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聖音寺|楠木正成の身代わりに矢を受けた矢疵観音~富田林市~

聖音寺

富田林市錦織南には「光明山 聖音寺」というお寺があります。お寺の本尊である如意輪観音坐像には「矢疵観音(やしかんのん)」という変わった別名があるのをご存じでしょうか?名前の由来は、文字通り「矢」と南河内の有名なある人物とのエピソードが元になっています。矢と人物と観音様にはどのような関係があるのか?今回は、富田林市錦織南にある「聖音寺」を紹介します。

聖音寺とは

聖音寺の詳しい創建は、よくわかっていません。聖音寺の建つ場所は、丘陵をなしており古くは「聖音寺山」と呼ばれていました。山のの名前は、この寺名からきたと思われます。もともと禅宗のお寺で、江戸時代には、河内西国16番札所の一つにも数えられていました。

聖音寺

1874年(明治7年)に一度廃寺となっています。のちに再興され、現在は本山・末寺の関係に入らない「無本寺」となっています。住職は常駐せず、地元の方々によって管理されています。

矢疵観音とは

聖音寺の本尊である如意輪観音坐像は、別名「矢疵観音(やしかんのん)」と呼ばれています。これは、鎌倉時代末期に活躍した楠木正成とのエピソードが元になっています。

楠木正成像
観心寺にある楠木正成像

鎌倉時代末期、後醍醐天皇は鎌倉幕府打倒のために奈良県笠置山で挙兵。これに呼応した楠木正成も、千早赤阪村の下赤坂城に立てこもり、幕府に反旗をかかげます。しかし、急ごしらえの下赤坂城は、幕府軍の攻撃に持ちこたえられず落城。楠木正成は、夜陰に乗じて金剛山へ逃亡しますが、途中で幕府側の兵に弓で射かけられました。

下赤坂城

1本の矢が、正成の籠手(こて)に当たるも、不思議と痛みがありません。その夜、眠りについた正成は、夢の中に現れた観音様にこう告げられます。「我は聖音寺の観音なり。汝の身代わりに矢を受けた。疑わしくば寺に来て見よ」と。翌日、聖音寺へ確認に向かった正成は、手に矢が刺さり、血が滴っている観音像を目にします。観音様が正成の身代わりとなり矢を受けたことから、「矢疵観音」と呼ぶようになったと伝わっています。

柿本人麻呂にもゆかりのあるお寺?

聖音寺の境内には「人丸塚」と呼ばれる高さ1.3mほどの石碑が存在します。実はこの石碑、飛鳥時代の歌人「柿本人麻呂」の遺跡との言い伝えがあります。

柿本人麻呂像/Wikipediaより
Yanajin33 / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)

柿本人麻呂は、万葉集にも多く登場し、山部赤人と共に「歌聖」と称えられた人物。現在石碑は、風化が激しく、彫られた内容は非常に読みにくいですが、柿本人麻呂が詠んだとされる歌が刻まれています。

聖音寺

「柿本人丸 夜もすがら あかしがつらにたくものは 錦織山の妻木なりけり 卯二月十日建之」
この塚は、1853年に刊行された西国三十三所名所図会に「人麻呂塚」として紹介されており、江戸時代においても名所だったようです。

西国三十三所名所図会
錦織の歴史と文化つむぐ第三号より

柿本人麻呂の終焉の地は、島根県益田市が有力とされていますが、南河内が終焉の地との説もあります。柿本人麻呂の妻は「依羅娘子」といい、松原市北部の依羅郷を本拠地とする依羅氏出身と思われます。

柴籬神社
依羅宿禰を祭る松原市の柴籬神社

依羅娘子は、柿本人麻呂との死別の際に2首の和歌を呼んでいます。

今日今日と我あが待つ君は石川の峡かひに交りてありといはずやも
直の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ

河内説は、歌に登場する「石川」が、南河内を南北に流れる「石川」であると根拠にしています。

石川

柿本人麻呂の晩年は不明な点が多く、実際に終焉の地がどこかは分かっていません。ただ、妻の出身地や歌などから、南河内にゆかりの人物だったのかもしれません。

現在の聖音寺とは

コインパーキングから住宅地を歩き、少し高台に聖音寺が存在します。境内の端に立つと、富田林市東部が一望できる眺望のよい場所にあります。

聖音寺

聖音寺には、矢疵観音以外にも多くの史跡が置かれています。

聖音寺

入って右側にある石碑と宝筺印塔。特に説明はなく、由来はわかりません。

聖音寺

その隣にある社は、海上交通の守り神である金比羅様。聖音寺の少し東側を流れる石川では、かつて水上輸送が行われていました。金比羅様が祭られているのは、それと関係するのかもしれません。

聖音寺

社の左右には、灯篭が3基存在。一番右奥の灯篭には「大神宮」と彫られており、1764年に作られた「伊勢灯篭」です。かつて、聖音寺の東を走る東高野街道沿いにあり、市内にある伊勢灯篭の中でも最古級とのこと。

金比羅様の左にある灯篭には「秋葉大権現」と彫られた灯篭。右にある灯篭には「金比羅大権現」と彫られています。両灯篭とも、東高野街道沿いにありましたが、紆余曲折を経て聖音寺内に移設されました。

金比羅様の隣にあるのが、お稲荷様で農耕の神様。

聖音寺

その隣にある石造りの祠は、牛滝様といわれています。牛滝様も農耕の神様として知られています。3つの祠と社をみると、生活に密着した神様が多く祭られているようです。お寺の境内に神社が2社も存在するのも、おおらかな日本らしい信仰といえます。

聖音寺

隣にあるのが、柿本人麻呂ゆかり人丸塚。たしかに何が書かれているのはわかりません。

聖音寺

境内を歩いていると、掃除をしている方に、お堂のなかに入っても良いですよと、声をかけていただきました。(※通常は中には入れません)

聖音寺

お堂の中には3体の観音像が置かれています。中央の像は、本尊の如意輪観音坐像で、いわゆる「矢疵観音」。高さ約40cmのヒノキによる寄せ木作り。

聖音寺

弘法大師の作とも伝えられていますが、室町時代作とのこと。右側は薬師如来、左側は大日如来が配置されています。

聖音寺

中に入れて頂いた方が、聖音寺や富田林市の歴史に詳しい方で、色々なお話を聞かせて頂けました。ありがたいことに、地域で作成した郷土史の冊子までいただけることに。地元の方の聖音寺に対する深い愛着を感じられる訪問でした。

聖音寺

光明山 聖音寺データ

寺名聖音寺
住所大阪府富田林市錦織南1丁目21-10
山号光明山
宗派不明
本尊如意輪観音坐像(矢疵観音)
開祖不明
札所なし
参考資料・錦織の歴史と文化 つむぐ第三号
・とんだばやし灯籠めぐり
・富田林市ホームページ
・境内案内板

アクセスと駐車場

・公共交通機関
近鉄長野線「滝谷不動駅」下車。南に直進し、府道202号線を西へ。「錦織交差点」を南へ直進しするとBARBARつじの建物が見えます。この交差点を西へ直進し、突き当たりを南へ直進すると階段上に矢疵観音が存在します。

・自動車
矢疵観音に駐車場はありません。錦織交差点付近にコインパーキングが数ヶ所あり、そこから徒歩がオススメです。

周辺スポット

・堂ノ山古墳
矢疵観音から徒歩約15分の場所にある、錦織公園内の終末古墳です。1つの墳丘に2つの石室を有する珍しい古墳。

・千代田神社
矢疵観音から徒歩約20分の場所にある菅原道真を祭る神社。千代田天神祭が有名です。

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