南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。第42回は藤井寺市にある「助太山古墳」です。百舌鳥古市古墳の一つで世界遺産リスト「28」に登録されています。
助太山古墳とは
助太山古墳は1辺36m、高さ6mの5世紀前半に築造された方墳で、国の史跡に指定されています。助太山古墳から東に、中山塚古墳、八島塚古墳と整列しており、3つ合わせて「三ツ塚古墳」とも称されます。中山塚古墳、八島塚古墳共に1辺50mの方墳ですが、助太山古墳は36mと一回り小さいサイズ。
中山塚古墳、八島塚古墳の2基は宮内庁により、仲津姫陵の陪塚に指定されています。しかし、助太山古墳だけは陪塚に指定されてません。ほぼ同時期に築造され、濠も共有されていたことから、この3基の古墳はそれぞれ密接な関係があったと考えられています。築造時期については、5世紀前半とされていますが、7世紀に築造された終末古墳と言う説もあります。
助太山古墳の墳頂に一部見えている巨石は「横口式石槨」の天井石とも言われています。古墳からは円筒埴輪や葺石も見つかっておらず、終末古墳の特徴に似ているそうです。3基の古墳の調査が進めば解明されそうですが、中山塚古墳、八島塚古墳は宮内庁の管理なので中々難しそうです。
現在の助太山古墳
助太山古墳には墳丘を登る階段が作られています。しかし周囲には柵が張り巡らされているので、どうやら入れないようです。
ただ、隣接する中山塚古墳や八島塚古墳と違い、墳丘は芝生で覆われ、木も大きな木が1本生えているぐらいで美しい姿をしています。しかも案内板まで設置されています。中山塚古墳&八島塚古墳の記事にも記載しましたが、この助太山古墳の墳丘に石室の天井石らしきものがあるそうです。ただ、横からではそれを確認することはできませんでした。
よく考えれば案内板にも書いていますが、中山塚古墳と八島塚古墳は5世紀前半に築造され、助太山古墳は7世紀に築造された古墳というパターンもあるかもしれませんね。三ツ塚古墳の周辺は4世紀末から5世紀にかけて築造された古墳が集中しています。仮に助太山古墳が7世紀に築造されているとしたら、中々興味深いことではないでしょうか。
助太山古墳データ
古墳名 | 助太山古墳 |
住所 | 大阪府藤井寺市道明寺6丁目12-23 |
墳形 | 方墳 |
一辺 | 36m |
高さ | 6m |
築造時期 | 5世紀前半もしくは7世紀 |
埋葬施設 | 竪穴式石室もしくは横口式石槨 |
被葬者 | 不明 |
参考資料 | ・古市古墳群をあるく【久世仁士】 ・古市古墳群を歩く 【古市古墳群世界文化遺産登録推進連絡会議】 ・案内板 |