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誉田御廟山古墳に眠る応神天皇が八幡神?~羽曳野市~

日本には様々な系統の神社が存在しますが、どの系統の神社が一番多いかご存知でしょうか?ざっと多い順にならべてみると。

1位 八幡信仰 7,817社
2位 伊勢信仰 4,425社
3位 天神信仰 3,953社
4位 稲荷信仰 2,970社
5位 熊野信仰 2,693社

順位を見ると「八幡宮」と名の付く八幡神系神社がダントツで多くなっています。これは八幡宮は武家から武運の神として深く信仰されていたからと思われます。しかし八幡神とは一体どういう神様なのかというのは意外に知られていません。




実は「誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)」に祭られている「応神天皇」が八幡神となっているのです。それでは、なぜ天皇である応神天皇が戦いの神として全国で祭られているのでしょうか?

八幡宮と八幡神

多くの八幡神では、応神天皇と共に「比売姫」や応神天皇の母である「神功皇后」が祭られています。この応神天皇を主神とし、比売姫、神功皇后を合わせて八幡三神と呼ばれています。

では何故、応神天皇が八幡神として崇められたのか?事の始まりは571年、大分県宇佐の地に応神天皇の化身が降り立ち
「自分は応神天皇で、国を守る大菩薩である」
と告げたことが起源とされています。




その後781年、朝廷は宇佐神宮に鎮護国家・仏教守護の神として八幡大菩薩の神号を贈ります。それをキッカケに八幡神は寺の鎮守神として全国に広がっていきました。

応神天皇とその家族

応神天皇は父に仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、母に神功皇后(じんぐうこうごう)。祖父にあの有名な日本武尊(ヤマトタケル)。子に仁徳天皇と非常に有名な人物に囲まれてます。

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母の神功皇后は神のお告げを受けて妊娠中にも拘わらず朝鮮半島にわたり、百済、新羅、高句麗を征伐。帰国後は腹違いの子供達の反乱を鎮圧し、応神天皇を帝位につけたスーパー女傑。陵は奈良市にある「狭城盾列池上陵(五社神古墳
)」に祭られています。

祖父の日本武尊は、九州征伐にて熊襲を平定し、東征に反乱勢力を鎮圧して大和王権の勢力拡大に貢献した英雄。
息子の仁徳天皇は、難波に都を移した際、家のかまどから炊煙が立ち上っていないことに気づいて3年間租税を免除し、倹約のために質素な暮らしをした言う善政を敷いた仁君。陵は羽曳野市にある「白鳥陵(白鳥陵古墳)」に祭られています。https://travel-minakawa.com/2019/04/02/shiratoriryou/

息子の仁徳天皇は、仁君として知られています。家から出る煙の少なさから人民が貧しい事に気が付き、質素倹約に努めたという逸話が伝わっています。陵は堺市にある「仁徳天皇陵(大仙陵古墳)」に祭られています。

父の仲哀天皇は・・・・神様のお告げを無視して祟り殺されたという残念な逸話ぐらいしか・・・
こんな豪華な家族構成にもかかわらず、肝心の応神天皇自体は不思議とエピソードが多くありません。陵は藤井寺市にある「仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)」に祭られています。

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応神天皇がこの世を去って数百年が過ぎ、朝廷により応神天皇は八幡神とされます。なぜエピソードに乏しい応神天皇が八幡神とされたのか?

個人的な想像ですが、古事記や日本書紀などの記録を基に八幡神を作り上げるとすれば、天皇ではない神功皇后や日本武尊、イマイチなエピソードを持つ仲哀天皇では権威的に少し物足りないと思います。

しかし勇猛な日本武尊と神功皇后の血を受け継ぎ、天皇の地位にあった応神天皇ならば神として崇められる存在として適任だったのではないでしょうか?

誉田御廟山古墳と誉田八幡宮

応神天皇は羽曳野市にある「誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)」通称「応神天皇陵」に埋葬されています。規模としては全長約425mで大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の486mに次いで日本で2番目に長い古墳。体積では大仙陵古墳140立方メートルに対して143万立方メートルと、わずかに誉田御廟山古墳が上回り日本一です。

誉田御廟山古墳-応神天皇陵

誉田御廟山古墳-応神天皇陵

大きさもさることながら、誉田御廟山古墳の見所としては、古墳をドーンと一望できるところではないでしょうか。古墳の東側は濠が畑になっているせいか柵がなく堂々たる姿が見られます。ただ、見えているのは墳丘ではなく内濠の木々ですが・・・

誉田御廟山古墳-応神天皇陵

誉田御廟山古墳のすぐ隣には、応神天皇を祭る誉田八幡宮があります。応神天皇陵前に神廟が設置されたことをもって創建としており、最古の八幡宮とも言われています。

誉田八幡宮

誉田八幡宮と誉田御廟山古墳には放生川という小さな川が流れており、そこに放生橋というアーチ状の石橋がかかっています。これは毎年9月15日に行われる秋季大祭に応神天皇の神霊を乗せた御輿を誉田御廟山古墳まで運ぶ神事に利用されていました。

誉田八幡宮

現在はその石橋は使われず、横に架かった平面の橋を利用しているようです。

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応神天皇にもっとも縁の深い誉田八幡宮なら日本の三大八幡宮(宇佐八幡宮、石清水八幡宮、筥崎宮)に入ってもいいのではないかと思うんですが、不思議なことに入っていません。

日本武尊、神功皇后、仲哀天皇、応神天皇とそれぞれ実在性やエピソードなど資料が少ない故に実際の所はなにが真実なのかはわかりません。しかし、ゆかりの場所を見ながら思いをはせると空想が広がり、それだけでもワクワクしますね。

アクセスと駐車場

道明寺駅

遥拝所や案内板がある場所へは、近鉄南大阪線「道明寺駅」より徒歩約15分。遥拝所から応神天皇を祭る誉田八幡宮へは徒歩約15分です。

誉田御廟山古墳(応神天皇陵)遥拝所近くには駐車場はありません。古市駅もしくは羽曳野市役所周辺の駐車場を利用して徒歩で向かうことをお勧めします。誉田八幡宮には無料駐車場があります。

誉田御廟山古墳データ


古墳:誉田御廟山古墳
通称:応神天皇陵
宮内庁名:惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)
墳形:前方後円墳
築造時期: 5世紀初頭
所在地:大阪府羽曳野市誉田6丁目
全長:425m
高さ:36m
埋葬:応神天皇
埋葬の施設:不明



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