南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。第20回は藤井寺市にある「野中古墳」です。百舌鳥古市古墳の一つで世界遺産推薦リスト「38」に登録されています。
野中古墳とは
野中古墳は、墳長37m、高さ5mの方墳で、五世紀後半に築造されたと考えられています。
野中古墳は発掘調査が行われているため、様々なことが判明しています。1964年の発掘調査では鉄製の鉄製の甲冑をはじめ武器、農具、須恵器、埴輪などが大量に出土しています。
発掘された甲冑は藤井寺市の藤井寺市生涯学習センター「アイセル・シュラホール」や大阪大学考古学研究室にて保管されています。
野中古墳のすぐ南側には全長225mを誇る「墓山古墳」が存在。野中古墳は築造された時期や距離から考えてその陪塚と考えられています。
墓山古墳は宮内庁により「応神天皇陵ほ号陪冢」とされ、応神天皇陵の陪塚とされています。しかし、この規模の古墳となれば、大王(天皇)または、それに準じる人物が埋葬されている説が有力です。
同じく墓山古墳の陪塚である西墓山古墳からも大量の鉄器が見つかっていますが、人の埋葬は確認されず、副葬品専用の古墳でした。
野中古墳の場合、副葬品用の古墳だったのか、人が埋葬されていたのかはまだハッキリしていません。仮に人が埋葬されていたならば、その人物は墓山古墳の主に使えた有力者と考えられます。
当時の鉄は朝鮮半島からの輸入に頼っていた事から、朝鮮半島と繋がりが強い人物、もしくは大王の下で軍事関係を司る人物と想像できます。
現在の墓山古墳
あまり関係ないのですが、このあたりは羽曳野市と藤井寺市の境目になっているので、数十メートル先は羽曳野市になります。
墓山古墳、向墓山古墳は羽曳野市ですが、浄元寺山古墳、野中古墳は藤井寺市になるため、墓山古墳関係は両市にまたがっています。
現在の野中古墳は住宅密集地に存在し、西馬塚古墳のように「ホントにこんなところに古墳があるのかな?」という場所に存在します。
方墳なんですが、横から見ると円墳のようにも見えます。上から見ると…方墳だったのかな…という感じです。結構周囲は掘削された感じですね。
野中古墳は墓山古墳の陪塚の中では唯一中に入る事ができます。ギリギリまで住宅が古墳に迫っていますが、広々としているため、開放感があり、墳丘の上に登ると気持ちよく感じます。
何処かに甲冑が転がっていないかと思いましたが、残念ながら何も発見できませんでした。この墳丘の下に大量の甲冑が出てきたのかと思うと少しワクワクしますね。
アクセス
最寄り駅は、近鉄南大阪線「古市駅」から北へ徒歩12分ほどの場所にあります。駅を西へ向かい旧170号線を北上すると白鳥西の交差点で左右の道に分かれます。右へ向かうと応神天皇を祭る「誉田八幡宮」へ。
左を北に向かい羽曳野警察署の手前の道を左折。そして最初に左折できる細い道を進めば野中古墳が見えてきます。周辺は非常に狭いので駐車スペースはありません。
近くには浄元寺山古墳、西馬塚古墳、向墓山古墳、墓山古墳などの古墳や、羽曳野市の古墳から出土した貴重な品が展示されている「羽曳野市文化財展示室」などもありますのでついでに見ておきたいところです。
野中古墳データ
古 墳:野中古墳
墳 形:方墳
築造の時期:5世紀後半
所 在 地:大阪府藤井寺市野中3丁目5
全 長:37m
高 さ:5m
埋 葬:鉄製の甲冑・武器・農機具、須恵器、埴輪