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三日市10号墳|古墳から出土した圭頭柄頭大刀とは?~河内長野市~

三日市10号墳

南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。第62回は河内長野市にある「三日市10号墳」です。河内長野市には、かつて多くの古墳が存在していましたが、開発により多くが失われています。

三日市10号墳も、開発により破壊されましたが、現在は移設されて保存されています。この三日市10号墳からは「圭頭柄頭大刀」という珍しい大刀が出土しています。三日市10号墳から出土した圭頭柄頭大刀とはどんなものなのか?今回は、河内長野市にある「三日市10号墳」を紹介します。

三日市10号墳とは

三日市10号墳は、三日市遺跡内に存在した13基で構成される三日市古墳群の一つ。三日市古墳群は、4世紀から7世紀前半にかけて築造されました。

三日市10号墳
発掘時の三日市10号墳
「三日市遺跡発掘調査報告書Ⅲ」より引用

三日市古墳群は3つのグループに分かれており、三日市10号墳は、第1グループに属しています。各グループは、古墳のグレードが異なります。とくに三日市10号墳と13号墳は横穴式石室を持つ規模が大きい古墳で、副葬品も多く、一族の中で高い身分の人物が埋葬されたと考えられます。

三日市10号墳は、6世紀中頃に築造された円墳と考えられています。資料により規模にバラツキがあり、河内長野市史は20m、三日市遺跡発掘調査報告書Ⅲは14m、古墳案内板は18mと記載されています。どれが正しいかは不明ですが、最大でも20m程の古墳と思われます。

円墳

埋葬施設は北東に開いた両袖式の横穴式石室。天井石と一部側壁は失われていますが、三日市古墳群の中で最も良好な保存状態でした。

石室は花崗岩を使用しており、全長7.2m、玄室の長さ3.9m、最大幅1.6m、高さ1.1m。石室に至る羨道の長さ3.3m、幅1.05m、残存高1.3mとされています。また幅4mほどの周溝を有していたこともわかっています。

棺は見つかっていませんが、木棺のため朽ちたと考えられます。6世紀中頃と6世紀末の副葬品が混在していることから、埋葬が2回行われた追葬があったようです。

圭頭柄頭大刀とは

石室内からは多くの須恵器、土師器、鉄器、装飾品が出土しています。その中でも「圭頭柄頭大刀」と呼ばれる刀は非常に珍しい物とされています。この刀の柄頭は圭頭と呼ばれる山形をしており、全面銀の細かい装飾が施されています。

三日市10号墳
発掘時の三日市10号墳
「三日市遺跡発掘調査報告書Ⅲ」より引用

圭頭の出土は全国的に150程あるそうですが、大阪府では他に1例しかないとのこと。三日市10号墳の圭頭の文様と類似するものは、存在しないようです。圭頭の出土は九州方面に多く、関西からの出土数は少ないとのこと。

このような刀を集落で造ったとは考えにくく、大和王権などから賜ったと思われます。三日市遺跡の豪族は、大和王権に仕えていたとも考えられます。

三日市10号墳には、武具関係が数多く出土しているのに対して、13号墳に武具はほとんどありませんでした。これは、10号墳の埋葬者が武官で、13号墳の埋葬者が文官と考えられています。

10号墳の石室からは奈良時代の蔵骨器と思われる須恵器や土師器が見つかっています。古墳の築造が終わったあとも、この一族は祭祀の場所として古墳を利用していたようです。

現在の三日市10号墳

現在の三日市10号墳は、中片添第二公園に移設されています。

三日市10号墳

本当にこんな住宅街のド真ん中に古墳があるのかと思いながら歩くと、中片添第二公園に到着。本来の三日市10号墳は、ここから北に約500m程の場所にある中片添第1公園付近に存在しました。

それならば、中片添第1公園に保存すればいい気もしますが、場所がなかったんでしょうか…ちなみに、中片添第二公園は山を切り開いた新興住宅地に存在。高台にあるため、なかなか良い眺めです。

三日市10号墳

公園内に古墳を探すも、見あたりませんでしたが、公園の下にひっそりと存在していました。

三日市10号墳の横穴式石室。天井石は存在しませんが、比較的良好な状態で残されています。しかし、入口付近に置かれている小石はなんでしょうか?

三日市10号墳
三日市10号墳

三日市遺跡発掘調査報告書の写真では、石室内に須恵器や土師器が散乱し、大刀は側壁に沿っておかれていました。

三日市10号墳
発掘時の三日市10号墳
「三日市遺跡発掘調査報告書Ⅲ」より引用

石室内を見ると棒切れが、副葬品の大刀のように落ちています。偶然でしょうか…

案内板には古墳の分かりやすい解説が書かれています。残念ながら、経年劣化で写真などは剥げています。

三日市10号墳

三日市古墳群は、南河内における最南端の古墳になります。ここから南下し、和泉山脈を越えると紀伊国にはいります。三日市町は、紀伊国と河内国の国境にあたり、江戸時代も宿場町として栄えていました。交通の要衝を本拠地としていた豪族は、いったいどんな一族で、どのような歴史を歩んだのでしょうか?

三日市10号墳

三日市10号墳データ

古墳名三日市10号墳
住所大阪府河内長野市中片添町17
墳形円墳
全長18m
高さ不明
築造時期6世紀中頃
被葬者不明
埋葬施設横穴式石室
出土物
参考資料・河内長野市史
・三日市遺跡発掘調査報告書Ⅲ(1994年)、案内板

アクセスと駐車場

・公共交通機関
南海高野線「三日市町駅」下車。南東へ徒歩約15分。

・自動車
三日市10号墳のある中片添第二公園に駐車場はありません。三日市町駅周辺にあるコインパーキングから徒歩で向かうのがオススメです。

周辺スポット

・檜尾山 観心寺
三日市10号墳から車で10分程の場所にあるお寺。楠木正成をはじめ、南朝にゆかりの深いお寺として知られています。

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