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反正天皇仮宮旧址|近つ飛鳥の由来ともなって恐ろしい事件とは?~羽曳野市~

反正天皇仮宮址

南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、羽曳野市駒ヶ谷にある「反正天皇仮宮旧址(はんぜいてんのうかりのみやきゅうせき)」です。一見ただ石碑ですが、この場所には古墳時代に反正天皇の仮宮があったといわれています。実はこの仮宮、少し恐ろしい事件が起こった場所でもあるのです。その恐ろしい事件とはどのようなものなのか?今回は、羽曳野市駒ヶ谷にある「反正天皇仮宮旧址」を紹介します。

反正天皇の仮宮と恐ろしい事件

第18代反正天皇は、古墳時代に活躍した人物。父は仁徳天皇、母は有力豪族である葛城氏の娘。同母兄弟に履中天皇、住吉仲皇、異母兄弟に允恭天皇を持ちます。反正天皇は丹比郡にゆかりが深く、現在の松原市柴籬神社あたりに置いたと伝わっています。

柴籬神社
柴籬神社

また天皇は、生まれながらに容姿端麗だったようで、特に美しい歯並びが特徴的だったとのこと。日本書紀では「多遅比瑞歯別天皇」、古事記では「瑞歯別皇子」と記されています。そのため反正天皇を祭る柴籬神社は、歯に御利益のある神社としても知られています。

歯磨面
柴籬神社にある歯磨面

では、反正天皇仮宮旧址に関わる事件とはどのようなものだったのか?事件は履中天皇が即位したときに起こりました。仁徳天皇崩御後に難波宮で大嘗の祭を行なわれ、その後に行われた酒宴で履中天皇は酔い、すっかり眠ってしまいました。

難波宮跡
住吉仲皇子が反乱を起こした難波宮跡

すると、履中天皇の弟である住吉仲皇子は、天皇殺害を企み御殿に放火。大混乱に陥りますが、履中天皇は家臣に救出されてなんとか大和の石上神宮まで逃れました。

石上神社
奈良県にある石上神社

その後、もう一人の弟である「瑞歯別皇子(後の反正天皇)」が心配して履中天皇の元に参上。しかし疑心暗鬼に陥っていた履中天皇は、瑞歯別皇子が住吉仲皇子と通じているのではないかと疑います。

そこで履中天皇は、疑いを腫らしたければ住吉仲皇子を殺害するよう瑞歯別皇子に命じ、瑞歯別皇子はこれを了承しました。瑞歯別皇子は一案をめぐらし、住吉仲皇子に仕える曽婆訶理(そばかり)という人物に目をつけます。曽婆訶理は、異国の人物だったともいわれており、あまり身分は高くありませんでした。

曽婆訶理に近づいた瑞歯別皇子は、住吉仲皇子の殺害をもちかけます。成功のあかつきには大臣の位を約束された曽婆訶理は、喜んで承諾。曽婆訶理は、住吉仲皇子が便所に入った隙をついて矛で殺害。瑞歯別皇子は自らの手を汚さず、住吉仲皇子の排除に成功します。

しかし住吉仲皇子の殺害に成功したものの、瑞歯別皇子は曽婆訶理の扱いについて悩んでいました。曽婆訶理は、住吉仲皇子を殺害し功績を上げたが、それは主君殺害という不義でもある。ただ、大臣にするという約束を果たさねば誠意を欠くが、曽婆訶理を大臣にするなど天皇は許さないのではないか…

そこで瑞歯別皇子がたどり着いた答えは

そうだ殺そう!

そう結論づけた瑞歯別皇子は、曽婆訶理に「今日はこの土地に泊まって、お前に大臣の位を授けよう。そのうえで明日、大和へ上ることにしよう。」と提案。二上山を越える手前で仮宮を築き、曽婆訶理をもてなすことにしました。仮宮で大臣就任の宴が催され、ご機嫌の曽婆訶理。

瑞歯別皇子に酒を杯で勧められ、曽婆訶理はグイと杯を傾けます。その時、瑞歯別皇子は、手元のの刀で曽婆訶理の首を刎ねてしまいました。その明くる日に瑞歯別皇子は大和へ向けて旅立ちますが、そのためにこの地を「近つ飛鳥」と名付けたそうです。(飛鳥は明日香ともいう)

現代の感覚からすればサイコパス的な行動ですが、この時代においては身分の差は絶対的、で許容されてしまうものだったのかもしれません。

反正天皇仮宮旧址と維日谷稚宮

反正天皇仮宮旧址には、もともと「維日谷稚宮(いひやわかみや)」別名「若宮神社」と呼ばれる神社が存在しました。現在の反正天皇仮宮旧址近くには倉庫のようなものが建っていますが、昔は森だったようです。維日谷稚宮では、反正天皇の他に伊波別命(いわわきのみこと)、遠登売命(読み不明)を祭っていました。

伊波別命は、経津主神(ふつぬしのかみ)の14世の孫といわれている人物。遠登売命は調べてみましたがあやふやな情報しかなく、詳細は不明。ただ「売命」とついているので、女性の神様であることは間違いないようです。

経津主尊
岳亭春信(八島岳亭)『葛飾廿四将』より経津主尊/Wikipediaより

後に維日谷稚宮は、1869年(明治2年)へ杜本神社に合祀。

維日谷稚宮
現在杜本神社に合祀されている維日谷稚宮
維日谷稚宮
現在杜本神社に合祀されている維日谷稚宮

ちなみに杜本神社は、維日谷稚宮の祭神の一人「伊波別命」が、杜本神社の建つ場所が経津主神の陵であると定めて、創建した神社と伝わっています。

反正仮宮へ行ってきました

反正天皇仮宮旧址へどのように行くか、かなり悩みました。正攻法で行くならば駒ヶ谷駅近くのコインパーキングから徒歩です。しかし歩くと20分ほどあり少し時間がかかり、着いて30秒ぐらいで見終わってしまう場所なので、車で行くことにしました。

ただ、車だと止めるところが無い上に、道幅がかなり狭いので、運転が苦手な私には辛いところ…。幸い、反正仮宮の前だけ少し道幅が広いので、少し停めさせてもらうことにしました。それでは実際に、反正天皇仮宮旧址へ向かいます。南阪奈道路沿いの道を羽曳野市方面に走り、その途中にある細い農道に入ります。

Googleマップでみる限り狭そうな感じでしたが、実際走るとメチャクチャ狭い。この狭さなのに一方通行ではないので対向車画来たらTHE ENDです。幸いなことに対向車に遭遇することなく、無事に反正仮宮に到着。

まだ森があった時代の反正天皇仮宮旧址の写真を見ると、後背に森があり雰囲気ある感じでした。しかし現在の反正仮宮は、倉庫前の一角にちょこんとあり、なかなかシュールです。

反正天皇仮宮址

石碑の高さは1mほどもなく小さなもの。周囲を玉垣のようなもので囲われています。

反正天皇仮宮址

なかなか達筆な文字で「假宮舊址」と彫られいます。読めませんが、假は「仮」の旧字体、舊は「旧」の旧字体のようです。

反正天皇仮宮址

特に管理されている訳でもなさそうですが、石碑を囲う玉垣のようなものは、比較的新しいようです。

まとめ

反正天皇仮宮址

今回は羽曳野市駒ヶ谷にある「反正天皇仮宮旧址」を紹介しました。何気ない農道の片隅に建つ石碑ですが、この場所に仮宮が作られ、サイコパス気味な事件があった場所とは誰も思わないでしょう…近つ飛鳥発祥の場所でもあるので、もう少し有名になるといいですね。

反正天皇仮宮旧址データ

住所:大阪府羽曳野市駒ヶ谷265

公共交通機関
近鉄南大阪線「駒ヶ谷駅」下車。改札から東側に進むと川が流れているので、川沿いにそって南に歩きます。しばらく歩くと月読橋があり、そこを右折して竹内街道を進みます。しばらく歩くと駒ケ谷幼稚園を過ぎた右側に近くに踏切があるので渡ります。踏切を渡り農道を少し歩いた右側に、反正天皇仮宮旧址が存在します。

自動車
反正天皇仮宮旧址に駐車場はありません。石碑しかないので、車で石碑の前まで行き少し停めさせていただければすぐに見れると思います。

周辺スポット

・杜本神社
反正天皇仮宮旧址から徒歩25分ほどの場所にある神社。反正天皇仮宮旧址に存在した維日谷稚宮が合祀されています。

・飛鳥戸神社
反正天皇仮宮旧址から徒歩20分ほど場所にある神社。かつて近つ飛鳥一体を本拠地としていた飛鳥戸氏が祖先を祭るために創建したと言われています。

・壷井八幡宮
反正天皇仮宮旧址から徒歩25分ほどの場所にある神社。河内源氏発祥の地といわれています。

・奉献塔山古墳
反正天皇仮宮旧址から徒歩20分ほどの場所にある古墳。飛鳥千塚古墳の一つで、墳頂に奉献塔が建てられいます。

・大祁於賀美神社
反正天皇仮宮旧址から徒歩25分ほどの場所にある神社。延喜式神名帳に記載されている由緒ある神社です。

・天童山 大黒寺
反正天皇仮宮旧址から徒歩25分ほどの場所にあるお寺。日本で初めて大黒天を祭ったお寺として知られています。


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