先日ブログで紹介しました、10月14日開催の「はびきの古民家の日」に吉村家住宅、松村家住宅を訪れました。 普段一般公開されていない 吉村家住宅、松村家住宅、畑田家住宅は江戸時代における庄屋の暮らしぶりを知る貴重な古民家です。
昔話でよく出てくる庄屋ですが、本当はどのような暮らしをしていたのか?気になる庄屋の生活を垣間見るため、吉村家住宅と松村家住宅に行ってきましたのでご紹介します。
https://travel-minakawa.com/2017/09/24/post-172/
吉村家住宅
吉村家は鎌倉時代の初期に活躍した佐々木高綱の子孫として伝えられています。南北朝時代から戦国時代にかけては丹下一族と称され、土豪として周辺を治めました。関ヶ原の戦いの少し前ぐらいに称を「吉村」に改めています。
江戸時代には羽曳野、松原、八尾、大阪市一帯の18の村々を管轄する大庄屋として栄えた名家。その住宅は1937年に国宝に指定され、1950年に文化財保護法により国の重要文化財として再指定されています。(現在は国宝ではありません)
吉村家住宅のすぐ前には「明治天皇小憩所旧跡」の碑という石碑があります。この石碑は明治天皇が吉村家住宅の近くにある「雄略天皇陵」を訪れた際に、近くの邸宅で休憩された記念に築かれたものだそうです。
残念ながら休憩された邸宅は新しい家に建て直されらしく、この石碑は廃棄するわけにもいかないので吉村邸の前に置かれているそうです。
吉村家住宅の門は長屋門と呼ばれ、この大きな門には使用人が住む小さな部屋があります。門に部屋が付いているというのは珍しいですが、長屋門を構えることは武家または裕福な庄屋しか許されず、吉村家の格の高さがうかがえます。
国宝に指定された時の記念碑です。当初は国宝に指定された吉村家住宅ですが、現在は国宝ではなく国の重要文化財となっています。
松村家住宅
古民家 松村家住宅も庄屋の邸宅です。吉村家住宅から5分ぐらいの場所にありますが、こんなに近くに2件も庄屋があるんですね。どういう住み分けがされていたのでしょうか・・・<
吉村家住宅と同じく大和棟造りの屋根です。こういう屋根は維持が大変だそうで・・・
松村家住宅のお部屋。こちらは少し現代風に一部リフォームされているのかもしれませんね。
立て札。キリシタンを見つけたら通報しなさいということだそうです。
二つの庄屋宅を拝見しましたが、書院造を取り入れたり長屋門、大和棟造りなど庄屋の力の大きさを実感できました。一方で多くの人達の上に立つ者としての責任と義務の大きさにを考えると、庄屋の暮らしも楽ではないのだろうなと思わされました。
河内の古民家めぐりスタンプラリー
はびきの古民家の日は終わりましたが、2017年11月1日(水)~11月30日(木)の期間、第2回「河内の古民家めぐり スタンプラリー」が開催されます。この期間、通常一般公開されていない古民家を見学することができます。
東大阪から河内長野までの13の古民家を巡り、スタンプを8個集めて応募すると、抽選で当選者にプレゼントが送られます。古民家の中には、はびきの古民家の日で公開されていた吉村家住宅や畑田家住宅も公開されています。 はびきの古民家の日に訪れることができなかった方は、スタンプラリーを通じて河内の豪農たちの暮らしぶりを実感されてみてはいかがでしょうか?
吉村家住宅
住 所 大阪府羽曳野市島泉5丁目3-5
駐車場 なし
アクセス 近鉄南大阪線 恵我ノ荘駅または高鷲駅より北へ徒歩20分
吉村家および松村家は普段は一般公開されていません