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小野妹子が華道の祖!?そのキッカケとは~太子町・墓・池坊~

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南河内郡太子町に小野妹子のお墓があるということでその人物について調べていたところ、驚いたことに華道で有名な池坊の始祖であるという事を知りました。




小野妹子と言えば聖徳太子の命で中国に渡った「遣隋使」が有名です。しかし華道にゆかりがあるとはほとんど聞いたことがありません。一体どういう経緯で池坊の始祖となったのか・・・気になったので調べてみました。

小野妹子とは

小野妹子という名前を初めて聞いた時はおそらく女性と思う方は多いと思いますが、性別は「男」です。また、和歌で有名な小野小町は小野妹子の子孫とも言われています。




小野一族は滋賀県の大津市を拠点とする豪族の出身で、元をたどれば天皇家に繋がる一族との説もあるそうです。

日本書紀によると607年に聖徳太子の命により中国の隋に向かい、皇帝に国書を渡しています。

聖徳太子 叡福寺

いわゆる「遣隋使」です。隋の皇帝「煬帝(ようだい)」が国書にある 「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。」という一文を見て腹を立てたというエピソードも有名ですね。(辺境の国の王が「天子」を名乗ったのが勘に触ったようです)




隋から帰国の際、返書を紛失する失態を犯してしまい、帰国後流刑になっています。その後許されて再び高向玄理らと共に隋に使者として赴いています。ちなみに 高向玄理は河内長野出身と言われ、「くろまろくん」というゆるキャラで現代に蘇っています。

くろまろの郷

くろまろくん

池坊と小野妹子との関係

Rokkakudo

六角堂/Wikipediaより

華道家元「池坊」は日本で最も古く、最大の会員数を誇る華道の家元。京都市中京区にある紫雲山長法寺、通称「六角堂」の住職が家元を兼ねています。




なぜ、六角堂の住職が華道の家元をしているのか?ここに小野妹子と池坊との繋がりがあります。

587年、四天王寺を建設する木材を集るため六角堂近くにいた聖徳太子は霊夢を見て六角堂を建立し、そこに如意輪観音像を安置。

六角堂の北側には聖徳太子が沐浴したという池がありました。その池のほとりに僧達が寝泊まりする宿舎があったことから、六角堂の住職は「池坊」と呼ばれるようになったといわれています。




小野妹子はこの六角堂の初代住職として朝夕、仏前に花を供え始めたことがのちの華道の始まりとされています。その後、歴代住職である「池坊」は仏前への花の添え方を工夫し続け、華道「池坊」が現在に至っているということです。

小野妹子の墓

小野妹子のお墓と伝わる場所は南河内郡太子町の科長神社南側の丘に存在。また小野妹子につながりのある推古天皇や聖徳太子の墓もほど近いところにあります。

科長神社

お墓の隣にある科長神社は直接的に小野妹子と関係はありませんが、非常に歴史の古い神社です。この一帯は応神天皇の母である神功皇后誕生の地といわれており、神功皇后が持っていた兜が保管されているそうです。




小野妹子のお墓はこの緑に囲まれた長い長い階段の先にあります。この豊かな緑は大阪府が選ぶ「大阪みどりの百選」にも指定。

小野妹子 碑

階段の途中の脇道にトイレがあります。お墓にトイレがあるのは珍しいのですが、これがまた少しお金をかけた感じの素敵なトイレでした。




中は比較的綺麗で手洗いは自動です。トイレ正面には水琴窟まで置いてあります。お墓のトイレにここまで手が込んでいるのはちょっとおかしいな・・・と思い調べてみると、お墓全体をなんと池坊が管理されているとの事です。池坊公認の小野妹子のお墓なんですね。
小野妹子墓 トイレ

小野妹子墓 水琴窟

小野妹子のお墓は大正時代に池坊によって大改修されています。また毎年6月30日の小野妹子の命日に小野妹子のお墓では池坊主催の、「道祖小野妹子墓前祭」が行われています。科長神社の宮司が祭祀を行い太子町の町長やなども来賓として招かれる大規模なイベントで300人近い人たちが参加しています。

小野妹子墓 丘

小野妹子墓 陵墓

実は小野妹子のお墓と言われる場所はもう一カ所あり、滋賀県にある唐臼山古墳が小野妹子のお墓ではないかという説もあります。小野氏は滋賀県を拠点にしていたので、小野妹子のお墓でなかったとしても小野氏の誰かのお墓である可能性は高いかもしれません。

まとめ

小野妹子が仏前に花を添え始めたことがキッカケで、長い年月を経て現代にいたる華道ができたという事です。しかし小野妹子本人も、自分が花を添えただけでここまで大きな文化として広がったと知ったらビックリするかもしれませんね。

PS
最近は小野妹子の末裔を称するアイドル、えのきさりな さんが出てきて小野妹子が急に話題に出ることが増えました。これをキッカケに南河内に訪れる人が増えるといいですね。



周辺スポット

・科長神社

科長神社の全景

小野妹子の墓の隣にある神社。延喜式神名帳にも記載された由緒ある式内社として知られています。

・道の駅 近つ飛鳥の里・太子町

道の駅近つ飛鳥の里太子
小野妹子の墓から徒歩10分ほどの場所にある道の駅。地元特産品の販売やカフェコーナーがある小さな道の駅です。周辺には飛鳥時代の史跡が多くあり、太子町観光の拠点として便利です。

・二子塚古墳

二子塚古墳
小野妹子の墓から徒歩15分ほどの場所にある古墳。全国でも珍しい双方墳という形をしています。埋葬者は不明ですが、推古天皇との説もあります。

・推古天皇陵

推古天皇陵
小野妹子の墓から徒歩15分ほどの場所にある古墳。日本初の女帝である、推古天皇の陵とされる巨大方墳。梅鉢御陵の一つで、息子の竹田皇子も合葬されると伝わっています。

・仏陀寺古墳

仏陀寺古墳
小野妹子の墓から徒歩15分ほどの場所にある古墳。7世紀後半頃に築造されたとされる終末古墳。乙巳の変に加わった蘇我倉山田石川麻呂の墓ともいわれています。

・孝徳天皇陵/山田上ノ山古墳

孝徳天皇陵(山田上ノ山古墳)
小野妹子の墓から徒歩15分ほどの場所にある古墳。孝徳天皇の陵とされる方墳で梅鉢御陵の一つ。敏達天皇の孫で天智天皇の叔父にあたります。

小野妹子のお墓および科長神社データ


住所:大阪府南河内郡太子町山田3751
アクセス:近鉄長野線「喜志」駅より 金剛バス 太子線 葉室廻(循環)「御陵前」もしくは「山田」停留所下車 徒歩15分
駐車場 なし
(科長神社に通じる道は少し狭いうえに駐車スペースやコインパーキングがないため車で行くことは避けたほうがいいです。公共交通機関を利用しても結構遠いですが・・・)

主祭神:級長津彦命・級長津姫命
配 神:素盞嗚命・品陀別命・建御名方命・武甕槌命・経津主命・天児屋根命・天照大神
旧社格:式内小社
式内社:郷社


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