南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、藤井寺市藤井寺にある「鉢塚古墳」です。
百舌鳥古市古墳群の一つで、世界遺産推薦リスト「24」に登録されています。
鉢塚古墳とは
墳丘の長さは60m、高さは6.5mの前方後円墳。
築造時期は5世紀末と考えられており、古市古墳群の中では後半に築造された古墳になります。
国の史跡に指定されていますが、宮内庁の管理では無いため中に入る事が可能です。
かつては墳丘の周りに濠を有していましたが、現在は埋め立てられ、幼稚園が存在します。
埋葬施設や副葬品などは分かっていません。古墳の様式や円筒埴輪の種類から、仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)と同時期に築造されたようです。

仲哀天皇陵
鉢塚古墳は、仲哀天皇陵から北へ100m程の場所にあり、距離的・時期的にも仲哀天皇陵の陪塚と考えられます。
仲哀天皇陵の近くには、落塚古墳が存在しました。現在は消滅していますが、同じく岡ミサンザイ古墳と陪塚だったようです。古市古墳群の中でも、前半に築造された巨大前方後円墳には、陪塚が多く存在します。
しかし、仲哀天皇陵が築造された後半には、陪塚の数が減少傾向にありました。鉢塚古墳は、陪塚のありかたが変わる過渡期に築造されたようです。
仲哀天皇陵は、宮内庁より仲哀天皇の陵に治定されています。しかし時代が合わないため、雄略天皇の陵と言う説もあります。

現在の雄略天皇陵
鉢塚古墳は陪塚でありながら前方後円墳である為、天皇に近い有力者が埋葬されていると思われます。
現在の鉢塚古墳
鉢塚古墳も古市古墳群の他の古墳同様、住宅に囲まれています。遠巻きに姿は見えているのにどうすれば近づけるのか…
そんな感じで不審者のようにウロウロしていると1本の細い道から案内板のある場所にたどり着きました。職務質問されなくて良かったです。(されたことはありませんが…)
住宅に囲まれていますが、1面が開けているためわりと全体像が把握しやすくなっています。柵と生け垣が巡らされており、一瞬入ってはいけないのかなと思わせますが、近所の保育園や幼稚園の遊び場にもなっているので大丈夫です。
60mの前方後円墳ですが、あまり大きさを感じさせません。高さも6.5mと言う事で簡単に登ることができます。
登ると藤井寺市が一望できる!
かと言うとそうでもありません。木は生えていますが、そんなに密集していないので爽やかな古墳と言えます。
仮に岡ミサンザイ古墳が雄略天皇の陵とすると、鉢塚古墳には雄略天皇の身内か側近が埋葬されている事になります。
鉢塚古墳と同時期に築造された埼玉県の稲荷山古墳や熊本県玉の江田船山古墳からは、雄略天皇にまつわる剣が出土しています。
そう考えると、鉢塚古墳からも雄略天皇にまつわる副葬品が埋葬されているかも…と考えると少しワクワクしますね。
アクセス
近鉄南大阪線「藤井寺駅」より南へ徒歩約10分の場所にあります。
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鉢塚古墳データ
古墳:鉢塚古墳
墳形:前方後円墳
築造時期:5世紀末
所在地:大阪府藤井寺市藤井寺4丁目
全長:60m
高さ:6.5m
埋葬者:不明