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千早神社|落ちないご利益とは?【御朱印】~千早赤阪村~

2025 8/18
千早赤阪村 千早赤阪村の神社仏閣
2022年9月25日2025年8月18日
千早神社の拝殿

南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、千早赤阪村にある「千早神社(ちはやじんじゃ)」です。千早神社は、南北朝時代初期に活躍した楠木正成にゆかりのある神社として知られています。そんな千早神社には「落ちない御利益」があるとのこと。千早神社で「落ちない御利益」の由来とはどのようなものなのか?今回は、千早赤阪村にある「千早神社」を紹介します。

千早神社と千早城

もともと千早城は、八幡神を祭る千早城の鎮守でした。後に楠木正成が湊川で足利尊氏との戦いに敗れ自刃すると、後醍醐天皇は千早城に楠木社を創建してその霊を祭ったといわれています。その後、正成の妻である久子と四条畷の戦いで敗れた息子の楠木正行も合祀されています。

楠木正成没後も千早城は南朝の拠点として機能しますが、1392年(明徳3年)に畠山基国に攻められ落城。その後、千早城は利用されず神社も荒廃していたようです。

1595年(文禄4年)8月に豊臣秀吉の命により、楠木大明神として社殿を再建。しかしその後再び荒廃していたようで、明治初めに再建されています。この時に社名を「千早神社」と改称。1877年(明治10年)に府社に列した後、1907年(明治40年)に近隣の金峯神社、中津神社、阪本神社、八阪神社の4社を合祀。後に阪本神社以外は旧地に復社し、現在に至ります。

落ちない御利益の由来とは

1331年に後醍醐天皇が倒幕のため笠置山にて挙兵すると、南河内を本拠地とする楠木正成も呼応。下赤坂城で挙兵した楠木正成は、後醍醐天皇の息子である護良親王と共に幕府軍を迎え撃ちます。

楠木正成像
観心寺にある楠木正成像

しかし笠置山は早々に陥落し、後醍醐天皇は捕縛。楠木正成は、下赤坂城に押し寄せた幕府軍を苦しめますが急造の城であったため、守りきれないと判断し城を放棄。楠木正成と護良親王は、しばし身を隠すこととなります。

翌年1332年、再び表舞台に現れた楠木正成は、赤坂城を奪取。その後、畿内を中心に、幕府軍を次々と打ち破りました。この事態を重くみた幕府は大軍を組織し、楠木正成の討伐を命じます。それに対し楠木正成は、下赤坂城より強固な「上赤坂城」と「千早城」を築城し、幕府軍を迎え撃ちました。

幕府軍は10万もの大軍で、1000名程度の兵が籠もる千早城を攻撃しますが、楠木軍は地の利を生かした戦いで幕府軍を翻弄。結局、幕府軍が千早城攻略に手間取っている間に、新田義貞軍により陥落し鎌倉幕府は滅亡しました。大軍相手に城を守りきったということで、千早神社は「落ちないご利益」として崇められるようになりました。

千早神社に行ってみました

千早神社は金剛山の登山口近くにありますが、少しルートと外れたところにあるため意外と寄る人は少ないのかもしれません。山道入口には2本の石柱が建てられており、なにやら文字が刻まれています。

千早神社の入り口

近くの案内板に解説が書かれていましたが、楠木正成の兵法を解説した一文とのこと。いきなり、楠木正成エッセンス濃いめでスタートです。

千早神社の看板

入口にはもう一つ「千早神社の落ちない御利益」を力説した看板も設置されていました。

千早神社の案内板

大楠公(楠木正成)は、ここ千早城に手勢八百人と籠城し、北条軍十一万人に対峙した。周囲は急峻な崖、北条軍は地形を熟知した楠公軍の昼夜を問わぬゲリラ戦に悩まされ、被害の山を築く。開戦百日、鎌倉幕府は壊滅し北条軍は千早を去った。人は、知力、体力、気力の限りを尽くせば無限の力を発揮する。
千早城は絶対に落ちないパワースポットだ。
受験・選挙・企業業績、すべてのパワーは千早城にある

絶対落ちないパワースポットと言い切っているところが清々しくていいですね。受験だけでなく、選挙や企業の業績まで恩恵があるそうで、無敵としか言いようがありません。

他にも「大阪みどりの百選」や「楠公史跡河南八勝」の石碑も置かれており、入口から情報多過ぎでややパニックです。

千早神社の参道

盛り沢山な入口は程々にして千早神社に行こうとしましたが、挫けそうな階段が待ちかまえていました。これはヤバい。

千早神社の参道

ひたすら階段を登りますが先が見えず、運動不足のアラフォーにはかなりハード。ちなみに道のわきでガサガサと音がするなと思ったら、蛇が出てかなり焦りました。

千早神社の参道

参道の両側が切り立った崖になっており、さすが元城郭という感じです。確かに道が狭く両側が崖になっていると大軍が攻め込むのは困難でしょう。しばらく歩いていると現れる一の鳥居。まだまだ階段は続きます・・・

千早神社の参道

ガンガン登っていくと、二の鳥居と狛犬が置かれた広場に出てきます。ここまでで約500段ぐらいあるそうです。かなりキツい…この辺りが千早城の四の丸にあたります。四の丸まである重厚な防御体制と、尾根状の細長い地形を生かした築城だったと実感します。

千早神社の境内

四の丸跡は広々としたスペースになっており、開放感があります。売店と思われる建物がありましたが、いまは営業されていないようです。明治時代以降、楠木正成が英雄視されていたときは、多くの人が参拝していたのでしょう。

千早神社

ほかにもいくつかの建物があり、昔は賑やかな場所だったのかもしれません。四の丸の出口付近に鳥居と狛犬が置かれています。曲輪の数だけ鳥居が置かれているのでしょうか…

千早神社の参道
千早神社の狛犬

四の丸跡からさらに進むと、三の丸跡に出ます。三の丸は二の丸と違い、少し狭い空間。

千早神社の境内

こちらには社務所が建てられていますが、普段は無人のようです。

千早神社の社務所

社務所の前には小さな社が建てられていますが、社名・祭神・案内板もなく詳細は不明。明治時代の神社合祀政策により、近隣から「金峯神社」「中津神社」「阪本神社」「八阪神社」が合祀されています。そのうち金峯神社、中津神社、八阪神社は復社していることから、この社は唯一復社しなかった阪本神社なのかもしれません。

千早神社の摂社

三の丸跡と本殿のある二の丸跡までは細い参道になっています。大軍が一気に押し寄せないように工夫されているのでしょう。しかも上り坂になっており、千早城の戦いで幕府軍が苦戦したというのがよくわかります。

千早神社の看板
千早神社の参道

こちらが二の丸跡になります。三の丸跡と違い、かなり広い空間となっています。

千早神社の境内

こちらが千早神社の手水舎で、屋根付きの水が流れているタイプ。装飾は特になく、オーソドックスなスタイルとなっています。

千早神社の手水舎

こちらが拝殿手前にある鳥居と、独特の表情をした狛犬がいます。

千早神社の拝殿
千早神社の狛犬

鳥居をくぐって左側に、レールのようなものが敷かれていました。おそらく、登山口方面から千早神社に物資を運ぶためのものと思われます。かなり階段がキツイので、人力で物を運ぶのは厳しのでしょう。

千早神社のケーブル

レールの奥には摂社として3社祭られています。順番は不明ですが、椋本神社(大物主命)、廣内神社(金山彦命)、平神社(応神天皇)と思われます。大物主命は、大神神社の主祭神。金山彦命は、金属や鉱山にまつわる神様で、応神天皇は八幡神と同一とされています。もともと千早神社では八幡神を祭っていましたが、本殿では祭られていないようです。もしかするとこちらで八幡神である応神天皇を祭っているのかもしれません。

千早神社の摂社

こちらが千早神社の拝殿になります。かなり巨大な拝殿で、南河内の神社でもトップクラスではないでしょうか。

千早神社の拝殿

拝殿に置かれた賽銭箱には楠木家の家紋「菊水」が描かれています。後醍醐天皇より賜ったもので、皇室の家紋「菊」と建水分神社の「流水紋」を合わせたものといわれています?

千早神社の賽銭箱

拝殿の脇から、千早城の本丸跡へ行くことができます。千早神社の本殿は、この本丸跡に存在しますが奥へは立入禁止となっています。

千早神社

この本丸跡裏手から、金剛山の登山コースに合流する道があります。

千早神社

帰りは、こちらから下って帰ります。道の途中には、千早神社に行くことができるもう一つの横道が存在します。こちらには、千早城にちなんだ「お守り」の由緒について書かれた看板が設置されています。なかなかの「落ちない」神話推しです。

千早神社

ようやく登山口まで下山。かつてこの場所には、シイタケうどんで有名な「まつまさ」さんがありましたが、今はモンベルが新しくオープンしています。

千早赤阪村にあるモンベル

まとめ

千早神社

今回は、千早赤阪村にある「千早神社」を紹介しました。楠木正成全開の神社と城跡ということで、なかなか濃いスポットでした。幕府軍から城を守り抜いたことを由緒とした「落ちないご利益」も強めにアピールしたところもユニークです。ここ一番落とせない勝負があるときは、千早神社で落ちないご利益を願いに参拝してみるのもいいですね。

御朱印

御朱印書置き
初穂料500円

千早神社内の社務所は基本留守のようで、神社では御朱印をいただけません。金剛山登山口にある「山の豆腐」さんで御朱印を扱っています。ちなみに日本100名城のスタンプもこちらでいただくことができます。

山の豆腐
千早神社御朱印

千早神社詳細

神社名千早神社
住所大阪府南河内郡千早赤阪村千早
祭神楠木正成郷、楠木正行朝臣、久子刀自、大市媛命、天太王命
摂社椋木神社、廣内神社、平神社
旧社格府社
式内社なし
祭礼
参考資料案内板、大阪府神社名鑑

案内板

千早城本丸跡にもと八幡大菩薩を祀って千早城の鎮守として創建する。後に楠木正成郷、正行朝臣、久子刀自を合祀して楠社と称する。明治7七年再建。同十二年には更に祠を建て社名を千早神社とす。昭和七年現在の社殿社務所を新築する。

大阪府神社名鑑

当社の創始は、後醍醐天皇が楠木正成の兵庫で力尽きて忠死したのをお聞きになって、その死を惜しまれ、延元元年五月に千早城に楠木社創建され、その霊を祀られてと伝えられている。
その後室町時代を経て荒廃に帰したので、文禄四年八月に豊臣秀吉の名によって、楠木大明神として社殿を再建したと伝えられている。
明治初年に荒廃に帰したので、同七年五月に再建し、更に同十二年に堺県県令税所篤氏が社殿を修築して、社名を千早神社に改称した。
大正十五年城址の最高所にあった宮地を、現在地に移し社殿の造営に着工し、昭和十年五月九日に完成正遷宮を執行した。
昭和十年五月十八日に府社に昇格した。

アクセスと駐車場駐車場

千早赤阪村 千早赤阪村の神社仏閣
御朱印
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