から見つかっています。ただ古墳は、高屋城築城時に大きく破壊されており、墳丘などは失われています。城不動坂古墳の規模は、全長約36メートル、前方後円墳。築造時期は、出土した遺物から、6世紀中頃と考えられています。
埋葬施設は「横穴式石室」。玄室長4.2m、玄室幅1.6m、羨道長4.8m、羨道幅0.9mの規模を有しています。石室内からは、土師器壷、須恵器器台・高杯・提瓶・甕などが出土。棺は、組合式家形石棺ですが、大きく破壊され原型を留めていません。
古墳の周溝からは、埴輪や須恵器が出土。その中には「盾持人物埴輪」という珍しい埴輪も見つかっています。被葬者は不明ですが、以下の理由より、近接する高屋築山古墳(安閑天皇陵)の被葬者に近い人物と考えられています。
①立地的に高屋築山古墳に近い
②高屋築山古墳と主軸がほぼ同じ
③高屋築山古墳と築造時期が近い
高屋築山古墳の被葬者が安閑天皇とすれば、城不動坂古墳の被葬者は安閑天皇に近い人物と考えられます。さらに城不動坂古墳は前方後円墳であることから、皇族クラスの可能性も。ちなみに安閑天皇の皇后である「春日山田皇女」の陵は、安閑天皇陵の少し南側にある「高屋八幡山古墳」に比定されています。
記紀によると、安閑天皇と春日山田皇女の間にが子女がいません。ただ、皇后以外にも后がいたため、城不動山古墳の被葬者のである可能性もあります。
城不動坂古墳へ行ってきました
古市駅前を東西に走るのが「竹内街道」。駅前なので建物が多くよく見えませんが、築造時は、街道から城不動坂古墳や安閑天皇陵が見えたのではないでしょうか。
竹内街道には、他にも巨大古墳がいくつもあり、街道を行く人々に巨大古墳を見せつけることで、大和王権の力を誇示していたともいわれています。竹内街道を東へ少し歩くと、東高野街道と交差します。東高野街道は紀伊方面へ続く道で、南下すると高野山や熊野に続いています。
そんな交通の要衝に、城不動坂古墳のある「高屋城」が築城されていました。高屋城内には、東高野街道が通っており、行き交う人々を監視する役割もあったといわれています。東高野街道をさらに南下すると踏切があり、その右奥の丘の上に建つのが「城不動山古墳」です。ここから見ても全く古墳には見えませんが・・・
踏切を渡った先の坂を「不動坂」といい、高屋城における北側入口にあたります。城不動山古墳の「不動」は、この坂の名前から来ているようです。
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不動坂の脇に細い脇道があり、この脇道を登ると城不動坂古墳の南側にでます。
城不動坂古墳は、フェンスに囲まれて中に入ることはできません。特に案内板もないので、古墳と知らなければ誰も古墳と気が付かないでしょう。
土塁の中から見つかったということで、前方後円墳であるかは全くわかりません。ただ、羽曳野市の調査写真を見ると、石室の下層部は比較的良好に石材が残されているようです。
現在は埋め戻されて保存されているのではないでしょうか。ここも古市古墳群のひとつなので、案内板があればというところ。
まとめ
今回は、羽曳野市古市にある「城不動坂古墳」を紹介しました。城不動坂古墳は6世紀中頃に築造されたということで、古市古墳群の中で最後に作られた前方後円墳になります。城不動坂古墳の少し前に築造された峯ヶ塚古墳の石室は竪穴式石室でしたが、城不動坂古墳では横穴式石室になっています。
この時期の古墳は宮内庁が管理する古墳が多いので、城不動坂古墳の情報は古墳形態の推移を知る上で貴重な史跡ではないでしょうか。
城不動坂古墳データ
古墳名 | 城不動坂古墳 |
住所 | 大阪府羽曳野市古市5丁目4 |
墳形 | 前方後方墳 |
全長 | 36m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 6世紀中頃 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
出土物 | |
参考資料 |
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄南大阪線「古市駅」下車。駅から東に直進すると、竹内街道と東高野街道が交差するので、南に曲がり東高野街道を進みます。直進すると、踏切があり渡ります。車道の右脇に細い歩道があるので、ここを登った先が、城不動坂古墳です。
・自動車
城不動坂古墳に駐車場はありません。古市駅付近のコインパーキングから徒歩がオススメです。
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