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国府八幡神社|衣縫廃寺の遺跡が残る神社〜藤井寺市〜

国府八幡神社

昔から地域を守り続ける神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、藤井寺市国府にある「国府八幡神社(こうはちまんじんじゃ)」です。国府八幡神社一帯は、河内国の「国府」が置かれていた古い歴史を持ちます。その関係もあり、国府八幡神社には、飛鳥時代の遺跡が残されています。国府八幡神社に残された遺物とはどんなものなのか?今回は、藤井寺市国府にある「国府八幡神社」を紹介します。

国府八幡神社とは

社名は地名である「国府(こう)」が由来とされています国府八幡神社の北には「国府遺跡」があり、旧石器時代の石器や縄文、弥生人の人骨が発掘されています。

国府遺跡

飛鳥時代には衣縫氏の氏寺とされる衣縫廃寺が創建され、柱に使われていた礎石が国府遺跡に残されています。

義侠熊田氏之碑

奈良時代から平安時代までは「河内国府」が置かれ、河内国における政治の中心でした。国府遺跡の北には船橋廃寺、伴林氏神社が建つ場所には林廃寺など、豪族の氏寺がいくつもも存在し、当時の繁栄がうかがえます。

伴林氏神社
伴林氏神社

国府八幡神社の詳しい創建は、わかっていません。近世に羽曳野市にある「壺井八幡宮」から分霊を勧請したと伝わっています。

壷井八幡宮
壷井八幡宮

主祭神は八幡神社という事で「応神天皇」が祭られてると共に、春日大神・住吉大神なども祭られています。1907年、北條村にある黒田神社に合祀。1946年、現在の場所に再び戻り、現在に至ります。

黒田神社
黒田神社

現在の国府八幡神社

国府八幡神社は、住宅街に囲まれた静かな場所に存在します。国府八幡神社は、江戸時代頃に創建された藤井寺市では比較的新しい神社になります。

国府八幡神社

鳥居をくぐると2基の灯篭が存在。灯篭の周りには珍しく柵に囲まれています。

国府八幡神社

灯篭の土台となっているのは、衣縫廃寺の礎石になります。

国府八幡神社
国府八幡神社

衣縫氏は、飛鳥時代に活躍した豪族で、国府一帯を本拠地としていたと考えれられています。しかし衣縫氏は後に衰退したようで、氏寺である衣縫寺も廃寺となったようです。ここ以外にも衣縫廃寺の礎石は国府遺跡の石碑の土台に1つ、蓮休寺境内に1つ存在します。

境内の隣には、小さな古墳が存在します。こちらは、「宮の南塚古墳」です。古市古墳群の一つですが、世界文化遺産リストからははずれています。古墳名は、国府八幡神社の南に存在していることが由来です。

宮の南塚古墳

金属鳥居の先に灯篭、狛犬、拝殿があります。

国府八幡神社

飛鳥戸神社、大祁於賀美神社と同様に、合祀から復社した神社は、拝殿が似ています。なにか共通の仕様があるんでしょうか?

国府八幡神社

国府八幡神社は、羽曳野市壷井にある「壷井八幡宮」から勧請されたという応神天皇が祭られています。応神天皇といえば、羽曳野市古市にある「誉田八幡宮」が有名。同時期に創建された近隣の澤田八幡神社、古室八幡神社、土師里八幡神社、津堂八幡神社は「誉田八幡宮」から勧請しています。

澤田八幡神社
澤田八幡神社

しかし、国府八幡神社は何故か、壺井八幡神社から八幡神を勧請しています。他と同じは嫌だったのでしょうか…

一度合祀されて戻ってきた神社は、規模が縮小されて再建されるケースがあります。国府八幡神社もあまり広い神社ではありませんが、境内は非常に美しく保たれており、地元の人々から大切にされている神社と感じました。

国府八幡神社データ

神社名国府八幡神社
住所大阪府藤井寺市国府1丁目5
祭神応神天皇、春日大神、住吉大神
摂社なし
旧社格不明
式内社なし
祭礼
参考資料文化財シリーズ・藤井寺市の神社

アクセスと駐車場

近鉄南大阪線「土師ノ里駅」より北へ徒歩約15分。

周辺スポット

・宮の南塚古墳
国府八幡神社の隣にある古墳。允恭天皇陵の陪塚とされ、中に入ることはできません。世界文化遺産には含まれていませんが、古市古墳群の一つ。

・国府遺跡
国府八幡神社から徒歩10分ほどの場所にある遺跡。旧石器時代の遺物や人骨が出土しています。飛鳥時代には、衣縫氏の寺が存在したとされています。

・衣縫塚古墳
国府八幡神社から徒歩約5分ほどの場所にある古墳。允恭天皇陵の陪塚とされ、中に入ることはできません。世界文化遺産には含まれていませんが、古市古墳群の一つ。

・允恭天皇陵/市野山古墳
国府八幡神社から徒歩10分ほどの場所にある古墳。全長230mを誇る巨大前方後円墳で、允恭天皇の陵とされています。

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