南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、千早赤阪村水分にある「建水分神社」です。皆さんはこの神社の名前を正しく読めますか?「けんすいぶん神社?」「たてみずわけ神社?」正しい読み方は「たけみくまりじんじゃ」と読みます。
普通に読もうとしてもこの読み方には中々たどり着かないですね。 この難読な建水分神社ですが、かなり古い歴史を持つ神社なんです。今回はいにしえの歴史を誇る建水分神社をご紹介します。
建水分神社の歴史
建水分神社の社伝によると紀元前92年、全国で飢饉が発生したため対策としてため池や溝が多く作られました。その際、第10代天皇である崇神天皇が金剛山麓に「水分神(みくまりのかみ)」、つまり水の神様を祀ったのが始まりと言われています。
それにしても紀元前92年と言うと2000年以上も昔に作られたという事で、事実ならとても歴史のある神社ということになります。
建水分神社は別名「上水分社」とも呼ばれております。上水分神社があるからには下水分社も存在し、富田林市にある美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)が下水分神社になります。
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読み方に関しては地元でも「たけみくまりじんじゃ」の呼び方はあまり馴染みがないのか、神社HPの交通案内に
付近住民(バス・タクシー運転手)等に当社のことを尋ねる場合、正式名称の『建水分(たけみくまり)神社』というより通称の『水分(すいぶん)神社』というほうが判りやすい
と書かれてます。どれだけ読みづらいのか…
室町時代初期、後醍醐天皇と足利尊氏が対立し北朝と南朝に別れて争いが勃発。その争いにより建水分神社は荒れ果ててしまいましたが、1334年に後醍醐天皇の命を受けた楠木正成によって再建されます。1575年には織田信長の河内侵攻で社領を没収されて危機を迎えますが、のちに豊臣秀吉により社領を返されています。
時代は進み、第二次世界大戦中には戦艦「金剛」に建水分神社から勧請した艦内神社がありました。艦内神社とは艦艇の中で祀られる小規模な神社。
建水分神社は金剛山の鎮守であったことから名前繋がりで、勧請したそうです。戦艦「金剛」が大阪港に寄港した際は、慣例として艦長以下乗組員は建水分神社に参拝していたそうです。
建水分神社の境内には建水分神社を再建した楠木正成を祀る「南木神社」や、いつどのような経緯で祀られたのか不明である「金峯神社」などがあります。
現在の建水分神社
こちらは入り口にある社号標で上の2文字が消されています。ここには「府社」と書かれていたようです。府社というのは国家が神社を格付けした神社の格を示すものです。社格には官社と諸社があり、それぞれ格付けされています。
諸社の序列は「府社=県社=藩社>郷社>村社」となっており、建水分神社は一番上の格である「府社」になります。
上記でも書きましたが、建水分神社は戦艦「金剛」の艦内神社に勧請していた経緯などがから軍部とのつながりがありました。戦後アメリカ占領軍であるGHQから、国との深いを疑われ干渉することを懸念して「府社」の文字をセメントで埋めたとの事。
入り口から坂を登った先にある「南木神社」。1336年に楠木正成が湊川の戦いで戦死し、心を痛めた後醍醐天皇が建水分神社内に祀ったとのこと。のちに後醍醐天皇の皇子である後村上天皇が「南木明神」の神号を与えました。「南木」という名前は「楠」の文字を二つに分けたのではないかともいわれています。
南木神社前にある由緒標を記した人物名には陸軍大将・荒木貞夫の名が。ここにも戦中に建水分神社と軍部とのつながりがあったことが伺えます。
こちらは南木神社の狛犬。よく見るとツノのある狛犬とツノのない狛犬がいます。それには理由があり狛犬は本来、獅子と狛犬が向かいあう形で一組になるそうです。
ツノがあり口が閉じている方が狛犬で、ツノが無く口が開いている方が獅子という組み合わせがあったことは初耳でした。
本殿に向かう途中に気になったのはこちらの手水舎(ちょうずや)。歴史ある神社の割には可愛らしい竜の像から水が出てきます。さらにセンサーで人を関知して水が出てくるというハイテク仕様!境内の雰囲気と可愛いハイテク竜のギャップに少しほっこりします。
本殿に登る手前にある大きな鳥居と狛犬。鳥居には1340年に後醍醐天皇の手により書かれ、楠木正成の息子である楠木正行が奉納した額が掲げられています。当初は木製だったそうですが、磨耗を避けるために1705年に金銅製に替えられています。
鳥居前の狛犬はおよそ130cmあり、大阪府内最大の住吉大社の物と比べてほぼ同じグラのサイズということ。
本殿は少し登ったところにあります。深い木々に囲まれた石段を登ると拝殿です。周囲はひんやりとし静寂が漂う神聖な空気に少し緊張感が漂います。これが長い歴史の重みでしょうか。この本殿は左右の両殿が中殿と渡り廊下で繋がるという全国で唯一の様式だそうです。
まとめ
近年、建水分神社はある理由で参拝者が増えているそうです。その理由はブラウザゲームで今も人気の「艦これ」です。「艦これ」で金剛をモチーフにしたキャラが存在し、それにちなんで参拝者が訪れるようです。
ちなみに自衛隊の艦艇「こんごう」にも艦内神社がありますが、こちらは建水分神社から勧請されず、金剛山にある「葛木神社」から勧請されています。
建水分神社は、道の駅 ちはやあかさかや棚田からも近く、観光をするポイントとして寄りやすい場所にあります。千早赤阪村を観光する際は一度足を伸ばして、いにしえの歴史を感じてみてはいかがでしょうか?
御朱印
御朱印 | 手書き |
初穂料 | 300円 |
建水分神社データ
神社名 | 建水分神社 |
住所 | 大阪府南河内郡千早赤阪村水分357 |
祭神 | 天御中主神・天水分神・罔象女神・ 国水分神・瀬織津姫神 |
摂社 | 南木神社、金峯神社 |
旧社格 | 府社 |
式内社 | 式内小社 |
祭礼 | 4月、10月 |
参考資料 | 案内板、大阪府神社名鑑 |
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄南大阪線「富田林駅」下車。金剛バス千早線水越峠行きに乗り「水分神社口」下車すぐ。もしくは金剛バス循環線に乗り「水分」下車徒歩1分。
・自動車
建水分神社には、無料の駐車場が存在します。
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案内板
延喜式(905年、延喜5年に醍醐天皇の勅により選進)神名帳に記されている神社を式内社といい、当神社は河内国石川郡式内社9社のひとつである。
崇神天皇の5年、「天下饑疫の際、勅して創立せらる」とあり、池・溝を設けて農事を進められ、金剛・葛城のふもとに水の神を祀ったと思われる。
楠木家は累代この地に居住し、当神社の祭神建水分大神は楠木家のう氏神として崇敬篤く、後醍醐天皇の勅命で正成が水越川のほとりの下宮にあった社をここに再建した。
本殿は春日造の中殿(天御中主神)、流れ造りの左殿、右殿(水分神)の三殿より成り、三殿が渡り廊下で連結されている。建築学上、その構造・精緻さなどから明治33年に国宝に指定され、現在は重要文化財に指定されている。地元では水分神社と呼ばれ親しまれている。