「式内社」という言葉をご存じでしょうか?式内社とは「延喜式神名帳」に記載された由緒ある神社としてしられています。
全国に2861社ある式内社ですが、そのうち藤井寺市内には6社存在しています。
藤井寺市にある式内社とは、どんな神社なのか?今回は、藤井寺市にある式内社6社を紹介します。
式内社とは
延喜式神名帳は、平安時代の927年に編纂されたもので、当時存在した神社を記録したもの。この延喜式神名帳に記載された神社を「式内社」と呼びます。
延喜式神名帳に記載された神社の情報は「エリア」「神社名」「神様の数」のみになります。
延喜式神名帳に記載されているということは、少なくとも927年より以前に建てられたということで、長い歴史をもつ神社ということになります。
藤井寺市は、古代の行政区分において「志紀郡」に所属。志紀郡は藤井寺全域、八尾市一部、柏原市一部にあたり、9社の式内社が存在。そのうち藤井寺市には6社の式内社が存在します。
1.志貴県主神社
祭神 | 神八井耳命(かんやいみみのみこと) |
住所 | 大阪府藤井寺市惣社1丁目6-23 |
志貴県主神社は、文字通り「志貴県主(しぎあがたぬし)」という豪族が創建した神社。祭神である「神八井耳命」は、神武天皇の長男で、第二代綏靖天皇の兄に当たります。
志貴県主は、神八井耳命の末裔を称し、志紀郡を本拠地とした豪族でした。志貴県主神社付近は、国府が置かれた河内国の中心地でもあり、ヤマト王権において志貴県主の権力の強さがわかります。
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2.志疑神社
祭神 | 素盞鳴命(すさのおのみこと) |
住所 | 大阪府藤井寺市大井3-9-16 |
あまり記録がないため、詳しい創建は分かっていません。社名に「志疑」とつくことから「志貴県主」とのつながりが考えられています。現在の祭神は「素盞鳴命」ですが、創建時は別の神を祭っていたと考えられています。
境内の一角に「常楽寺薬師堂」と呼ばれるお堂があり「産後の婦人の母乳が出やすくなる」と言うピンポイントな御利益があるとのこと。
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3.黒田神社
祭神 | 天御中主大神(あめのみなかぬしのかみ) |
住所 | 大阪府藤井寺市北条町1-23 |
社伝によると、かつて神八井耳命の隠し廟所があり、仁徳天皇の時代に創建されたといわれています。祭神の天御中主大神は、天地開闢で最初に登場する神様として知られています。
かつて黒田神社は広大な敷地を有し、この一帯における中心的な神社でした。そのため、明治時代の神社合祀政策において、志疑神社など周辺7社が黒田神社に合祀されています。
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4.伴林氏神社
祭神 | 高皇産霊神(たかむすひのかみ) 天押日命(あめのおしひのみこと) 道臣命(みちのおみのみこと) |
住所 | 大阪府藤井寺市林3-6-30 |
伴林氏神社は、文字通り「伴林氏(ともばやしのうじ)」が創建したと考えられています。伴林氏は、古代の名族「大伴氏」に連なる一族とされ、祖神である「高皇産霊神」を主祭神として祭っています。
高皇産霊神の子孫である「道臣命」は、神武天皇の東征の先鋒を務めるなど、大伴氏は、主に軍事部門において活躍しました。
昭和に入ると、伴林氏神社が軍事を司る道臣命を祭る唯一の神社として注目。「西の靖国神社」とも称されていました。
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5.辛国神社
祭神 | 饒速日命(にぎはやひのみこと) 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 素盞鳴命(すさのおのみこと) |
住所 | 大阪府藤井寺市藤井寺1丁目19-14 |
社伝によれば、雄略天皇の時代に「物部目大連(もののべ の めおおむらじ)」により創建と伝わっています。
蘇我氏により物部本家が滅ぼされると、物部氏の一族である「辛國連(からくにのむらじ)」が祭祀を引き継ぎ「辛國神社」と称したとのこと。
物部氏ゆかりの神社ということで、物部氏の祖神である「饒速日命」を祭っています。
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6.長野神社(辛國神社へ合祀)
祭神 | 素盞鳴命(すさのおのみこと) |
住所 | 大阪府藤井寺市藤井寺1丁目19-14 |
詳しい創建は分かっていませんが、古代豪族である「長野連(ながのむらじ)」が創建したとの説があります。
もともとは、葛井寺内に存在していましたが、明治41年に、辛国神社に合祀。
現在、葛井寺に痕跡はありませんが、辛国神社の参道には、長野神社の鳥居が残されています。
まとめ
明治時代に行われた神社合祀政策は葛井寺市内の式内社にも押し寄せ、志疑神社と長野神社が近隣の神社に合祀されました。
長野神社は辛國神社に合祀されたままですが、志疑神社は後年に復社。一度合祀されてしまうと、復社しても大幅に規模が縮小されるケースもありますが、志疑神社はそれなりの規模で再建されています。
合祀政策に巻き込まれた南河内の式内社において、藤井寺市の式内社は、比較的軽微で済んだようです。