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壷井八幡宮|源氏の繁栄は羽曳野から始まった【御朱印】〜羽曳野市〜

壷井八幡宮

源氏と言えば鎌倉のイメージが強いですが、そのルーツをさかのぼると実は南河内につながります。




羽曳野市にある壺井八幡宮周辺は河内源氏発祥の地として知られていますが、なぜ河内源氏発祥の地なのか?今回は壺井八幡宮と河内源氏発祥のルーツについて紹介します。

河内源氏とは

羽曳野市にある壺井八幡宮が建つ場所はかつて「香呂峰」と呼ばれていました。1020年に源頼信が河内守に任ぜられ、現在の羽曳野市壺井に館を築きます。以後、源頼義、源義家と3代にわたり河内を支配したことが河内源氏の始まりとされています。




河内源氏の子孫には源頼朝を始め、足利尊氏、新田義貞、河内守護である畠山氏などの名門を輩出しています。

前九年の役における源頼義の活躍

河内源氏の勢力を広げるキッカケとなったのは、1051年から始まった前九年の役でした。

前九年の役は東北地方で半独立的な勢力を誇っていた安倍一族と朝廷が対立した事に端を発します。前任の陸奥守が鎮圧に失敗したため、源頼義が後任として安倍一族と戦いを繰り広げました。




前九年の役は頼義にとって非常に苦しい戦いであり、安倍一族を滅ぼす為に10年以上の歳月を費やしています。

前九年の役を終えた1064年、頼義は香呂峰の館の隣に河内源氏の氏神である石清水八幡宮を勧請。これが壺井八幡宮の創建とされています。(現在の社殿は1701年徳川綱吉の命により柳沢吉保が再建したもの)

壷井八幡宮

壺井八幡宮本殿

「香呂峰」という地名が「壺井」と呼ばれるには一つの逸話にあります。

戦いの中で、大干ばつに見まわた頼義軍は、飲み水が不足低下していました。そこで頼義は天に祈り、岸壁に弓を撃つと、そこから清水が噴出。それを見た兵士は大いに士気が上がり、大いに敵を打ち破ったと言われます。




凱旋後、清水が入った壺を河内に持ち帰った頼義は、香呂峰の井戸底に納め「壷井」と呼ばれるようになったそうです。

壷井八幡宮

壷井水

後三年の役における義家の活躍

通法寺跡にある源頼義の墓

通法寺跡にある源頼義の墓

1083年に東北地方で再び争いが勃発。原因は前九年の役で源頼義に味方した清原氏における家督争いでした。源義家は陸奥守として内紛を鎮める為に介入。これが後三年の役になります。




後三年の役を鎮めた義家ですが、朝廷からは私闘扱いにされ恩賞がでませんでした。これに対して義家は私財を投じて戦った者に報いた事で、義家の名声が高まったと言われています。

河内におけるその後の源氏

一方でお膝元の河内国においては少し状況が変わってきます。河内源氏の棟梁である源義家が死去すると、親族内で内輪揉めが勃発。その影響で河内源氏有力者の多くが関東に移ってしまいました。




河内の領地は源義家の五男、源義時が継承。義時は壺井八幡宮内に源頼義、義家などを祀る壺井権現社を築き、祖廟とします。

壷井八幡宮

平家全盛期に入ると、平清盛は京に近い河内源氏の勢力を警戒。清盛は義時の息子である義基を都におびき寄せて粛正してしまいます。河内にも軍を送り激戦の末、義基の息子義兼を捕虜としました。

その後、源頼朝が平家打倒に立ち上がると、北陸の木曽義仲が呼応し京を攻略。混乱に乗じて京を脱出した義兼は、頼朝の配下として戦い「河内随一の源氏」と称されるほど大活躍。鎌倉幕府において義兼は再び河内を取り戻すことに成功します。




その後、義兼の子孫は「源」から「石川」と名を改め、鎌倉幕府の御家人として南河内を支配。しかし鎌倉幕府が衰えてくると、楠木正成ら勢力に圧迫され、河内における源氏は衰退してしまいました。多くの一族は関東へ逃げ延びたり楠木正成の配下になったようです。

歴代政権である足利氏や徳川氏は河内源氏の末裔を称したことから、源頼信、源頼義、源義家の三代は河内源氏の始祖とされ、歴代の権力者に敬われてきました。3人は現在、壺井八幡宮の南にある河内源氏の菩提寺であった通法寺跡近くの墓に眠っています。

源氏三代の墓

現在の壷井八幡宮

壷井八幡宮

現在の壺井八幡宮は古い街並みが残る静かな住宅地にあります。非常に緑豊かな境内は、大阪みどりの百選にも選ばれています。そのシンボルである楠は幹まわり7mを超える樹齢1000年巨木。

壷井八幡宮

壷井八幡宮は小高い丘の上にあり緑が多く美しい境内。

壷井八幡宮

壷井八幡宮

境内は非常に美しく保たれており、緑豊かで、落ち着いた雰囲気の建物をゆっくり見ているだけで心が休まります。

まとめ

前九年の役、後三年の役は藤原三代につながるドラマチックな出来事なんですが、ちょっとややこしく少しマイナーなイメージです。

昔大河ドラマにもなった高橋克彦氏の小説「炎立つ」があります。炎立つはこの2つの乱の雰囲気をつかむ事ができお勧めです。(安倍一族側の話なので源頼義は悪役ですが…)




南河内と言えば楠木正成が有名ですが、源氏発祥の地としてもっとクローズアップされるといいですね。

御朱印

壺井八幡宮の御朱印
2021年8月に再訪したさいにいただきました。「河内源氏発祥の地」と「河内源氏宗廟」の2種類の御朱印が存在します。こちらの御朱印は1種類に見えますが、見開きで書いてただいたため1種類に見えています。初穂料は、どちらも500円。

アクセスと駐車場

・公共交通機関

上ノ太子駅

近鉄南大阪線「上ノ太子駅」下車。南へ徒歩15分ほど。

・自動車
壺井八幡宮には無料の駐車場が存在します。外環状170号線「羽曳野IC前交差点」を東へ曲がります。直進して。「羽曳野大橋東詰」を右折。少し走ると「壺井八幡宮」の看板あるので、そこを左折。直進して突き当たりを左折すると鳥居があり、そこを潜ると第二駐車場が存在します。鳥居をくぐって左折した先には第一駐車場も存在します。周辺の道は非常に細いので対向車に注意が必要です。

周辺スポット

・通法寺跡
通法寺跡の山門

壺井八幡宮より徒歩5分ほどの場所にある寺跡。現在は、頼義の墓・礎石・鐘楼・山門しか残されていませんが、源頼義によって建てられた寺とされています。

・天童山 大黒寺

大黒寺

壺井八幡宮から車で5分ほどの場所にあるお寺。日本で初めて大黒天を祭ったお寺として知られています。

・杜本神社

杜本神社 拝殿

壺井八幡宮から車で10分ほどの場所にある神社。延喜式にも記載がある由緒ある神社。藤原氏と楠木正成にゆかりのある神社です。

・グレープヒルスポーツ公園

グレープヒルスポーツ公園の管理棟

壺井八幡宮から車で15分の場所にある公園。大きなグラウンドと共に、キャンプ場も併設されており、日帰り・泊まりの宿泊が楽しめます。

・大谷古墳群

大谷古墳群

壺井八幡宮から車で15分の場所にある古墳群。グレープヒルスポーツ公園内に保存されている3基の終末古墳です。

・九流谷古墳

九流谷古墳

壺井八幡宮から徒歩10分程の場所にある古墳群。全国でも数少ない前方後方墳という珍しい形をした古墳として知られています。。

壺井八幡宮データ


住所:大阪府羽曳野市壺井605-2
駐車場:あり
アクセス:近鉄南大阪線 上ノ太子駅 徒歩15分
URL:http://tuboihatimanguu.jp/
祭神:誉田別尊/仲哀天皇/神功皇后


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