美具久留御魂神社 | 出雲と美具久留御魂神社の意外な関係とは? となりの鎮守様シリーズVol.5 〜富田林市〜

美具久留御魂神社昔から地域を守り続ける神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。第6回は富田林市にある「美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)」です。南河内には難読の神社がいくつかありますが、美具久留御魂神社も中々難読な神社の一つです。



美具久留御魂神社の創建

社伝によると
美具久留御魂神社
崇神天皇(人皇十代)の時代、この地に大蛇が多く出没し農民を悩ましたので天皇は「これは大国主神の荒御魂の荒ぶなり。よろしく祀るべし」とおっしゃった。

その頃丹波の国の氷香戸辺の子に「王藻鏡石。出雲人祭、真種之甘美鏡。押羽振、甘美御神、底宝御宝主。山河之水泳御魂。静挂甘美御神、底宝御宝主也。」(日本書紀第五巻崇神紀六十年條・出雲国風土記)という神のお告げがあり、天皇はそれをお開きになって、活目入彦命(垂仁天皇)を河内国支子に遣わし当社を祀らせ、美具久留御魂大神と御名を称えなさった

これだとよくわからないのですが、日本書紀に書かれていることを組み合わせると、なんとなく話が見えてきます。

日本書紀によれば崇神天皇が即位した直後は天災、飢饉などで国が荒れている時代でした。どうやら神の祟りと言う事で大物主を三輪に祭る事をはじめ、多くの神を祭って祟りを鎮めています。

社伝の最初の部分にはこのような背景があったようです。ちなみに、美具久留御魂神社のすぐ東にある「栗ヶ池」には大蛇が住んでいた伝説があり、狭山池に住む大蛇と結婚して暮らしたというお話があります。

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また、崇神天皇は出雲に収められている神宝が見たいと言われ、それを求めます。「見たい」と書かれていますがつまり「よこせ」ということです。天皇の使者が出雲に遣わされた際、神宝の管理者である出雲振根はちょうど留守にしていました。

そのため、弟の飯入根が独断で神宝を使者に渡してしまいます。戻ってきた出雲振根は激怒し、後日、飯入根を殺害。それを聞いた崇神天皇は兵を差し向け出雲振根を誅殺するというエピソードがあります。

美具久留御魂神社には「生大刀」「生弓矢」と言う大国主に所縁がある神宝が祭られているそうです。日本書紀で崇神天皇が出雲に求めた神宝が「生大刀」「生弓矢」であったかについては書かれていませんが、そうだとすれば辻褄はあいそうです。




出雲振根が誅殺されたことで、出雲の人々は恐れ大国主を祭るのを止めてしまいます。ここで、社伝にでてきた丹波国、氷香戸辺の子供が神がかりです。神がかりはは日本書紀にも記載されており、現代語訳すると

水草の中に沈んでいる玉のような石。出雲の人の祈り祭る本物の見事な鏡。力強く活力を振るう立派な御神の鏡。水底の玉。宝の主。山河の水の洗う御魂。沈んで掛かっている立派な御神の鏡。水底の宝。宝の玉

社伝では崇神天皇が皇太子である活目入彦命(垂仁天皇)に祭らせたとあります。この鏡が美具久留御魂神社に祭られているかはわかりませんが、大国主を出雲から引き離す意図があったのではないでしょうか。

崇神天皇の頃の大和王朝は勢力拡大を図っている時代で、山陰の出雲や九州の熊襲などと勢力争いを繰り広げていました。この流れがどこまで史実なのかはわかりませんが、大国主を祭る主導権を巡り大和王朝と出雲で争っていたかもしれません。

その後の美具久留御魂神社

その後も歴代天皇からも厚い崇敬を受け、第58代の光孝天皇は「河内大社」の勅額を奉納しています。また、平安時代に編纂された延喜式神名帳にも記載されて「河内国二の宮石川郡総社」とも称されています。

鎌倉時代から南北朝時代にかけて美具久留御魂神社は南朝と繋がりがありました。楠木正成から氏神として崇敬しており、社領などを寄進しています。
戦国時代に入ると、豊臣秀吉の根来攻めの際に兵火にあい、建物の多くを焼失してしまいます。秀吉の紀州征伐の主戦場は和泉と紀州で、メインルートから外れている美具久留御魂神社がなぜ巻き込まれたのかがわかりませんが、根来寺は河内にも影響力を持っていたようなので、なんらかの繋がりがあったのかもしれません。

衰退した美具久留御魂神社ですが、江戸時代に入り再興を果たし、現在に至ります。

現在の美具久留御魂神社

美具久留御魂大神は水にゆかりがある神社として知られています。同じく崇神天皇が関わる千早赤阪村の建水分神社を「上水分社」と呼ぶ事に対して、美具久留御魂神社を「下水分社」とも呼ばれています。

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後背の山自体がご神体として祭られており、その姿は大阪緑の百選にも選ばれています。美具久留御魂神社

山の中腹まで登れるだけあり、かなり広く、摂社の数が半端ないですね…美具久留御魂神社今まで参拝した南河内の神社では初めての「下拝殿」と「上拝殿」と言う拝殿の二段構え。本殿は山の中腹にあり、そこまで行って参拝するのが大変なので、下にも拝殿を作っているのでしょうか?美具久留御魂神社

下拝殿の脇にある巨大な獅子舞の顔。まさか、リアルでは使わないですよね…美具久留御魂神社

参道の手前にいくつか社があります。その一つが「嘉喜門院御霊所」。嘉喜門院は、後村上天皇の女御にして、長慶天皇、後亀山天皇の母と言われている人物。美具久留御魂神社と南朝は繋がりが深かったため、嘉喜門院はこちらに祭られているのかもしれません。美具久留御魂神社

参道の途中にある支子稲荷神社。由緒などはよくわかりませんが、他の摂社に比べて少しデラックス。美具久留御魂神社美具久留御魂神社

参道を登った所に上拝殿と本殿があります。本殿は塀に囲まれて中はあまりよく見えませんが、本殿以外に、利雁神社、郡天神社、皇太神社、南木神社、熊野貴平神社などの摂社があります。美具久留御魂神社

利雁神社は元々羽曳野市尺度にあった神社で、由緒は不明ながらも延喜式神名帳に記載される神社です。明治時代に美具久留御魂神社に合祀されますが、再び同名の神社が羽曳野市に再建されます。元に戻るのではなく、もう1社作るという事で、近所に同名の神社が2社あると言う奇妙な事になっています。

参道を支子稲荷神社の方へ戻ると二手に分かれており、左へ進むと山の上へ登ることができます。その先には美具久留御魂神社の御神体を祭る場所がありますが、そこはなんと古墳になっています。古墳名は「宮神社裏山古墳群」と言い、1号墳〜4号墳まで4基の古墳から構成されています。美具久留御魂神社

1号墳は全長58mの前方後円墳。どの時期に築造され、どのような埋葬方法だったのかほとんどわかっていません。このような山の中に存在する前方後円墳は南河内ではめずらしい気がします。

参道は中腹を一周すると本殿脇に戻ることができます。本殿正面に階段があるので、そこから下拝殿へ降りる事ができますが、下拝殿で参拝している人から視線が集中してしまうので若干気が引けてしまいます。美具久留御魂神社

美具久留御魂神社は正面の鳥居から、二上山、三輪山が一直線になっているということです。古代の人々が創建時にそこまで計算して造ったのか、興味が深いところです。



アクセス

近鉄長野線「貴志駅」より徒歩15分程の場所にあります。車の場合は国道170号線の宮前交差点を曲がってすぐの場所にあります。駐車場も広く停めやすいのですが、駐車場へ入るまでの道が少し狭いので注意が必要です。

美具久留御魂神社データ

住 所:大阪府富田林市宮町3丁目2053
駐車場:あり
主祭神:美具久留御魂大神(大国主命)
天水分神、弥都波迺売命、国水分神、須勢理比売命、木花咲耶比売大神
摂末社:利雁神社、郡天神社、熊野貴平神社、皇大神社、南木神社、稲荷神社、白雲宮、英霊社
旧社格:郷社
式内社:式内小社