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蝦夷塚|もしかして蘇我蝦夷の墓?~太子町~

2023 12/10
太子町 太子町の古墳
2019年12月20日2023年12月10日
蝦夷塚
蝦夷塚

南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、南河内郡太子町葉室にある「蝦夷塚(えみしづか)」です。200基以上の終末古墳を有する大古墳群「一須賀古墳群」の一つ。

蝦夷塚には「蘇我蝦夷(そがかのえみし)の墓」という伝説があります。蘇我蝦夷は、飛鳥時代に天皇に匹敵する権力を有していた大豪族。そんな大豪族の墓といわれる古墳は、どんなものなのか?今回は、太子町葉室にある「蝦夷塚」を紹介します。

蘇我蝦夷ってどんな人物?

蘇我蝦夷の父は蘇我馬子、母は物部尾輿の娘である太媛。息子に、蘇我入鹿を持ちます。父が長年のライバル物部氏を滅ぼし、蘇我氏は、絶大な権力を手に入れます。それでも推古天皇の時代は、聖徳太子などの有力皇族が蘇我氏の力を抑えていました。しかし聖徳太子や推古天皇が崩御すると、父の跡を継いだ蘇我蝦夷は、はばかることなく権勢を振るい始めます。

推古天皇の崩御後に、田村皇子と山背大兄王のどちらが皇位を継ぐのか、群臣の間で意見が分かれていました。蘇我蝦夷は田村皇子を、叔父である境部摩理勢は山背大兄王を推していました。

推古天皇陵
推古天皇陵(山田高松塚古墳)

境部摩理勢は、蝦夷が気に入らず、なにかと反抗していました。最初は叔父に遠慮していた蝦夷も、不満が積み重なり境部摩理勢を殺害。邪魔者を粛正した蘇我蝦夷は、安心して田村皇子(後の舒明天皇)を皇位につけます。

逆らう者がいなくなった蘇我蝦夷は、息子の入鹿(いるか)に紫冠を与えたり、屋敷を宮上の門(みかど)と呼ばせるなど、自らを天皇の如く振る舞い始めます。

こうした驕った振る舞いに、皇族や豪族達に不満が高まります。皇室の存続に危機感を覚えた中大兄皇子と中臣鎌足は、国政を握っていた蝦夷の息子である蘇我入鹿を粛正。いわゆる乙巳の変をおこします。

入鹿を殺害した中大兄皇子は、蘇我蝦夷の屋敷に兵を差し向けます。蘇我蝦夷は戦うか決断を迫られますが、味方する豪族は少なく、自宅に火をつけ自害。蘇我本家は滅ろび、蘇我氏は徐々に衰退してゆきます。

本当に蘇我蝦夷の墓なのか?

この古墳は、「蝦夷塚」もしくは「海老塚」とも呼ばれていますが、正式名称は「一須賀古墳群O-10号墳」。

蝦夷塚

墳丘は変形していますが、直径10m程の円墳です。埋葬施設は横穴式石室を有しており、形式から7世紀前半頃の古墳と考えられています。蝦夷塚は他にも「坂上田村麿の蝦夷征伐時の捕虜の墓」との説もありますが、古墳の築造時期と異なるため可能性は低いようです。

蝦夷塚が存在する丘陵は、一須賀古墳O支群に属し、尾根上に複数の小規模古墳が存在しています。古墳の形式や出土品などから、一須賀古墳群の埋葬者は、渡来系の豪族と考えられています。

蝦夷塚

一須賀古墳群の北側には、蘇我氏と関わりの深い天皇達が埋葬されている「磯長古墳群」が存在します。一須賀古墳群から磯長古墳群にかけては、蘇我氏が本拠地としていました。

推古天皇陵
磯長古墳群にある推古天皇陵(山田高松塚古墳)

こうした立地から蝦夷塚の埋葬者は、蘇我蝦夷ではないものの、蘇我氏と関係が深い渡来系の一族とも考えられています。では、蘇我蝦夷の墓はどこにあるのか?乙巳の変で粛正された蘇我蝦夷、入鹿親子ですが、中大兄皇子は、遺体を墓に埋葬することを許しています。

生前の蘇我蝦夷は、飛鳥甘樫丘に「大陵」「小陵」とよばれる双墓を築いていました。双墓がどの古墳かについては分かっていませんが、甘樫丘近くにある「小山田古墳」とする説があります。

現在の蝦夷塚

蝦夷塚は、太子町葉室東南の丘陵上に存在します。蝦夷塚へ向かう道は3ルートあります。1ルート目は、近つ飛鳥博物館へ向かう道路脇の農道から向かうルート。2ルート目は、葉室の集落から墓場を抜けて山道を通るルート。3ルート目は、近つ飛鳥博物館から山道がつながっていそうですが、確認していません。道中に、近つ飛鳥博物館への案内板があったため、つながっていると思われます。

今回は1、2ルートの確認ができました。蝦夷塚へ向かう前にルートを調べましたが、情報は少なく、手探りで向かいました。今回は、葉室公園の駐車場に車を停め、一番確実そうな1ルート目でチャレンジ。

葉室公園

道路脇の農道をズンズン進みますが、全く人に出会いません。農道の奥に進むと、休耕地が増えて寂しくなってきます。

蝦夷塚

人気のない山道を1人で歩くというのは、少々気味が悪いもので、茂みで「ガサガサ」と音がする度にビクビクしてしまいます。今回は、真っ昼間の明るい時間帯だったので耐えられましたが、夕方に来ていたら、ダッシュで逃げていたところ。

蝦夷塚

道のかたわらには、いかにも古墳に使われそうな平たい石が転がっています。古墳の石なのかは不明。

蝦夷塚

丘陵の頂上にある廃屋。見晴らしのいい頂上にポツンと建つ廃屋は、なかなかシュールな光景です。

蝦夷塚
蝦夷塚

廃屋の先にようやく蝦夷塚が見えてきます。墳丘上には小さい祠が存在し、雨乞いの神である「善女竜王(ぜんにょりゅうおう)」をが祭られています。祠の前には手水石まで置かれていますが、ほとんど使われていない様子。

蝦夷塚
蝦夷塚

善女竜王についてはこのような伝説があります。824年、干ばつに悩んでいた淳和天皇は、空海に雨乞いを命じます。善女竜王を呼び出した空海は、見事国中に大雨を降らせたと伝わっています。周辺には、農地が多く、雨乞いの神様が祭られたのかもしれません。

蝦夷塚

蝦夷塚の石室の長さは3.5m、幅1.7mあるとのこと。ただ1/3程土で埋まっており、全体は把握できません。すでに盗掘されており、凝灰岩製の組合せ式石棺の破片が2個存在するそうです。

蝦夷塚
蝦夷塚
蝦夷塚

グルッと一周してみましたが、元の姿はかなり大きな姿だったようです。こんな山奥ですが、ちゃんと案内板まで置かれていました。

蝦夷塚

蝦夷塚の周辺からは、平安時代の遺物も見つかっています。古墳が築かれなくなった後も、蝦夷塚で一族が祖先を祭っていたことがうかがえます。来た道を戻らずに先に進むと「一須賀古墳群O-6号墳」が存在します。ただ完全に茂みにあるため、見た目では分かりません。

蝦夷塚
蝦夷塚

山道をさらに下っていくと、葉室の集落に出ます。おそらくは、こちらが正規ルートのようです。しかし、蝦夷塚の由来は分かりましたが「海老塚」の海老どこから出てきたんでしょうね?密かに海老でも祭っていたのでしょうか。謎は深まるばかりです。

蝦夷塚データ

古墳名蝦夷塚
住所大阪府南河内郡太子町大字葉室
墳形円墳
直径10m
高さ不明
築造時期7世紀後半
被葬者(伝)蘇我蝦夷
埋葬施設横穴式石室
出土物不明
参考資料・太子町の古墳墓【太子町教育委員会】

アクセスと駐車場

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