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五軒家神社|変わった地名は江戸時代のある事件から・・・~富田林市~

五軒家神社の鳥居

南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、富田林市五軒家にある「五軒家神社(ごけんやじんじゃ)」です。五軒家神社は、大阪狭山市に接する富田林市の最も西の五軒家地区に存在。この変わった地名は、江戸時代に起こったある事件がキッカケとなっています。その事件とはどんな事件だったのか?今回は五軒家地区の歴史と五軒家神社を紹介します。

五軒家神社の歴史

五軒家という変わった地名は、江戸時代に起こった事件が由来とされています。元和年間(1615~1623)、廿山村にある山の木が、しばしば盗まれる事件が起きていました。ある時、村人の中尾忠衛門が山で用人に火縄銃を撃たせてみると、東野村の住民に当たり亡くなるという事件に。

庄屋衆による調停も難航し、東野村は幕府に訴える事態に発展。東野村は、廿山村の山を半分要求し解決を求めます。これを承諾しては廿山村が将来的に不利益になると判断した中尾忠衛門は、元和3年に自害。中尾忠衛門の犠牲により、廿山村の山はなんとか守られ事態は収束しました。

廿山村では今後このような山論争が起こらないように、5軒の家が村を出て「平」と呼ばれる場所に移住して犠牲者に感謝したと伝わります。五軒家地区は、この平に移住した人々から始まりました。

戦国時代が終わって間もない殺伐とした時代の名残か、自害という形での解決となったようです。ただ、最後にある「5軒の家が村をでる」という下りが現代人にはちょっと分からない現象に思えます。その後、開墾を行い土地を広げた五軒家は明治時代に入ると廿山村から独立し現在に至ります。

五軒家神社の創建は不明ですが、五軒家地区の成り立ちから考えると、江戸時代に創建されたと考えられます。現在は、素戔嗚尊(スサノオ)を祭っていますが、もともとは牛頭天王を祭っており「牛頭天王社」と呼ばれていました。

明治初年まで菅原道真を祭る天満宮でしたが、明治24年に河南町神山からご神体を勧請しています。河南町神山といえば鴨習太神社ですが、鴨習太神社は明治初期に、祭神を菅原道真から饒速日命に改めています。鴨習太神社からご神体を勧請したとすれば、辻褄が合いません。もしかすると、神山には鴨習太神社以外の神社があったのかもしれません。

鴨習太神社の拝殿
河南町神山にある鴨習太神社

明治後期に進められた神社合祀政策により、五軒家神社も合祀の危機に瀕します。合祀を回避すべく村人達は本尊を南の平地に移送。調査にきた当局に対して「ここはただの遥拝所です」と説明します。周辺の神社が錦織神社に合祀されるなか、五軒家神社は合祀の回避に成功し現在に至ります。

五軒家神社に行ってみました

五軒家神社は、富田林市五軒家にある丘陵地に存在します。五軒家地区は、歴史のあるエリアですが、丘陵地をはさんで反対側は新興住宅地の藤沢台となります。一つ山をはさむと全く違う光景が広がるギャップが現代らしいですね。

藤沢台からも五軒家神社へ行くことができ、車ならばこちらの方が道は広くスムーズにいくことが出来ます。ちなみに五軒家側の道はかなり狭く、対向車がこないかドキドキの道です…五軒家神社の正面には、鉄製のゲートのようなものが置かれています。藤井寺市の野中神社にも、これに似たものがありますが、ジャンル的には鳥居なのかゲートなのか…

五軒家神社の入口

石の階段を少し上ったところにある2基の灯篭。年代は不明ですが、それなりに古い灯篭のようです。

五軒家神社の灯篭

階段の脇には丸い石が祭られています。他にも丸い小さな石がいくつもあることから「賽の神」なのかもしれません。賽の神は、村の入口や境界、道の辻に置かれる神様。丸い石であることが多く、村に災いが来ないよう守っています。

五軒家神社にある賽の神

富田林市には、こうした賽の神がいくつも残されています。道にあった賽の神は、開発により神社に移されるケースも多く、こちらの石もどこからか移設されたものなのかもしれません。鳥居と手水舎。手水舎の屋根は、コンクリート製の頑丈な作りで、今までに見たことがないほど強固もの。しかも電灯まで付けられているという贅沢仕様。

五軒家神社の手水舎

鳥居をくぐった先にある百度石。本殿は、石段の上にあるので、ここで百度参りするのはかなり体力を消耗しそうです…

五軒家神社の百度石
五軒家神社の参道2

百度石の先にある狛犬。

五軒家神社の狛犬

さらに石段を上っていくと、五軒家神社の本殿が現れます。本殿は、白壁に囲まれた独特の造り。案内板によると、岩根甚五氏と村民52名が多額の費用と3ヶ月の歳月をかけて完成させたとのこと。本殿は小さいながらもキレイに維持されています。

五軒家神社の本殿2
五軒家神社の本殿1

本殿の隣には稲荷社が建てられています。

五軒家神社の横にある稲荷社

稲荷社の隣には、五軒家戎という「えべっさん」が祭られています。

五軒家えびす

五軒家地区は「植木」が盛んな地区として知られています。明治から大正にかけて植木需要の増加にいち早く目をつけた五軒家の人々は、松の木を育てて植木産業で発展。昭和に入ると河南園芸組合が設立され、商売の神様であるえべっさんが祭られます。昭和28年に五軒家園芸組合が設立。平成14年に、町会、組合が協力して現在の社を建立したと案内板に記されています。

五軒家神社の全景

そういえば各神社の前に松の木が植えられていましたが、植木産業とのつながりで植えられていたのかもしれません。五軒家の由来がなかなか壮絶だったこともあり、地元愛を強く感じる神社でした。

五軒家神社データ

神社名五軒家神社
住所大阪府富田林市五軒家1丁目12−19
祭神素戔嗚尊
摂社稲荷社、五軒家えびす
旧社格不明
式内社なし
参考資料・富田林市廿山村五軒家の歴史【岡本寅一】
・案内板

アクセスと駐車場

・公共交通機関
南海高野線「金剛駅」下車。南海バス「向陽・藤沢台」方面のバスに乗り「藤沢台2丁目停留所」にて下車。バス停から北へ10分ほど歩くと藤沢台2号緑地があるので、そこを右折。直進して2分ほど歩くと山に向かう細い道が左に見えるので道なりに上っていくと、五軒家神社につきます。

・自動車
五軒家神社には、駐車スペースが存在します。大阪狭山市と富田林市を結ぶ「森屋狭山線」にて「高辺台東交差点」を北に曲がります。道なりに走ると藤沢台2号緑地があるので、そこを右折。直進して少し進んだところに、山に向かう細い道が左に見えるので道なりに上っていくと、五軒家神社につきます。

周辺スポット

・龍雲寺
五軒家神社から徒歩10分ほどの場所にあるお寺。黄檗宗のお寺で境内では仏陀の一生をたどった像が置かれています。

・PLの塔
五軒家神社から車で15分ほどの場所にある塔。PL教団の巨大なシンボルで、正式名称は「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」。

・大阪狭山市立ふれあいの里
五軒家神社から車で15分ほどの場所にある公園。テニス場、植物園、バーベキュー、遊具などがあります。中でもエサやりができるリス園が人気。

・大阪府立狭山池博物館
五軒家神社から車で15分ほどの場所にある博物館。狭山池の隣に存在し、池の歴史を中心に資料が展示されています。安藤忠雄が設計した巨大な建設物で、圧倒的な迫力が魅力の一つ。

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