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衣縫塚古墳|古墳の名前の由来「衣縫孝女」とは?〜藤井寺市〜

衣縫塚古墳

南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、藤井寺市国府(こう)にある「衣縫塚古墳」です。百舌鳥・古市古墳群の一つですが、世界文化遺産リストには含まれていません。

「衣縫」という聞き慣れない名前がつけられていますが、これは藤井寺市の民話に登場する女性が由来とされています。古墳にまつわる民話とはとんな話なのか?今回は、藤井寺市国分にある「衣縫塚古墳」を紹介します。

衣縫塚古墳とは

衣縫塚古墳は直径20m、高さ4.8mの円墳。築造時には掘が巡らされていました。

円墳

宮内庁により允恭天皇陵の陪塚「ろ号飛地」に指定されています。掘からは、円筒埴輪の他、人、家型、大刀型などの形象埴輪が出土。埴輪の形状から5世紀後半に築造されたと考えられています。

衣縫塚古墳

また周辺には、埋没していた兎塚古墳、兎塚2号墳と、いくつかの埴輪円筒棺墓が見つかっています。兎塚古墳、兎塚2号墳とも5世紀後半に築造されたとされ、同じく允恭天皇陵の陪塚と考えられています。

允恭天皇陵の周囲には数多くの陪塚が存在します。この時期は、陪塚を築く最盛期でしたが、これ以降は前方後円墳に付随する陪塚は徐々に減少します。

衣縫塚古墳

埋葬施設は、調査が行われていないため不明。埋葬者もわかっていませんが、允恭天皇陵の埋葬者に近い人物だと思われます。衣縫塚古墳の由来は、古墳の墳頂に「衣縫孝女(いぬいこうじょ)」の石碑が建てられていたことが由来とされています。

衣縫孝女とは

藤井寺市の民話「やっつけられたたかたかぼうず」に「孝行むすめ 衣縫孝女」という民話があります。

仁明天皇の頃(8世紀中頃)、藤井寺の国府に衣縫という親孝行な娘がいました。娘は、12歳のときに父を亡くし、あいた時間は父の墓を参り、残された母に一生懸命尽くしていました。

年頃になった娘は、母からお嫁へいくことを勧められますが、母を一人残して嫁にはいけないと頑なに受け入れません。娘は、常に一生懸命働き、困った人がいれば助け、病人がいれば看病し、誰にでも親切にする娘でした。

さらには、山へ行って木を切り、橋のない溝や川に橋をかけ人々のために働きます。母が88歳で亡くなると、両親の墓の近くに小屋を建てて両親を大切に守りました。後にこの話を聞いた高貴な人物が、この娘に「位三級」を授けたという話です。

衣縫という孝行娘がいたということで、衣縫孝女として伝わっています。衣縫塚古墳の墳頂にあった石碑は、国府にある潮音寺に保管されています。また潮音寺には、衣縫孝女の墓も存在します。

現在の衣縫塚古墳

衣縫塚古墳は、住宅街にひっそりと存在します。南、北、東の3方を住宅に囲まれ、西側からのみ古墳をみることができます。西側には、地名と古墳の名前をつなげた「国府衣縫塚公園」というストレートな名前の公園になっています。

衣縫塚古墳

フェンスがあり中に入れませんが、間近に墳丘を見ることができます。

衣縫塚古墳

堀から大量の埴輪が見つかったとのことですが、現在、堀は埋められており確認できません。

宮内庁管理の陪塚には石碑が建てられていますが、衣縫塚古墳の石碑は、この角度からは確認できません。昔は、古い色あせた案内板でしたが、新しい統一フォーマットで作り直されていました。

衣縫塚古墳
旧案内板
衣縫塚古墳

小さな公園で、オッサンが一人でウロウロしていると不信感爆発なので、衣縫氏の氏寺があったとされる国府遺跡へ。

「続日本書紀」によると、国府一帯には、衣縫孝女のモデルとなった、衣縫造が住んでいたと記述されています。衣縫とは文字通り衣服を裁縫する職人で、衣縫造は職人達をまとめた一族と考えられています。

国府遺跡

国府遺跡内には、飛鳥時代に創建された古代寺院存在しており、現在も塔の心礎が遺跡内に残されています。この寺院を創建したのが、衣縫造と考えられており「衣縫廃寺」と名付けられています。

国府遺跡

最後に、衣縫孝女の石碑が存在する潮音寺へ。山門の横にある石碑が衣縫孝女の碑と思われます。石碑の下の方に「潮音寺境内」と刻まれていますが、これは後から刻まれたのでしょうか?

潮音寺
衣縫孝女

山門をくぐり、右奥に衣縫孝女の墓があります。

衣縫孝女

偶然、住職さんがいらっしゃったので、色々とお話を聞かせてもらいました。戦前までは、道明寺小学校の5、6年生は、この墓に参拝し、衣縫孝女の徳をしのんだそうです。またかつて周辺には、多くの古墳があり、この寺の北にも「潮音寺北古墳」が発見されたとのこと。

築造された時の允恭天皇陵の周囲には、ズラリと陪塚が造られ、埋葬者は絶大な力を誇っていたのでしょう。

衣縫塚古墳データ

古墳名衣縫塚古墳
宮内庁名允恭天皇陵ろ号陪冢
住所大阪府藤井寺市国府2丁目1
墳形円墳
直径20m
高さ4.8m
被葬者不明
築造時期5世紀後半
埋葬施設不明
参考資料・古市古墳群をあるく【久世仁士】
・衣縫塚古墳案内板
・藤井寺市ホームページ

アクセスと駐車場

・公共交通機関
近鉄南大阪線「土師ノ里駅」下車。駅の北側を走る堺大和高田線添いに東へ進みます。最初の信号を渡り北へ直進。5分程歩くと「宮の南塚古墳」「国府八幡神社」「潮音寺」が存在します。更に直進すると三又にぶつかるので左折。そのつきあたりを右折すると国府衣縫塚公園があり、衣縫塚古墳が存在します。

・自動車
衣縫塚古墳に駐車場はありませんが、駅周辺にコインパーキングが存在します。土師ノ里駅は、国道170号外環状線「沢田交差点」を東へ曲がり府道12号堺大和高田線へ。道なりに5分ほと走ると「土師ノ里交差点」すぐ。

周辺スポット

・允恭天皇陵/市野山古墳
衣縫塚古墳から西へ徒歩5分程の場所にある前方後円墳。仁徳天皇の息子であり、雄略天皇の父である允恭天皇の陵とされています。

・宮の南塚古墳
衣縫塚古墳から南へ徒歩約5分程の場所にある古墳。允恭天皇陵の陪塚とされ、中に入ることはできません。世界文化遺産には含まれていませんが、古市古墳群の一つ。

・国府八幡神社
衣縫塚古墳から南へ徒歩約5分程の場所にある神社。宮の南塚古墳の隣にあり、境内には衣縫氏が創建したとされる、衣縫廃寺の礎石が残されています。

・国分遺跡
衣縫塚古墳から北へ徒歩約5分程の場所にある縄文時代の遺跡。また、遺跡には衣縫氏が創建したとされる、衣縫廃寺の礎石が残されています。

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