昔から地域を守り続ける神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、南河内郡河南町一須賀にある「壹須何神社(いちすかじんじゃ)」です。
壹須何神社とは
壹須何神社と書いて「いちすかじんじゃ」と読みます。詳しい創建について分かっていませんが、延喜式神名帳に記載されていることから、927年より前には創建されていたようです。
かつて、壹須何神社周辺は蘇我氏の末裔である「石川氏」の本拠地でした。蘇我氏本家は中大兄皇子によるクーデター「乙巳の変」により滅亡。しかし傍系は「石川氏」と姓を改め、平安時代まで公暁として存続していました。
そのような関係から、元々は石川氏が蘇我氏の祖とされる「蘇我石川宿禰」を祭る神社ではないかと言われています。南北朝時代に入ると、壹須何神社に「石川城」が築城。周辺では北朝と南朝が幾度も激突。壹須何神社も兵火にみまわれます。
その後、記録に出てくるのは、戦国時代末期の1589年。豊臣秀吉は石川郡代官「伊藤加賀守秀盛」を通して祈祷と境内免許の証を下しています。その際に奉納された湯釜が社宝として残っているとの事。
現在の祭神となったのは江戸時代初期とされます。明治に入ると近隣から「降旗神社」「菅原神社」が合祀され現在に至ります。
現在の壹須何神社
この一帯の地名は「一須賀(いちすか)」で、社名は「壹須何(いちすか)」。読み方は同じですが漢字は違います。壹須何神社に駐車場はなさそうでしたので、隣接する「石川公園」の駐車場に停めました。
壹須何神社は石川公園よりも一段高いところに存在していますが、公園から壹須何神社まで道がつながっているため、大回りすることなくたどり着けます。
壹須何神社正面には、謎のソーラーパネルの柱。昼に蓄電して夜には光るのでしょうか?
「式内 壱須何神社」と彫られた立派な社名碑には明治三十年に建てられたとあります。
南北に伸びる細長い境内を進むと、一願不動尊と石柱を祭った謎の祠が存在します。境内にいた方に尋ねてみましたが、その方も何を祭っているのかはわからないとの事でした。
一番奥、拝殿の横には戎社が建てられています。なぜか戎さんのお面が掛けられているインパクトの強い社殿。
こちらが壹須何神社の拝殿。奥の本殿は見ることはできませんが、ここに壹須何神社が祭る3神、降旗神社から合祀された5神、菅原神社から合祀された1神が祭られていると思われます。
降旗神社は古い歴史を持つ神社で、近隣の大伴村に存在しました。大伴村と言うだけあり、一帯は大伴氏が領地としていたようです。
降旗神社は、大伴氏が祖神を祭る為に創建されたと考えられています。明治時代に壹須何神社に合祀されましたが、現在でも降旗神社跡には小さな祠が残されており、僅かながら面影を知ることができます。
壹須何神社(一須賀神社)データ
神社名 | 壹須何神社(一須賀神社) |
住所 | 大阪府南河内郡河南町一須賀628 |
祭神 | 大己貴尊(大国主)、天照大神、天児屋根尊、品陀別命(応神天皇) |
降幡神社の合祀神 | 天之忍日命、日子番能迩迩芸命、日子穂穂手見命、鵜葺不合命、神倭伊波礼毘古命 |
東山菅原神社の合祀神 | 天満大自在天神(菅原道真) |
摂社 | 戎社、一願不動尊 |
旧社格 | 村社 |
式内社 | 式内小社 |
祭礼 | |
参考資料 | 大阪府神社名鑑 |
アクセスと周辺スポット
近鉄長野線「富田林」駅から、金剛バス東山行「一須賀」下車、徒歩約5分。
周辺スポット
・近つ飛鳥博物館 ... 続きを見る
壹須何神社から車で5分ほどの場所にある博物館。南河内の古墳や史跡を紹介しています。安藤忠雄建築による特徴的な建物。
ちょっと驚きの「近つ飛鳥」と言う名の由来~河南町・近つ飛鳥博物館 アクセス ~
・降旗神社
壹須何神社から徒歩約15分の場所にある神社。壹須何神社に合祀されている神社ですが、旧社地に小さな祠が残されています。
・敏達天皇陵/太子西山古墳 ... 続きを見る
壹須何神社から車で5分ほどの場所にある古墳です。敏達天皇の陵とされる前方後円墳で梅鉢御陵の一つ。
敏達天皇陵(太子西山古墳)|天皇陵最後の前方後円墳〜太子町・磯長谷古墳群〜