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興禅寺&赤坂上之山神社|圧巻の石像群と応神天皇の遺髪~河内長野市~

興禅寺の石像

南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、河内長野市美加の台にある「興禅寺(こうぜんじ)」「赤坂上之山神社(あかさかかみのやまじんじゃ)」です。同じ敷地にある興禅寺と赤坂上之山神社。興禅寺には、驚くほど多数の石像群が存在し、赤坂上之山神社には、古墳時代に活躍した「応神天皇の遺髪」が埋められているとも。

圧巻の石像群と応神天皇の遺髪とは、どのようなものなのか。今回は、河内長野市美加の台にある「興禅寺」と「赤坂上之山神社」を紹介します。

興禅寺と赤坂上之山神社とは

興禅寺と赤坂上之山神社は、同じ敷地内に隣接して存在します。寺伝によると興禅寺のは、行基により767年(神護景雲元年)に創建。本尊の阿弥陀如来像は、平安時代末期に作られたもので、国の重要文化財に指定されています。

興禅寺の本尊
赤坂上之山神社の社名碑

赤坂上之山神社も、興禅寺の鎮守として同時期に創建。赤坂上之山神社は、河内国錦織郡の総社でもあったといわれています。その後、お寺・神社ともに盛衰を繰り返し、1699年(元禄12年)に、養愚禅師により曹洞宗のお寺として再興。養愚禅師は、再興のために豪商や近隣住民だけでなく、大坂城代の本多隠岐守や諸大名にも働きかけたとのこと。

興禅寺は、もともと「古稱陀洛山神宮寺」または「大乘院」と称していましたが、曹洞宗へ改めたのを機に「興禅寺」へ改称。赤坂上之山神社も、当初は「正八幡宮」と称していました。ただ地元の人々からは「上宮(かみのみや)」とも呼ばれていたとのこと。

赤坂上之山神社の扁額

祭神は、八幡宮という名前の通り「仲哀天皇」「神功皇后」「応神天皇」を祭っています。1872年(明治5年)村社に指定。また、神仏分離政策により興禅寺と分離されたことを機に「赤坂上之山神社」に改称しています。

1907年(明治40年)に天見の菅原神社が合祀され、祭神に菅原道真が加わります。同年、県知事から祈年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を供進される神饌幣帛料供進社に指定。その後、何度かの改修を経て現在に至ります。

興禅寺と赤坂上之山神社へ

一般的に神社とお寺を比較すると、お寺の方がデラックスである場合が多いのですが、興禅寺もかなりデラックス感のあるお寺です。駐車場から境内に入り、まず目の前に広がるのが、圧巻の「羅漢像」。羅漢とはブッダに従った弟子を意味するようで、お寺によって十六羅漢や五百羅漢などが置かれたりします。

興禅寺の石像

興禅寺の石像

このズラリと並んだ羅漢像は合計51体。一つひとつがオリジナルという、なかなか気合いの入った石像群です。

興禅寺の石像

興禅寺の蓮池

羅漢像に囲まれている場所は、池になっており、奥に祠が祭られています。池には「斑蓮」と呼ばれる蓮が浮かんでおり、全国でも数ヶ所にしかない珍しい種類とのこと。7月~8月にかけて白い花を咲かせるそうです。思いのほか興禅寺には色々なものが置かれているので、神社へ行く前に、境内グルッと回ってみることに。

本堂と木造阿弥陀如来像

池沿いにひたすら並ぶ羅漢像を横目に、境内奥には白壁のお堂が存在。この中に、本尊であり国の重要文化財でもある「木造阿弥陀如来像」が保管されているようです。

興禅寺のお堂

お堂の隣にあるのが、興禅寺の本堂。興禅寺は、767年に行基による創建とありますが、行基さんは749年に82歳で亡くなっているんですよね…これは一体…

興禅寺の本堂

まだまだある石像群

白壁のお堂の横にある謎の「ていてい地蔵」。解説はありませんが、不思議な詩が刻まれた石碑と共に置かれています。

興禅寺の石像

お堂の裏側には、石で彫られたレリーフが置かれています。「釈迦八相」とあり、釈迦の生涯が描かれているようです。

興禅寺の壁画

レリーフの横には階段があり、入口には「釈迦牟尼佛 十大弟子」と彫られています。これは、さらなる石像の予感…

興禅寺

階段を上っていくと、やはりありました石像群。数え忘れましたが、十大弟子ということなので、10体あったのでしょう。

興禅寺の石像
興禅寺の石像

階段の先にはなんと、わりと大きめの観音像が!しかも両脇にはそれぞれ5体の石像も!まさか石像をさらに被せてくるとは…

興禅寺の観音像
興禅寺の石像
興禅寺の石像

参道へ戻りさらに奥へ進むと、右側にある観音様。案内板によると、曹洞宗の開祖「道元」にまつわる観音様とのこと。

興禅寺の観音像

興禅寺の石像

観音様の背後には、多数のお地蔵様がいらっしゃります。本当に石像が多いです…しかも、各お地蔵の由来が彫られた案内板まであり、かなり気合いが入っています。さらに先に進むと、ズラリと並ぶ仏像群!大日如来、阿弥陀如来、不動明王など名だたる仏様が勢ぞろい!いや、こちらもなかなかの圧巻です…他にもまだ石像があるのですが、多すぎてお参りしきれませんでした…

赤坂上之山神社へ

あまりにも興禅寺のインパクトが強かったので忘れそうになりましたが、赤坂上之山神社へ向かいます。こちらが1716年(享保元年)に奉納された一の鳥居。

赤坂上之山神社の一の鳥居

赤坂上之山神社の白馬稲荷

鳥居を抜けると右側に階段が存在。上ってみると「白馬稲荷」という社がありました。案内板によると、昭和50年に老白狐が現れ「自分の住む社を造れば興禅寺の興隆に力を尽くす」と伝えたことが由来とされています。それにしても、なぜ名前が「白馬稲荷」なんでしょうか…話の流れ的には「白狐稲荷」な気もしますが…

興禅寺の石像群がある道を引き返し斑蓮の池まで戻ると、池の西側が高台になっておりその上に赤坂上之山神社が存在します。神社へ続く階段の脇には、丸い自然石を利用した珍しいタイプの水盤が置かれていました。

赤坂上之山神社の階段
赤坂上之山神社の手水舎

階段を上ると1832年(天保3年)に奉納されたという「二の鳥居」が存在。鳥居をくぐった先にある狛犬は、1837年(天保8年)に奉納と刻まれていました。

赤坂上之山神社の二の鳥居
赤坂上之山神社の狛犬

境内左側にある「天王稲荷大明神」。こちらの摂社には、特に由来などは記されていませんでした。

天王稲荷大明神

こちらが1975年(昭和50年)に建てられたという拝殿。いつでも中に入られるようで、中から本殿が見られます。本殿は1815年(文化12)年に建てられたもの。

赤坂上之山神社の拝殿
赤坂上之山神社の拝殿

本殿の左下に小さな石碑が置かれており「応神天皇御遺髪埋納伝承地」と彫られています。八幡宮ということで、応神天皇の髪がここに埋められたとの伝説が残されています。赤坂上之山神社は、興禅寺と雰囲気が変わり、シンプルで落ち着いた神社でした。

赤坂上之山神社の本殿
赤坂上之山神社の応神天皇御遺髪

まとめ

興禅寺の正面

赤坂上之山神社をメインで紹介するつもりでしたが、予想以上に興禅寺が濃厚で過ぎて、お寺がメインとなりました。個人的にこのようなノリは大好きなので、非常に楽しんで参拝できました。あれだけの石像群を作るのは、資金だけでなくかなりの情熱も必要となるでしょう。ちょっとお腹いっぱいにはなりますが、見応え抜群の興禅寺と赤坂上之山神社を紹介しました。

赤坂上之山神社データ

神社名赤坂上之山神社
住所河内長野市美加の台1丁目25-2
祭神仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、菅原道真
摂社天王稲荷大明神、白馬稲荷
旧社格村社
式内社なし
祭礼1月1日:歳旦祭
1月第3日曜日:どんと※
4月第1日曜日:春祭・稲荷祭
7月第1日曜日:夏祭
10月第2土曜日:地車安全祈願祭※
10月10日:秋祭
12月第1日曜日:冬祭・湯立神事
毎月1日:月次祭
(※印:暦により変わる場合があります)
参考資料境内案内板、パンフレット

アクセスと駐車場

・公共交通機関
南海高野線「三日市町駅」もしくは「美加の台駅」下車。南海バス「美加の台団地線」に乗り、「上之山神社前」下車徒歩5分。

・自動車
駐車場は興禅寺側と赤坂上之山神社側にそれぞれ1ヶ所あります。国道371号線「石仏交差点」を東に曲がります。道なりに進み、住宅地に入ります。郵便局が見えてすぐの信号を左折。曲がった先をすぐに左折し道なりに進んでいくと、興禅寺が見えます。

周辺スポット

・加賀田神社
赤坂上之山神社から、車で10分ほどの場所にある神社。再建された色鮮やかな本殿が見所の一つ。

・三日市10号墳
赤坂上之山神社から、車で10分ほどの場所にある古墳。古墳時代後期に築造された円墳として知られています。

・大師山古墳跡
赤坂上之山神社から、車で15分ほどの場所にある古墳。河内長野市で古墳時代前期に築造された珍しい古墳跡。

・烏帽子形城跡
赤坂上之山神社から車で約15分ほどの場所にある城跡。楠木七城の一つ烏帽子形城が築かれていた山として知られています。

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