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二子塚古墳|もしかして推古天皇の陵?〜磯長谷古墳群・アクセス・太子町〜

2021 5/27
太子町 太子町の古墳
2019年8月20日2021年5月27日
二子塚古墳

二子塚古墳

南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、大阪府南河内郡太子町にある「二子塚古墳」です。聖徳太子や推古天皇など、飛鳥時代に活躍した人物が多く祭られている「磯長谷古墳群」の一つ。




「二子塚」と名のつく古墳は福山市、阿久比町、秦野市、宇治市をはじめ、他にも全国に多く存在しています。

ただ、全国にある二子塚古墳の多くは前方後円墳ですが、太子町の二子塚古墳は「双方墳」という少し変わった形をしている古墳なんです。

双方墳とはどんな姿で、誰が埋葬されているのか?今回は、南河内郡太子町にある「二子塚古墳」を紹介します。

二子塚古墳とは

二子塚古墳は東西約66m、南北約33m、高さ約6m、7世紀前半~後半頃に築造されたとされる双方墳。方墳を2基繋ぎ合わせた双方墳は、全国でも非常に珍しい古墳です。
双方墳
ここは、古くから古墳と認識されていたらしく、江戸時代の『河内名所図会』にはすでに「二子塚」として紹介されていたようです。




各方墳の1辺は約26m。東墳丘の高さは4.8m、西墳丘は約6m。葺石や埴輪の存在は確認されていません。埋葬施設として、東西それぞれに横穴式石室が存在していますが、既に盗掘されています。

二子塚古墳

東墳丘の石室は長さ5m×幅1.8m×高さ1.6mで長方形の箱型。西墳丘もそれに近いサイズの石室が存在します。また、石室に使われている石材の隙間や表面には、漆喰を塗布していることが分かっています。




石室にはそれぞれ、長さ2.2m×幅1m×高さ0.7mの石棺が存在。石棺には、蓋の縄掛突起が退化したカマボコ形の蓋が石棺を覆っています。

このように、二子塚古墳には2人の被葬者が合葬されていたことがわかっています。二子塚古墳は、小型化した横穴式石室や、蒲鉾形の石棺など古墳時代終末期の特徴をもつ貴重な古墳とされています。

誰の墓なのか?

二子塚古墳

現在のところ、誰が埋葬されているのかは判明していません。ただ、地元の言い伝えによると「推古天皇と竹田皇子の陵」という説があります。




推古天皇は第33代の天皇。父は欽明天皇、母は蘇我堅塩媛(蘇我稲目の娘)。歴代天皇で初めての女帝として知られています。甥の聖徳太子、叔父の蘇我馬子らと共に、国の制度を整備した人物としてて知られています。

竹田皇子は、父は第30代「敏達天皇」、母は第33代「推古天皇」。敏達天皇と推古天皇は異母兄妹。「第31代」用明天皇の有力後継者の一人でしたが、若くして亡くなりました。




日本書紀によると、推古天皇は崩御後に竹田皇子の墓に合葬されたとされています。古事記では、合葬についての記載はありませんが、「大野岡上」から「科長大陵」への改葬されたとされています。

現在宮内庁からは、二子塚古墳から200m程はなれた「山田高松塚古墳」が推古天皇の陵に比定。

推古天皇陵

推古天皇陵(山田高松塚古墳)

実際、どちらが本当の推古天皇と竹田皇子の合葬陵墓なのかは分かりません。ただ、この時代の古墳規模を考えると、二子塚古墳も天皇クラスの古墳ではないかとも考えられています。

現在の二子塚古墳

二子塚古墳は推古天皇陵(山田高松古墳)から東へ約200mの場所に存在します。周囲には田んぼが広がり、推古天皇陵や二子塚古墳がくっきりと浮かび上がっています。




百舌鳥古市古墳群は住宅に囲まれた古墳が多いので、スカッと古墳が映えた景色は新鮮です。まあ、百舌鳥古市古墳群が特殊なのかもしれませんが…

二子塚古墳

推古天皇陵から田んぼに挟まれた小径を、5分程歩いていくと二子塚古墳にたどり着きます。二子塚古墳には桜の花で覆われており、春には美しい姿をみせるとのこと。古墳の案内板はきれいで内容もハッキリ読めます。「双方墳」のところに上から貼紙をしているんですが、元々何が書いていたのか気になるところです…

二子塚古墳

古墳内には自由に入ることができます。訪れたのは2018年11月だったので、写真は現在と少し異なっているかもしれません。




墳丘に登ることはできますが、やや崩れているためか、方墳という感じは全然ありません。特に東墳丘の傷みが激しいと感じました。

全長で66mということで、同じ天皇クラスの古墳でも百舌鳥古市古墳群と比較すると、古墳の終末期というのは随分サイズが小さくなったのだなと感じます。

二子塚古墳

東墳丘の石室があると思われる箇所には、大きな黒いシートに覆われていました。これは石室への土砂の流入を、防ぐためと思われます。そのため残念ながら石室や石棺をみることはできません。

二子塚古墳

ぐるっと周りを歩いてみましたが、近年の台風や大雨などで古墳の痛みが進行しているようです。

太子町としても対策を考えているようで、平成30年1月に「国指定史跡二子塚古墳保存活用計画」を公表しています。




計画によれば、石室の公開、周辺の整備、古墳に関する情報充実を目標とし、磯長古墳群全体の歴史がわかるガイダンス施設も計画されています。

5年~10年と長期にわたる計画ですが、実現すれば、太子町の歴史が改めて注目されるキッカケとなって欲しいですね。

アクセスと駐車場

喜志駅

近鉄長野線「喜志」下車。金剛バスより太子葉室循環線にて「御陵前」下車徒歩約10分。

車の場合は推古天皇陵(山田高松古墳)に駐車スペースが存在しています。二子塚古墳は推古天皇陵(山田高松古墳)から南東200mの場所に存在します。



周辺スポット

・小野妹子墓

小野妹子の墓

二子塚古墳から徒歩20分ほどの場所にあるお墓。小野妹子は、遣隋使として隋に渡った人物として知られています。華道の祖として知られており、命日には池坊の関係者により墓前祭が行われています。
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・仏陀寺古墳

仏陀寺古墳
二子塚古墳から徒歩15分ほどの場所にある古墳。7世紀後半頃に築造されたとされる終末古墳。乙巳の変に加わった蘇我倉山田石川麻呂の墓ともいわれています。
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二子塚古墳データ



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