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野々上八幡神社|野中合戦が行われた激戦地~羽曳野市~

野々上八幡神社の社名碑

南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、羽曳野市野々上にある「野々上八幡神社(ののがみじんじゃ)」です。野中寺の隣にひっそりと鎮座する野々上八幡神社ですが、かつてこの地では激しい戦いが繰り広げられました。

なぜ、この地で激戦が繰り広げられたのか?それは野々上八幡神社が建つ場所に理由がありました。今回は、羽曳野市野々上にある「野々上八幡神社」を紹介します。

野々上八幡神社の創建

野々上八幡神社の詳しい創建は不明ですが、平安時代初期に隣接する野中寺の鎮守として創建されたともいわれています。

野中寺
野中寺

「日本の史跡の宝庫 南河内」によると、下記のように記されています。
百済系渡来氏族である野上連(ののえのむらじ)が、祖神である牛頭天王(スサノオ)を祭って、野々上神社と呼ばれていた。

野々上八幡神社の境内

野上連を調べてみると、野々上にゆかりのある一族のようですが、祖先は魏の曹植とのこと。つまり野上連は、百済系ではなく大陸系渡来豪族のようです。隣接する野中寺を建立したのは、百済系の「船氏」もしくは「津氏」とも。野々上八幡神社と野中寺の関係を考えると、やや整合性がとれないように思えます。

激戦!野中寺合戦

南北朝時代に入ると、野々上八幡神社は戦乱に巻き込まれていきます。野々上八幡神社は、目の前を竹内街道が通り、羽曳野丘陵北端における一番高い場所に位置します。この地は、松原方面から羽曳野方面に進軍する敵を防ぐにあたり、重要な拠点でもありました。

野中寺

野々上八幡神社近くに「野中寺城」という城が築城されていたようですが、確かな場所は分かっていません。一説には、野々上八幡神社が野中寺城だったとも、野中寺城の見張り台があったともいわれています。

記録に残る戦いとしては、1337年に起きた「野中寺合戦」です。羽曳野市にある古市に陣を張っていた南朝方の岸和田治氏を攻めるため、北朝方の丹下三郎入道西念が松原方面から進撃。両軍は、野中寺あたりで激戦を繰り広げました。

野中寺での戦いで敗れた丹下三郎入道西念は、居城である丹下城に撤退。追撃した岸和田治氏は、付近を焼き払ったと伝わっています。この戦いにより、野々上八幡神社と野中寺の伽藍は焼失することに。

大塚山古墳
丹下氏の居城「丹下城」があった河内大塚山古墳

その後の野々上八幡神社

この戦いの後、長らく荒廃していましたが、江戸時代の寛文年間(1661年~1673年)に、覚英律師恵猛律師が野中寺を再建。野々上八幡神社も野中寺の鎮守として再建されました。この再建時に、応神天皇を主祭神とし八幡宮と称したようです。

大津神社
大津神社

1868年(明治元年)に、神仏分離令により野中寺から分離。後に村社に列しますが、1909年(明治42年)に羽曳野市にある大津神社に合祀。戦後、地元住民の活動により1957年(昭和32年)に現在地に復社し、現在に至ります。

現在の野々上八幡神社

よく目立つ野中寺の山門の隣に、ひっそりと野々上八幡神社は存在します。社名碑の「野」の字がかなり特徴的で、もはや違う字というぐらい・・・

野々上八幡神社の社名碑

こちらが、野々上八幡神社の鳥居。いくつかの文字が彫られていましたが、奉納された時期はわかりませんでした。

野々上八幡神社の鳥居
野々上八幡神社の鳥居

鳥居の先にある2基の石灯篭。「八幡宮」「明治四年」と彫られており、この時期には間違いなく応神天皇が祭られていたようです。

野々上八幡神社の境内
野々上八幡神社の灯篭

きれいに整備された長い参道が続きます。ふと横を見ると、野中寺の塔礎跡が見えました。かつて野中寺には、金堂や塔が建つ荘厳な寺院だったことが分かっています。最盛期は、野々上八幡神社とともに大いに繁栄していたのでしょう。

野々上八幡神社

こちらは、参道の途中にある狛犬。なかなか参道の途中に狛犬をおいているところは、珍しいかもしれません。

野々上八幡神社の境内
野々上八幡神社の狛犬

参道の終点にある手水舎。屋根付きで、立派な作りになっています。

野々上八幡神社の手水舎

手水舎の後ろには、インパクトのある巨大な石灯籠が。地震が来たら倒れる可能性があるのか、随所に支え棒で支えられています。この石灯籠の脇には小道があり、隣の野中寺へ行くことができます。

野々上八幡神社にある灯篭
野々上八幡神社

手水舎の前にある平和の社。祭神は「平和之神」という聞きなれない神様です。第二次世界大戦にて亡くなられた氏子の方を英霊として迎え、平和の神として崇められているとのこと。各地の神社には「忠魂碑」として、英霊を祭るところは多いですが、このように社を建てて祭るのは珍しいですね。

野々上八幡神社にある平和の社

本殿は、一段高い場所に存在。階段を登った先には、再び狛犬が置かれ、その背後に拝殿があります。本殿は、周囲を壁に囲まれており見ることはできません。

野々上八幡神社の拝殿
野々上八幡神社の境内

本殿の建つ場所は、周辺より一段高い場所となっています。見張り台や本丸があってもおかしくない立地ではあります。この場所に立てば、どの方角から敵が攻めてきてもよく分かるのではないでしょうか。

まとめ

野々上八幡神社の境内

かつて激戦が繰り広げられたという野々上八幡神社ですが、現在は静寂に包まれた美しい神社でした。合祀されて復社する神社というのは、複社前より小規模になりがちです。しかし野々上八幡神社は、広い境内を保ち、新たに平和の社という摂社まで建立しています。そう考えると、地元の篤い信仰に支えられている神社なのだと感じさせられました。

野々上八幡神社データ

住所大阪府羽曳野市野々上5丁目9−27
祭神八幡大菩薩(応神天皇)
摂社平和の社
旧社格村社
式内社無し
祭礼
参考資料・日本の史跡の宝庫 南河内
・大阪府神社名鑑

アクセスと駐車場

・公共交通機関
近鉄南大阪線「藤井寺駅」下車。駅南側より近鉄バスで「野々上停留所」下車すぐ。

・自動車
隣接する野中寺に無料の駐車場が存在します。国道170号線を北から来る場合は「応神陵前交差点」の先にあるバイパスを登らずに側道を直進し、野中交差点を西へ。国道170号線を南から来る場合は「軽里北交差点」の先にあるバイパスを登らずに側道を直進し、野中交差点を西へ。しばらく直進すると野中寺交差点前に野中寺が存在します。

周辺スポット

・野中寺
野々上八幡神社に隣接するお寺。聖徳太子の命により、蘇我馬子が開基したと伝わっています。毎月18日に御開帳される弥勒菩薩半跏思惟像は、重要文化財に指定されています。

・来目皇子の墓/塚穴古墳
野々上八幡神社から徒歩5分程の場所にある古墳。聖徳太子の弟である来目皇子を祭る方墳。

・峯ヶ塚古墳
野々上八幡神社から徒歩5分程の場所にある前方後円墳。古市古墳群の一つで、世界文化遺産に登録されています。埋葬者は不明ですが、大王クラスが埋葬されていたと考えられています。

・小口山古墳
小白髪山古墳から徒歩約15分の場所にある古墳。峰塚公園内に存在する終末古墳の一つ。

・仁賢天皇陵/ボケ山古墳
野々上八幡神社から徒歩10分程の場所にある古墳。武烈天皇の父である仁賢天皇の陵とされています。古市古墳群の一つですが、世界文化遺産には登録されていません。

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